姫巫女の嫁入り。そして始まる……
その日、カンナギ国はまさにお祭り騒ぎだった。
王宮前広場は人、人、人。屋台からは甘い菓子の匂いと香ばしい肉の煙が立ちのぼり、楽師たちが笛と太鼓を鳴らし、子どもたちは「姫さまー!」と黄色い声を張り上げている。
主役である姫巫女カンナは――
その喧騒を、窓辺から遠い目で見つめていた。
「……はぁ」
ため息は、祝いの喧騒にかき消えるほど小さい。
魔王のもとへ嫁ぐことに迷いはない。
相手は魔王カズト。恐れられる存在ではあるが、あの会談で言葉を交わし、自分の意思で決めたのだ。そこに後悔はない。
問題は――そこではない。
三日前。
花嫁衣装を携えてやってきた「先輩花嫁」たち。
あれは会談ではない。
あれは査定である。
部屋に入った瞬間、空気が変わった。
高位魔族サキュバス族の頂点に立つ、サキュバス王女エル。妖艶という言葉を擬人化したような存在で、微笑むだけで室温が二度上がる。
巨大帝国の皇女にして勇者姫の異名を持つアリーナ。凛と立つ姿はまるで戦場の女神。視線が鋭い。いや、優しいのだろうが鋭い。
パンニャ領領主の娘で、現シャガート代官のシーラ。柔和な笑みの裏に、計算高さと行政手腕が透けて見える。
アルメリア聖王国の筆頭聖女イリシス。神々しい。後光が見える気がする。部屋に入った瞬間、なぜか空気が清浄になった。
そして、幼くして最高の頭脳を誇る賢者ルミナス。小柄。無表情。だが目がやばい。あれはすべてを数値化している目だ。
――その五人に、ぐるりと囲まれた。
(囲まれてる……これ、歓迎よね? 歓迎……よね?)
にこやかな笑顔。
優雅な所作。
柔らかな声。
なのに。
なぜこんなに背筋が寒いのか。
まるで市場に並べられた野菜の気分である。
鮮度、色つや、形状、将来性。
(品定めだあああああああっ!!)
心の中で絶叫するカンナ。
覚悟はしていた。
他にも嫁がいると聞いていたから。
うまくやっていこうと決めていた。
でも。
でもだ。
横に並ばされた時の破壊力を、誰か教えてほしかった。
エルは妖艶。
アリーナは凛々しい。
シーラは才色兼備。
イリシスは神聖。
ルミナスは天才。
そして自分は――
(辺境の小国の世間知らず姫……)
姫巫女と呼ばれていても、それはカンナギ国とその周辺だけの話。連合では「え? どちらの?」で終わる知名度。
(無理無理無理無理無理っ! どうしろってのよっ!)
さらに追い打ちをかけたのが――
胸。
女性の象徴。
誇り。
威厳。
戦力。
横並びになった瞬間、カンナは悟った。
(……下から数えた方が早い)
視線をそっと横に滑らせる。
エル。論外。
アリーナ。規格外。
シーラ。安定感。
イリシス。慈愛。
ルミナス。
ルミナス。
年下。
……年下?
(負けてる!?)
その瞬間、カンナの中で何かが崩れ落ちた。
賢者ルミナスは淡々とメモを取っている。
「骨格は良好。成長余地あり。栄養管理で改善可能」
なにを分析しているのか。
エルはくすりと笑い、
「うふふ、初々しくて可愛らしいですわね」
アリーナは真面目な顔で頷き、
「守ってやらねばな」
シーラはにこやかに、
「仲良くやっていきましょうね?」
イリシスは慈悲深く微笑み、
「主のお心のままに」
――全員、悪意ゼロ。
なのにカンナの精神だけがゴリゴリ削られていく。
現在。
王宮の窓辺で、広場を見下ろしながら、カンナは胸元をそっと押さえる。
(……まだ、成長期かもしれないし)
希望を捨てきれない。
広場では花火が上がる。
国民は歓声を上げる。
その中心にいるはずの花嫁は、深刻な顔で自分の未来――主にバストサイズ――を案じていた。
国の未来は明るい。
花嫁の未来は……別の意味で前途多難であった。
◇
賢者ルミナスは、全部わかっていた。
カンナが窓辺で胸元を押さえ、遠い目をしている理由も。
横並び比較という残酷な現実に打ちのめされたことも。
「まだ成長期」という淡い希望にしがみついていることも。
わかっていて、わざと追い打ちをかけた。
「統計的に言うと、十八歳以降の有意な増加率は――」
「やめてぇぇぇぇ!」
両耳をふさぐカンナ。
ルミナスは無表情のまま首を傾げる。
「事実の共有は大事」
しかし。
しばらくしてもカンナが復活しない。
床に座り込み、膝を抱え、「私は辺境の小粒……」などとぶつぶつ言い始めたあたりで、さすがの賢者も気づいた。
(……やりすぎた)
ルミナスは小さく咳払いをする。
「カンナお姉ちゃん」
「……なに」
声が湿っている。
「魔王様が選んだのは“数値”じゃない」
ぴくり、とカンナの肩が動く。
「政治力ならシーラがいる。武力ならアリーナ。色香ならエル。神聖枠はイリシス。頭脳は私」
自分をさらっと入れた。
「でも、“カンナお姉ちゃん”は一人しかいない」
カンナは顔を上げる。
「魔王様は、あの会談でお姉ちゃんの言葉を聞いて決めた。胸囲データは一切参照していないはず」
「参照してたらどうするのよ」
「そのときは私が解析して消去する」
真顔で言う。
思わず、カンナは吹き出した。
「なにそれ……」
「それに」
ルミナスは少しだけ、ほんの少しだけ声を柔らかくした。
「私は、お姉ちゃんが好き。優しくて、すぐ顔に出て、守りたくなるところ」
沈黙。
「……ずるい」
「事実の共有は大事」
今度はカンナが笑う番だった。
それから二人は並んでお茶を飲み、他愛ない話をした。
魔王城の噂。
エルの夜更かし癖。
アリーナの意外な甘党疑惑。
気づけば、カンナの頬はすっかりいつもの色を取り戻していた。
そして――出立の時間が迫る。
侍女が控えめに告げる。
「お時間です」
いよいよだ。
花嫁衣装に着替え、国民の前でお披露目。
魔王の紹介。
同盟締結の宣言。
カンナは深呼吸をひとつ。
「……よし」
「はい、カンナお姉ちゃん。着替えるの手伝うね」
ルミナスがドレスを差し出す。
白を基調とした、気品あふれる花嫁衣装。
繊細な刺繍、軽やかなレース。
完璧だ。
カンナは袖を通す。
するり。
腰もぴったり。
丈もちょうどいい。
――だが。
「……あれ?」
胸元。
ぶかぶか。
風通しがいい。
やけに、いい。
カンナはそっと中をのぞく。
空間がある。
余白がある。
未来予想図が広がっている。
静寂。
ルミナスが一拍置いて言った。
「あ、ごめんなさい。それ、私のだった」
にこり。
カンナ、固まる。
小柄な体格はよく似ている。
だから最初は違和感に気づかなかった。
だが――
唯一にして決定的な違い。
二サイズ以上の、厳然たる事実。
無慈悲な現実が、布地のたるみとなって視覚化されていた。
「……ルミナス」
「はい?」
「わざと?」
「何のこと?」
「あげて落とすのやめてぇぇぇぇっ!」
結局。
正しいドレスに着替え直したカンナだったが、胸元はきっちり、きっちりと“適正サイズ”。
余白ゼロ。
夢もゼロ。
王宮前広場では歓声が高まる。
扉の向こうに、国民が待っている。
侍女が告げる。
「姫巫女様、参りましょう」
カンナは最後に鏡を見る。
顔は凛としている。
瞳もまっすぐ。
花嫁として、完璧だ。
ただし胸元だけが、やけに現実的だった。
「……成長期、まだだよね?」
「統計的には――」
「言うなぁぁぁ!」
かくして。
国の未来を背負う姫巫女は、
胸の未来だけを置き去りにしたまま、
晴れやかに――ほんの少しだけしょんぼりと――
お披露目の舞台へと歩み出したのだった。
◇
あれから一年――。
空は高く澄み渡り、かつて幾度も黒煙が立ちのぼった大地は、嘘のように静まり返っていた。
「カシミア共和連合……か。もう少し賢いと思ってたんだけどなぁ。」
白銀の鱗を陽光にきらめかせるホワイトドラゴン――ユキの背で、カズトは眼下を見下ろす。
風を切る翼の鼓動が、彼の黒髪を揺らした。
大地には、新たな国境線が引かれている。
崩れ落ちた城塞、焼け焦げた城壁。その隣では、すでに新しい街が芽吹きはじめていた。戦火に荒れた畑には若草が戻り、避難民だった人々が家を建て直している。
「まぁ、わかってましたけどねぇ」
背中にぎゅっと抱きつきながら、ルミナスがくすりと笑う。
その声音に、どこか達観した響きがあった。
カンナギ国の脱退宣言から始まった一連の騒動。
抗議、制裁、そして見せしめの侵攻。
だが理のない刃は、やがて自らをも傷つける。
加盟国の半数以上が恐怖に駆られて離反し、連合は怒りに任せて制裁戦争を拡大。
結果は――共倒れ。
主だった首謀者は戦場に散り、残されたのは疲弊しきった国々だけだった。
最後に頭を垂れたのは、かつて「秩序」を掲げた側だった。
そして今。
カシミア共和連合のあった一帯は、正式にカンナギ国の庇護下へ。
名を改め――
魔王領・カンナギ自治区。
「なぜこうなった」
半ば本気で、半ば呆れてつぶやくカズト。
すると、前方で翼をはためかせるユキが、のんびりとした声で返した。
「おぬしが魔王じゃからじゃろう?」
あまりにも単純な答えだった。
白き竜が守護する魔王領。
紫煙山脈を中心に、森と草原、そして再生する街々が広がるその地は、いつしか人々の間でそう呼ばれるようになっていた。
恐怖ではなく、安寧をもたらす魔王。
侵略ではなく、庇護を選ぶ魔王。
皮肉なことに、それこそが周囲を最も不安にさせる。
強大でありながら動かない存在ほど、計り知れないものはない。
遠く、西の空。
帝国の紋章を掲げた飛空艇の影が、雲の向こうに一瞬だけ揺らめいた。
東方では、人族諸国が新たな同盟を模索しているという噂もある。
争いは終わっていない。
ただ、形を変えただけだ。
だが――
今この瞬間、魔王領には風が吹いている。
戦の匂いではなく、草と土と、命の匂いを運ぶ風が。
「ま、なるようになるか」
カズトは小さく笑い、ユキの首筋を軽く叩いた。
白き翼が大きく広がる。
カズトはまだ知らない。
この地をめぐり、再び嵐が訪れることを。
それでも――
守るべきものがある限り、彼は立ちあがり、彼を守る者たちが刃を抜く。
これは終わりではない。
空を翔ける白き竜の背に乗った魔王の姿……それは、新たなる物語を紡いでいく……そう、これは始まりなのだ。魔王カズトの伝説の……。
長らくのご愛読ありがとうございました。
これにて完結です。
えぇ、「俺ただエンド」ですが何か?
っていうか、18禁版とごっちゃになってきびいしいんだよぉっ!
18禁版はまだまだ序盤ですので、これからも応援よろしくお願いします
新作を書く前に、マギアグレイヴをどうにかしなきゃ……
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