第五章 決意 その1
「ああ、帰ったか。ちょっと座れ」
和人が出先から帰宅して居間の横を通りかかると、そこの座卓のところに座っていた蔵人がそう声をかけてきた。
「なに?父さん」
和人は、そう答えながら蔵人から直角の位置になる左側に座った。
「今日、仕事の要件で大下さんに電話したら、時王の素性が分かったと言われたよ」
「え!?ホント?」
和人は驚いて思わず聞き返した。
「ああ。なんでも、大学で江戸時代初期の研究をしていた先生が、昨日、大下さんの店に現れて、その人が見つけた昔の文献に時王のことが書かれていたということを大下さんと刀悟くんに語ったそうだ」
「へえ~」
「それによると、時王は織田信長の家臣だった真崎時常という人物が十年の歳月をかけて造ったものだそうだが、造った動機というのが織田家再興のためということで、その怨念とも言える想念がかなり強力に時王の中には封じ込められているようだ」
「なるほど。それであの妖気なのか」
「大下さんは、時王の素性がわかったということで興奮した感じで話してきたよ。ただ、大下さんの話を聞いて気になったのが、時王に織田家再興を成し遂げられるほどの恐るべき素性が隠されているという部分と、再興の時が来るまで、という部分なんだ。電話を切ってからそのことを考えていたんだが、歴史上の記録として時王がその力を発揮したという記述も、織田家が一時的にではあれ勢力を盛り返したという記述も見たことがないので、その『再興の時』というのは、まだ来ていないのではないかと思うんだ」
「というと・・・これから来ると?」
「そうだ。ただ、つい数年前に、隣の国や中東で起こったように、他の国では今でも戦争や紛争が続いているが、対外的に攻められるならまだしも、民主主義が浸透して平和になってきた日本で、近々、内部からそんなことが起こるとは考えにくいと思うんだ。だから、我々が死んでからずっと先の未来のことではないかと想像している」
「未来・・・まあ、確かに、二百年後、千年後に、この日本がどうなっているかなんて今からは予想もできないからね」
「その通りだ。だから、遠い未来に、再び戦国の世が来るという恐ろしい予言だともとれるんだ。それと、常識的に考えたら、どんな達人が使ったとしても、たった一振りの刀が歴史を変えられるほどの力を発揮するとは考えられないから、どうも、時王には我々が思っている以上に恐ろしい力を持った想念が封じ込まれている気がする」
「うーん、確かに十年も再起だけを考えて、それを目的とした物を造っていたら、思考が内面に籠ってどんどん攻撃的な想念が作り出されていく気はするね」
「ああ、そうだな。思いつめれば人の想念はより内にこもって負の思考に向かっていくと言うからな。それを十年も続けていれば、相当強いものになっただろう」
「そうだね」
「いやはや恐ろしい刀だ。こんなものは、やはり、人前には展示できないな。大下さんもそう考えているようだ」
「ああ、何が起こるかわからないから、やめた方がいいだろうね。大下さんの別荘で初めてお披露目されたときに話が出たように、霊感の強い人が近くに寄ったら憑りつかれるかもしれないよ」
「そうだな。大下さんに人目に付かないように保管しておいてもらうのがいいだろう」
「結局、俺はあの刀に触れていないけど、こんな話を聞いた後だと触れなくて良かったと思うよ」
「うん、まあ、やめておいた方がいいだろう」
それからしばらく、二人は時王の扱いについて話し合っていたが、夕飯の用意ができたと和人の母親から声がかかったので、そこでその話は終わりになった。
数日後の夜十時、和人は、大下家からさほど離れていないとある取引先に仕事の打ち合わせに来たその帰りに、駅へ行く途中にある公園の横を通りかかった。その公園は、枝切り事件が起きた公園とは別の公園だった。
公園の入り口に差し掛かったとき、バサリと何かが地面に落ちるような音が聞こえたため、なんだろうと公園の中に足を踏み入れてみた。
公園内の照明はかなり暗かったが、和人が向いている方向やや右側の高さ十メートルほどの木の前に人が立っているのがわかった。そして、その足元には葉ぶりの良い枝が落ちていたため和人は驚いたが、もっと驚いたのはその人物のだらりと下げた右手に明らかに日本刀とわかるものが握られていることだった。
和人は、その人物が枝切り事件の犯人だと思い、頭で考えるより先にその人物に向かって走り出していた。すると、その足音が聞こえたのかその人物は和人の方をチラッと振り返ると、和人とは反対方向に一目散に駈け出して行った。
和人は公園の外まで追いかけたが、その姿は見えなくなっており、とりあえず、正面方向に延びている道を走って行ってしばらく探してはみたものの、見つける事ができず歩いて公園に戻って来た。
先ほど、その人物が立っていた場所に行くと、刃物で切断されたと思われる枝がその場に落ちていた。その切り口を確認してみたところ、その断面は異様に滑らかで、今までと同じ刃物が使われたことは明白だった。
しかし、そのことよりも和人を驚かせていたのは、チラッとこちらを振り返ったその顔が、大下刀悟に見えた事だった。体格も刀悟のそれとほぼ同じであり、あれほど長身でがっしりした体格の男もそうそういないので、この犯人は刀悟であると結論付けるより他に選択肢がなかった。
それと、この枝の断面から見て、使われた日本刀が時王である可能性が非常に高いと思われたので、それを一番入手しやすい環境にあるのが大下家の人間であるという事実もまた、犯人が刀悟であるということを示していた。
次の日の朝、和人は猪ノ介に電話をして昨夜目撃したことを話した。そして、その犯人が刀悟に見えたという事実も。
猪ノ介は電話口で「ううむ」と一声唸ったが、その後に予想もしない返事を返して来た。
「和人くん、私も刀悟が犯人ではないかと疑っていたのだよ。実は、前回の枝切り事件の時、時王が持ち出されて使用された形跡があったので、再び持ち出されたときにわかるよう時王の箱に仕掛けをしておいたんだが、ここ一カ月以上その形跡がなかったものが、今朝確認したら持ち出されたことがわかる状態になっていたんだよ」
和人は、電話口で言葉を失った。
「和人くん、このことは私から刀悟に確認してみるので、君は私から連絡があるまで刀悟とは話をしないでいてくれるか」
「わかりました」
和人は答えて、とりあえずこの件は猪ノ介に任せることにした。
三日後の日曜日、猪ノ介から電話があった。和人は、電話の内容は刀悟のことであろうと容易に想像できたので、少し緊張しながら母から受話器を受け取った。
「和人くん、休みの日にすまないね」
猪ノ介の声は、心なしか沈んでいるようだった。
「いえ、特に予定もなかったので大丈夫です」
和人は答えた。
「いきなり用件で申し訳ないが、例の枝切り事件の事で電話したんだよ」
猪ノ介の言葉は予想通りだったが、その言葉を聞いて和人はさらに緊張感が高まるのを感じた。
「刀悟と話をしたんだが、やはり犯人は刀悟だったよ。非常に申し訳ない気持ちだが、そのことより、刀悟が枝切りをした理由がとても信じがたいものだったので私はかなり困惑しているのだ」
猪ノ介は、深刻そうな声で言った。
「それは一体どのような・・・」
「その前に聞きたいんだが、和人くん、キミはお父さんから時王が造られた経緯について聞いているかね」
「はい、聞きました。なんでも、織田信長の家臣だった人が織田家再興を夢見て造った刀で、その人の強い想念が込められているとか」
「その通りだ。その想念のせいかはわからないが、刀悟は、時王を持つと時王が自分に語りかけてくるのだと言うのだよ」
「時王が語りかけてくる?」
「うん。刀悟が聞いたという時王の声を要約すると、時王は、執念とも言える強い想いを込められて造られており、その思いによって発生した強大な力を内包していて、時が来ればその力をすべて開放してこの世に大いなる争いをもたらすのだということらしい」
「それが本当だとすれば、なんとも恐ろしげな話ですね」
「ああ、普通に考えれば荒唐無稽で刀悟は夢でも見ていたんじゃないかと疑うところだが、伊藤さんの話を聞いた後では、それが本当のことだと信じられる気がしてきてね」
猪ノ介は苦しそうに言った。
「そうでしたか・・・でも大下さん、実は時王が語りかけてきたという点については、刀悟が以前僕に同じような事を言った事があるんです」
「なに?それは一体いつの話だね」
「それは、大下さんの別荘で時王が初めてお披露目された時です。お披露目の後、皆さんが会合をされている時に僕は刀悟の部屋に行ったんですが、その時に彼は『刀を振るったときに、あの刀から何か想念のようなものが自分に入り込んで来るのを感じた』と、言ったんです。それであの試技の時、青ざめて部屋から退散したんですよ」
和人は、あの日刀悟から聞いたことを要約して話した。
「別荘での試技の時にすでに妖しい気のようなものを時王から感じていたという話は刀悟から聞いたが、君にはそんな事を話していたのか。それでは、その時から刀悟は時王にとり憑かれていたということかな」
「そうかもしれません。実際、あのときの刀悟の顔色は尋常な青白さではなかったですから」
数秒の沈黙のあと猪ノ介は言った。
「枝切りの件は、最初は別荘での試技の時に感じたものを再確認したくてやったらしいが、刀を振るうたびに時王の声が断片的に自分に流れ込んでくるために、その全体像を確認するために何度も繰り返してしまったらしい」
「なんと、そういうことでしたか」
「和人くん、申し訳ないが刀悟と一度話をしてもらえないだろうか。本人は、枝切りはもうやめると言っているが、何か別の決意のようなものをあいつから感じて、近い将来になんだかとてもいやな事が起こるような予感がするのだよ」
「そうですか・・・わかりました。今からお宅にお伺いしてもよろしいですか」
「構わんとも。二日続けて刀悟と話してみたが、これ以上の事は私には語ってくれないのだ。しかし、君にならその先にある事も話しそうな気がするからね」
「了解しました。すぐに伺います」
「ああ頼むよ」
そう言って猪ノ介からの電話は切れた。




