ep19 両親帰還
午後、玄麻と白加が二十四時間ぶりに家に戻ってきた。
「ああぁ……ただいまーっす……」
日をまたいだ長いロケーションを終え、玄麻は疲れが溜まっていた。普段よりテンションが低く、声も枯れ気味である。
声を聞いた雀女は、急いで玄関まで駆け寄る。
「おかえりなさい。お仕事どうだった?」
長時間の仕事を終えて親が帰ってきた際、雀女の第一声はだいたい決まっている。そこから仕事でのエピソードを広げ、話を弾ませるのが恒例だ。
「……普通」
問いに答えるのは毎回マネージャーの白加。たいていの場合は収録現場まで同行し、その様子を見守っている。しかし、玄麻に対する評価は毎度厳しい。〈普通〉というのは白加比では良い評価である。
いつもならばここから玄麻はどこを頑張っただとか、こんなハプニングがあっただとかを語り始めるのだが、今日は違った。
「そっちはどう? シンマオと龍我は元気にやってる?」
真っ先にシンマオたちのほうを気にしていた。子供たちの話のターンに入るのは仕事の話の後というのがルーティンだが、その慣習をひっくり返すほどシンマオへの関心が高いということになる。
「え? ああ、それが……まぁ元気といえば元気なんだけど……」
困り顔をしながら、雀女は二人の手を掴んで引っ張り、リビングに連れて行った。
テーブルを挟んで正対した状態で、龍我とシンマオは話し続けていた。大根と人参の一件からぶっ通しである。
「ワタシ、いっぱい言葉覚えたアル! もっと覚えたいアル!」
長時間に及ぶ龍我との会話を通し、シンマオの日本語能力は上昇していた。その甲斐もあり、具体的な数字に頼らない物事の大小を理解し、使えるようになっていた。
「そりゃ良かったぜ……。でも今日は疲れた、また今度な……」
しかし、それを教え込むのは簡単なことではなく、龍我の目は死んだように光を失っていた。
「今度は、いつアルか?」
具体的な時間を知りたい際は、ちゃんとそれを聞いてくる。この辺りの使い分けもしっかりとできるようになっていた。
「来週! 来週の土曜日!」
最後の力を振り絞った龍我は、そのままテーブルに顔を伏せた。
「分かたアル! 来週がすぐ来てほしいアルな!」
雀女に手を握られたまま、二人はその様子を見入る。僅かな会話を見ただけでもシンマオの成長は十分伝わったらしい。
「おお、なんかすごいことになってんじゃん」
玄麻はニンマリと口角を上げる。
「そうなの。シンマオちゃんの扱い方もやっと慣れてきたって感じね」
「ならいいタイミングだわ……」
白加はボソッと呟き、さりげなく雀女の手を剥がしていった。
「どういうこと?」
「明日も収録があるんだけど、その時にシンマオを連れて行けないかなって思ってたの」
これまでシンマオの事でほとんど口を出していなかった白加だが、頭の中ではしっかりと引き取り手について考えていたようだ。
「そそ、局内には色んな人いるからな。学校より見つけやすいと思うぜ」
玄麻も白加の考えを確認済みらしく、彼もまた悪い話ではないと結論づけていた。
話を受け、聞き耳だけは立てていた龍我が、伏せていた顔を再び上げた。
「いいね……それ。シンマオ、明日はテレビ局に出かけるぞ!」
龍我は、それまで蓄積していた疲労は彼方へと消失した様子で、元気よく立ち上がった。
「テレビキョクとは何アルか?」
シンマオは、そもそも前提である〈テレビ局〉の意味を知らないようだ。そうであると、今までの話は全くついていけなかったであろう。
「テレビキョクっていうのは、このテレビの中に映ってる映像を撮影する場所だ」
テレビを叩きながら説明する龍我。テレビ自体がどういうものかは教育済みである。
「そうカ。そこで、ワタシを引き取る人、見つけられるのカ!」
「断言はできないけど……可能性はあるってところだな。なぁ父さん。俺も付いて来ていいか?」
「オッケーオッケー」
玄麻は悩む様子もなく、親指と人差し指で輪っかを作った。恐らく最初から連れていく算段だったのだろう。
「雀女は? 行く?」
「私はパスかな。一人でのんびりしてるわ」
自分が行く必要性を感じず、また芸能界そのものにはあまり興味がないため、雀女はテレビ局に行く気はなかった。なにより、他の家族全員が外出し、家に完全に一人きりという環境のほうが、魅力的に感じていた。
「引き取ってくれる人、見つかるといいアルな!」
引き取り手が見つかる未来を夢見ながら、シンマオはニコニコした顔を表示した。
そして翌日。収録は早いうちに行われるため、出発も早朝となった。
龍我は目覚まし時計をセットして普段より一時間以上早く起きる。身だしなみをきっちりと整え、シンマオと共に玄関で待つ。
「おぉ~う、気合入ってるねぇ」
少し遅れて準備のできた玄麻が、そんな龍我を見て笑った。
中道家はワインレッドのセダン車を所有していて、プライベートのほか、家から直接撮影現場へ向かう場合もこれを使用する。
購入から十年以上経ち、細かい傷や凹み、シミ等があるが、それも思い出の一部として家族全員愛着を持っていた。
今回もそんな自家用車に乗り、白加の運転で現場となるあやこテレビに向かった。
天に向かって伸びて並ぶ二つの高層ビル。その間を一本の通路が橋渡しされたデザインは、街のシンボルとして定着しているほど存在感があった。
シンマオのテレビ初出演が、ついに始まる。