No.66 BOY MEETS THE WORLD②
気がつくと険しい岩山にぽつんと1人で佇んでいた。澄み切った青い空に控えめな雲。木はなく、岩肌がずっと上にも下にも繋がっている。斜面に立っているようだった。どれくらい大きな山かは分からないが、とりあえず麓は見えない。雲が眼前、すぐ下に広がっている。
「聖母龍が住まうとされている世界……に繋がる、道だったかな?」
少なくとも、里長の言っていたことが真実ならば。そんなことより、メイジがうんざりしているのはダウンと離れてしまったことだった。
「とりあえず、招いてもらったなら謁見しなきゃならないかな」
グヴォルトの宝剣に巻いていた布を取払い、鍔を片手で持って杖のように地面を突く。メイジは魔術が使えなければ、剣術の心得もない。勇を示せ、と言われた時から嫌な予感がしていた。
「この雲の下が俗世だとして、ここが聖母龍の世界に行く途中なら……目指すは頂上でいいんだよね」
ぱっと見上げて山頂が分かるはずもなく、首が疲れるのを危惧してメイジは歩き出した。
「あんまり、僕はこういうのが得意じゃないんだけどなあ……」
ぶつぶつと呟きながら。常に誰かが傍にいることしかなかったメイジにとって、ほぼ初めての一人歩きだった。本人が無自覚なまま――。
焦げ茶色に近い岩山は生物の気配がなかった。しかし、斜面は常に勾配が急で容赦なく日が照りつけてくる。1時間も黙々とメイジは歩いていたが耐えきれなくなって足を止めた。
「これだけ時間が経ってもダウンが来ないってことは……物理的というか、次元的というか、とにかく切り離されてる空間にいて、僕だけがここにいるってこと……。ここを脱出する条件はおそらく、勇を示す、ということ。……だけど、ただ歩いて、歩き疲れるばっかりで、何を試そうとしてるんだろう……」
斜面を見下ろすようにして腰を下ろすと、相も変わらず、すぐ近くに雲海が広がっている。1時間を徒労に費やしてしまったのだろうかと認めたくない状況に苦笑すると、強い風が吹いた。影がかかる。1本の木もない岩山で。
「ようやくですか?」
立ち上がるとメイジの前にワイバーンが降りてくる。エグレットの臣下、フレイドとはまた違った種類のようだった。燃えるような緋色の鱗と、嘴のような口から伸びて収まりきらない長い牙。はばたく翼から発せられる風がメイジに強く吹きかかる。
「それで、僕にどうしろって?」
その問いに答えるようにワイバーンは大きく翼をはためかせると、一気にメイジへ迫ってきた。風圧に負けてかがむと偶然にもそれがワイバーンの爪牙を回避することに繋がった。
「苦手なんだけど……しょうがないね」
滑空から再び上昇、ホバリングするワイバーンを見据えると宝剣の鞘を抜き放った。幅広の古い剣だ。到底、武器になるとは思えない代物。——だが、ためらうことなくメイジは抜いた。それを構え方も分からず、両手で握り締めて切っ先をワイバーンへ向ける。
「実践が竜なんて嬉しい限りだよ……!」
重い宝剣を下ろしてメイジが一気に走り出す。ワイバーンも真正面からメイジに向かってくる。がむしゃらに宝剣を振り下ろすが、タイミングが全く合わない。振り回されたメイジの顔をワイバーンの爪がさらった。こめかみが裂けて血が噴く。真後ろに転がり、後頭部を打ちつける。起き上がる力も湧かない。
「弱っちいんだよ、僕なんて……」
分かりきっていることを口に出してしまう。誰も触れない、誰も気にしない、メイジのコンプレックス。何の訓練をしたこともなく、戦術の1つも教わったこともない。姉であるシュザリアよりも自分の方に期待を寄せられ、玉座を譲られるのも自分だとうすうす勘づいている。不思議でたまらなかった。いつになったら剣術を教われるのか。いつになったら魔術の素養を確かめられるのか。結局、分からないままシビレを切らして飛び出してきた。持ち出した宝剣はお守りだった。伝説の真偽は分からないが、いわれがあるのだから何かあるのかも知れない。ダウンと何かあった時、身を守れるように、守ってくれるようにと持ち出したが、ものの見事に意味がなかった。
「持ち手が未熟じゃどうにもなりませんってことですね……」
それにしても頭が痛い。額に触れ、血が流れていることに気付いた。赤い血だ。王族の血は流れてはならないと、昔から大臣が言っているのを思い出す。カサブタのひとつも許したくないらしい。それが今やどうだろう。虫に刺されて、かゆくなってぽりぽりとかいていたら血が出た。葉っぱで肌を切ったこともあった。ワイバーンに吹き飛ばされただけで頭から血が流れている。
「僕に出来るのは魔力を出すことだけ……」
同年代の素養がある者と比べれば多大な魔力を持っている。しかし、扱う術を知らない。どうやってこれを操れるのか。どうやったら、これを使って強くなれるのか。
ワイバーンがホバリングしながらずっとメイジをうかがっている。ぐったりと動かないのを死んだと錯覚したのか、警戒はしているようだが攻撃的ではなくなっている。まだ握っていた宝剣を見て、それを握る左手から自分の魔力を出す。
「竜を切った剣……。そして……グヴォルトの歴史が始まった……」
ただの妄想だ。しかし、不思議とメイジはそれを本当のことのように信じたくなった。まだ手は動く。足も動く。頭が痛むだけなのに、何を諦めているのだろうか。
「じゃあ……君を切って、僕の歴史を始めよう……。僕がこの手で、全部、手に入れてやる」
笑って震える膝を押さえて立ち上がるとワイバーンが再び臨戦態勢を取るように上昇していく。そうそう何度もやられる訳にはいかない。ワイバーンの攻撃はワンパターンだと頭で分かっている。滑空攻撃。しかし、これがシンプルで手強い。どこで反撃をするか。もう少し宝剣のリーチがあればいいのだが——。
ふと宝剣に目が向いた。剣がメイジの手から発せられる魔力を表面にまとっている。薄い皮膜程度でしかない。しかし、丁度、メイジが放出させただけの魔力がそこに宿っているようだった。
「……いい勝負になりそうだ」
一気に魔力を放出させると、全てが宝剣に伝わっていく。特に何かしている訳でもないのに自然と魔力は刀身を覆い、長い刀身の剣へと変貌する。重量は変わらない。幅広の剣がリーチを得ると、シャープな刀身の大剣となる。メイジの身長と同程度ほどの長さにまで伸びると、今度はその魔力の密度になっていく。魔力を放出すればするだけ、自然と宝剣は強くなろうと形を変えていく。片刃の両手持ちの剣となり、メイジはワイバーンを見据えた。あとはこの一撃をぶつけるだけ。それだけで勝てるという確信があった。恐らく、目の前のワイバーンはフレイドよりもずっと弱い。こんな程度の武器を得たところで、キャパシティで圧倒的に勝る相手のアークにも勝てない。それでも、これが一歩となれる。
「勝負——!」
膝を曲げ、姿勢を低くしながら斜面を駆け上る。まっすぐ、ワイバーンへ向かって。急上昇から、急な角度をつけた滑空。すれ違う、刹那。振り切った刃がワイバーンの胴を通過する。瞬間、宝剣に溜め込まれていた魔力が全て爆散してワイバーンを吹き飛ばした。メイジは倒れ込み、確かな手応えを感じながら仰向けに体を直す。元のサイズに戻った宝剣を日にかざすと刀身が綺麗な鋼の色になっていた。
「とりあえず……第一歩は踏み出せたのかな」
筋肉痛と疲労でもう動けそうになかったが、満足はしていた。ワイバーンが起き上がったことにも気付かず、メイジはそのまま眠りに落ちる。魔力を放出する経験というのもなかったため、その回復をするのに睡眠が必要になるということも知らなかった。




