序章 戦国の未来 その1
二振りの日本刀にまつわる奇譚で、今回は完全にシリアスなお話です。
日本刀について調べてはいますが、まだ、知識が足りてない部分があるかと思います。
何か気になりましたら、指摘していただければ幸いです。
序章より後は、がらりと舞台と内容が変わります。
24世紀初頭、地球上の人口は20億人まで減少していた。
21世紀後半から大きく増え始めた人口は、22世紀初頭には、一旦は90億人にまで上昇した。
各国では、食糧増産が最優先事項となっていたが、20世紀から顕在化していた二酸化炭素濃度の上昇による地球温暖化の兆候を抑えるべく、1997年に採択された京都議定書に基づく対策が各国協力のもと世界規模で進められていた。
しかし、北アメリカ大陸に広大な土地を持ち、世界の数か所に植民地を持つアメリカ合衆国が自国の利益のみを優先してその批准を拒否したうえに、対策も全く行わなかったため、実態は、抑えるどころかさらに進行していた。
時を同じくして、世界規模での砂漠化が急速に進み始めた。
それが、元々、広大な砂漠が広がっていたユーラシア大陸中央部とアフリカ大陸北部だけでなく、南北アメリカ大陸、オーストラリア大陸、ヨーロッパ大陸の都市部郊外でも発生していたため、その対策も急務となったが、気候や人為的による従来の原因とは関連しない場所で発生していて原因がつかめず、さらに食糧事情は悪化することになった。
国連では、研究機関を設立し、地球環境の研究で著名な学者を各国から集めて地球の将来を推算させたが、23世紀を迎える前に地球規模の大規模な飢餓が発生し、多くの国家が崩壊するであろうという結果が出た。
この結果を受け、国連では地球温暖化に歯止めをかけるため、アメリカを除く全加盟国一致でアメリカに対して対策勧告を行ったが、その勧告をもアメリカは無視した。
同じころ、インドネシアのとある学者が、世界第1位の巨大企業であり、資本主義国、共産主義国、また、イスラム教国、キリスト教国、仏教国を問わず、世界中にあらゆる形で進出していたアメリカを本社とするDOIP社の工場が、砂漠化の進行が始まった地域に必ず存在することを発見した。
国連の検査部がいくつかの工場に査察を行ったところ、生産品を低コスト化するために公害対策を無視し、製造の過程で生み出される有害物質を長年にわたり地中深くにたれ流していたことが発覚した。
これが、大規模な砂漠化進行の真相であった。
検査部から、アメリカに本社を持つ他の企業でも同様のことが行われている兆候があるとの報告を受けた国連本部は、アメリカ政府に対し、その報告と対策を勧告したが、アメリカからの回答は、国連の脱退だった。
ここに至り国連は、アメリカ合衆国を地球上から抹殺することを全会一致で採択。核保有国が、核ミサイルで同時にアメリカ本土を攻撃することを決定し、ただちに、実行された。
しかし、アメリカは、その優れた諜報機関を利用してこの動きを事前に察知し、同時に報復攻撃を行ったため、ついに地球上の多くの都市が、核ミサイルによって消滅するという事態に至った。
その結果、地球上の多くの国家が精密機械や電子機器を製造できる施設を喪失。また、各種兵器とその製造・整備施設は、核戦争の最初の段階で標的とされたため徹底的に破壊しつくされ、その製造に携わっていた技術者の多くも失なわれたため、22世紀レベルの高度なテクノロジーに裏打ちされた戦闘車両、軍用機、潜水艦、水上艦艇等の兵器は、この世から姿を消していた。
DOIP社の工場が垂れ流していた有害物質は、地下水脈を通して全世界に拡散したことにより、砂漠化の進行だけでなく、放射能汚染と相まって世界中の土壌が汚染されるという事態に発展した。特に、地中の深い部分の汚染度が深刻で、地中に埋蔵されていた鉱石や化石燃料の多くが影響を受け、その質が著しく劣化することとなった。
そのため、硬質な金属やプラスチック類は産出・製造することができなくなり、それらを素材とした新たな銃火器も、ほぼ製造できない状態となっていた。
農作物のみは、その供給が人類の存亡を直接脅かすことになるため、この事態が発覚してすぐに戦争前に国連より出されていた対策案に基づき、戦後、各国において最優先事項として、官民協力でその対応が行われた。
それは、ほとんどの国に存在する、工場が進出しておらず、核戦争の標的ともされなかった過疎地域から大量に土を採取し、広大な敷地に建設された平坦な建物の屋上にその土を運び入れることで大地の汚染が及ばぬようにし、そこで農作物を栽培するという方法であった。
その栽培施設は「屋上菜園」と呼ばれたが、すべての国に国連を通じてその建設方法が技術供与されたおかげで、人類はなんとか食料を確保することには成功した。
食料事情の危機が去ったことで、次に各国は、国家再建に向かって動き出し、まずは、寸断された、電気、水道、都市ガスなどのエネルギー供給路の復旧作業にとりかかったが、ほとんどの国が、「屋上菜園」の建設によって残った工業力の多くを使い果たし、また、政治機能の喪失に伴う各省庁、自治体の事実上の解体により、その作業は遅々として進まなかった。
なんとか政治機構を構築して国家の再建に乗り出そうとした国もあったが、核戦争以前に製造された小火器や手榴弾のような小型の爆発物については、軍隊とは別の組織で保有されていたために戦火を免れたものが相当数あり、それらを手に入れた者たちが武装集団を組織したため、各国内はかつての中国のように小規模な軍閥が割拠する状態となっており、国家の再建には大きな障壁となっていた。
ただ、国同士が争えるような強大な軍事力はもはやどの国家も有してはいなかったため、第二次世界大戦時や核戦争時のように、何十万、何百万単位で人命が失われるという事態だけは避けることができていた。
軍閥間の初期の戦闘においては、残っていた銃火器も使用されていたが、あっという間に弾薬が底を尽き、そのようなものを見なくなってからすでに長い年月が経過していた。
そのような状況は、核戦争が起こるまで「平和ボケ」と言われるほど極めて治安の良かった日本においても例外ではなかった。
ただし、元々、一般市民が銃砲類を所持することが皆無の国であり、銃砲類を作るような企業も警察や自衛隊向けのものが少数存在するだけだったため、核戦争直後の段階から銃火器類は用いられず、粗悪品ながらなんとか製造することができた刀剣と弓矢が主たる武器となった、まるで戦国時代に戻ったような様相を呈していた。
刀剣類は、核戦争前、特に江戸時代より前に造られたものが、核戦争後に造られたものとは格段に違う切れ味と強度を持っていたため重宝され、かなりの高値で取引されていた。
核戦争後に造られた刀剣類が「代用刀」と呼ばれ、消耗品の扱いで多くの兵士に供給されていたのと違い、どの部隊でも高級将校レベルしか所持することができなかった。
軍閥が割拠する状況は数十年続いたが、それも次第に淘汰統合され、日本の東北地方から中部地方にかけては、織田信長の家系を名乗る鷹野家、上杉謙信の末孫を名乗る宗像家、武田信玄の直孫と公言する橘家の三家がそれぞれ、かつての東北地方、関東地方、中部北陸地方を支配化に収め、拮抗する戦力でバランスを保ち、百年近い間、三国間では大きな戦闘もない比較的平和な時代が続いていた。
九州、四国、関西、北海道等の他の地方でも、同様に数家がにらみ合って比較的平穏な状態が続いていたが、その規模は、東日本の3家に比べるとかなり小規模なものであった。
ところが、鷹野家の領土内で『時王』という超常的な威力を持った魔性の刀が発見され、鷹野家の当主に渡ったことによりそれまでの戦力バランスが崩れ、その刀を擁する鷹野家が領土拡大を企図して隣国への侵略を始めた。
時王が発見された経緯はこうであった。
鷹野家は、唯一支配下におさめていなかった下北半島の陸奥地方を攻撃した。
下北半島の北部海岸線一帯をかなり以前に支配下に治めて北からの脅威に備えていたことと、下北半島中央部の戦略的価値が薄かったうえ険しい山々に囲まれた天然の要塞で制圧に困難が予想されたため、長い間、陸奥地方は放置されていた。
しかし、鷹野家が現当主に替わってから、北の脅威に備える部隊の背後を突かれる懸念が重要視され、この地方も制圧することになったのだった。
陸奥城主が篭城戦法をとったこともあり、予想された以上に制圧には時間を要したが、最終的には兵糧が尽き、城下の住民を餓死させることをよしとしなかった城主が開門して戦闘は決着した。
開門後、城内は徹底的に調査されたが、その過程で西のはずれにあった武器庫の奥から実に見事な刀が一振り見つかった。
それが時王であった。
その刀は、近寄る者の多くが冷や汗を流すほどの妖気を発していたため、まずは、鷹野家の重鎮であり陸軍の指揮官でもある佐田四郎に渡された。豪胆の者として戦場に名を轟かせていた佐田は、さすがに妖気をものともせずに刀を抜いてまじまじとその姿を確認し、それから、用意された巻き藁を使って試し切りを行ったが、尋常ではない切れ味を示したためすぐに当主の紫燕に献上された。
その刀を紫燕が手に取って抜き放った瞬間、その場に居合わせたものは、紫燕の体から紫色の妖気が立ち上り、それが集束するように時王の刃に吸収されるのを見た。
その直後、刃は一瞬ピカリと光り、そしてさらに大きな妖気を放つようになった。
そして紫燕は、
「感じるぞ。この刀は私を待っていたのだ」
と、不適な笑みを浮かべながら重々しく言った。
その一ヵ月後、橘家との勢力範囲の境界である小国城西方で小競り合いの戦闘が発生したため、時王を持参した紫燕が周りの静止も聞かず「この刀の力を確認する」との言を持って出陣した。
このような小競り合いの場にいきなり鷹野家当主が現れたことに動揺して一瞬動きが止まった橘家の隙を突いて、紫燕は数名の騎兵に周りを固められただけの状態で馬によって最前線に躍り出て橘家主力の正面に接近し、馬から飛び降りるやいなや、すばやく、そして大きく時王を横に一閃した。
「ごう!」という轟音とともに、橘家の兵士数十人が吹き飛び、そして、その全員が二度と立ち上がらなかった。
驚き立ちすくんでいる橘家兵士に向かって紫燕はさらに突進し、再度刀を一閃させて再び数十人の兵士を吹き飛ばした。
その様子を見た橘家の兵士は大混乱に陥り、多くの兵士が背中を見せて潰走した。そこに鷹野軍が追い討ちをかけたため、その戦場にいた橘家の兵士約五百名は全滅するに至った。
時王の威力に自信を持った紫燕は、これを好機と見て全軍に橘家領土への侵攻を宣言するとともに、自身が最前線に立って、かつての新潟県の北東地域の拠点、村上城を攻略すべく橘領に侵入した。
緒戦から橘軍を圧倒し、しばらくは驚異的なスピードで橘領を席巻したが、橘軍も各地に強固な砦を築いて防戦に努めた。そのため、緒戦に比べて鷹野軍の進撃速度は鈍ったが、それでも各戦場で最終的には勝利を収め、徐々に村上城に迫っていった。
この危急の事態に際し、橘家は宗像家に領地の一部を献上することを条件に救援を求めた。
橘家が征服されれば今度はこちらに矛先が向くことは明白だったので、宗像家はこれを了承。まずは二万の兵を村上城救援に差し向けるための準備に入った。
しかし、その直後、橘家を救う事態が発生した。
刀悟という別の超常的な妖刀が出現して全軍の司令官檜村の手に渡り、鷹野軍を押し返し始めたのだ。
国境まで橘家が押し戻した時点で、近々、鷹野家と橘家が休戦協定を結び、宗像領に侵攻して来ることは容易に想像できた。しかし、宗像家にはそれに対抗しうる有効な策がなく、対策検討会議にいたずらに時日を費やすばかりであった。




