No.65 BOY MEETS THE WORLD①
グヴォルトの宝剣――。
かつて、グヴォルト帝国建国以前に現在の首都・フォングレイドを治めていた男が竜と決闘して打ち破った。その時、竜の体内から取り出されたと言われる伝説の剣だ。何か特別な魔術具として機能する訳でもなく、特別な切れ味があるという訳でもなく、長くの間、物見の品として鎮座し続けてきた。
「ぼろい剣だ。そんなもので破れた竜がいると言うのならば、よほどの雑魚だったのだろう」
陰気な声がしてメイジは幅広の剣を鞘へ納めた。さらに白い布で柄から鞘まで巻き付けると壁へ立てかける。田舎にある宿屋にメイジとダウンは宿泊していた。
「あくまでも伝説ですよ。それが真実かどうかは関係ありません」
グヴォルト帝国を出てからじきに半年が経つ。最初の1ヶ月ほどは連れ戻そうとするグヴォルト帝国からの刺客が現れたが、それが過ぎると嘘のようにぱったりと追っ手は途絶えた。隣国ファンランを転々として旅をする生活にも慣れてきた。
「何故、関係ない?」
「今でこそグヴォルト帝国は大国として名高い国になっていますが、建国当初は敵が多かったのです。だから……嘘だろうと、本当のことだろうと、誇張して、我々、王族が統治することの正当性を刷り込ませたかったのでしょう。竜を切った、という伝説なんて格好がつきますからね」
少しシニカルな、それでいて寂しげな笑顔を見せてメイジが言う。ダウンはドアの脇に腰を下ろしている。ダウンを従者としてからメイジは一度も、ダウンが横になったり、眠ったりしているところを見たことがなかった。メイジが起きている間、特に言いつけない限りダウンはずっと傍にいる。そして朝目覚めてから、夜眠るまで、ずっと傍にいて欠伸一つしないどころか、いつ休んでいるのかさえ悟らせない。だんだん、メイジは休息さえもダウンには不必要なものなのではないかと思うようになった。
「ところでダウン、竜はこの里に限らず世界中にいるものでしょうか?」
「……いないことはないだろう。現にグヴォルトに竜騎兵がいるし、ドラスリアムの革命軍にいた、盗賊の末裔が連れていた。だが、その辺にいることはないはずだ。……この村が竜の里と呼ばれていようと、今や伝説のようなものだろう」
壁へ立てかけた宝剣に目を向け、それからメイジはベッドへ入った。
ファンランは広大な自然に恵まれた、豊かな国だ。グヴォルト帝国と陸続きで繋がっていて同盟が結ばれている。ファンラン各地を見て回る内にメイジは竜の存在と、目撃情報を知った。エグレットの相棒であるフレイドの他に竜を見たことがない。野生の竜を一目見たいという一心だけでファンランでも内陸、奥地にある高山の村を訪れた。それが今日のこと。とにかく体を休めるために一軒だけあった宿屋へ泊まることにした。
「おやすみなさい、ダウン」
「……」
返事はない。いつも通りだ。
目を閉じる。登山の疲れのせいか、すぐに眠くなった。意識を手放すと、闇の中で炎が盛っていた。
「なに、竜を見たい?」
宿屋を出てメイジは朝一番に里長を訪ねていった。家の前に置かれたタルにちょこんと腰掛けた老婆はメイジの願いを聞くと眉をひそめた。
「はい。ぼくは今、世界中の色々なものを見て回る旅をしています。ファンランで竜が見られると聞きました。そして、この里は竜と関わりが深いとも」
ダウンは離れたところで、のどかな里を怪訝そうに顔をしかめて見渡している。何か気に入らないらしいが、いつもの態度だとしてメイジは気にも留めないでいる。ダウンの性質は陰気。――それが魔導対戦とどう関係あるのか知らないが、少なくともそれに即した性格であることは分かりきっていた。
「ふうむ……。しかし、聖母龍様はこの時期に姿を現すことはない」
「そんなはず……。この山のふもとにある村で聞いたんです。竜の姿を見たって」
「ふん、奴らは邪竜信仰者よ……。人の恐れの対象でしかない竜に何を見出しているやら……。話が逸れたのう。とにかく、ふもとの連中は我らの信仰する聖母龍様とは違う竜じゃ」
忌々しく里長は言い、タルを降りた。そうして家の前へ来ると、山頂に小さく見える祠を見上げる。メイジは彼女に質問を重ねた。
「邪竜と……聖母龍……? 何なのでしょう、竜ですか?」
「邪竜とは名の通り、邪なる竜のこと。そして聖母龍は我らが全ての生命の母とも言える、聖なる竜の名。この里では聖母龍様を信仰し、毎年の恵みに感謝しておる。しかし、ふもとの連中は邪竜などを信仰し、邪竜に恐れおののきながら厳しい戒律によって生きるのじゃ」
「そうですか……。あの祠は?」
「聖母龍様が住まうとされている世界へ続く道があると言われている。しかし、行ってみたところで何もない場所じゃ……。わしらの里には言い伝えがある……。世界を変えようとする意思が現れる時、聖なる祠はかつての栄光を再び輝かせる、と」
「かつての栄光を……」
復唱してからメイジは山頂の祠を見上げた。何の変哲もない、ただの祠にしか見えない。
「あの祠へは行ってもよろしいのですか?」
「別に良いが……。この里より上は凶暴なモンスターが生息しておる。里にはモンスターを除けるための結界が張られているが、祠付近までそれは続いておらん。怪我しても知らぬぞ。まして主のような幼き身では……」
「その点についてはご心配なく。ぼくには頼もしい従者がおりますので。――ダウン、祠へ行きましょう」
一礼してメイジはダウンを振り返った。そして里を出て山頂へ向かっていく。里長は無言で従ったダウンを何とも奇妙そうな目で見送った。
「はて……。あの者、何か、不思議な雰囲気が……」
祠は石造りで祭壇の上に簡素で小さな建物がある。ドアは南京錠がかけられていたが柵のようになっているので中を覗ける。オレンジ色をした、片手で持つには少し大きな玉が鎮座されていた。
「ダウン、あの玉は何か分かりますか?」
「知らぬ。特に不思議な感じもない」
「そうですか……。ちょっと気になるのですが……」
玉を眺めながらメイジが呟く。そこから動こうとしないのでダウンはずっとよそを見ていた。
「あのオーブ、こっそり貰うことは出来ないでしょうか?」
祠に向き合い、腕を組んだままメイジが言った。しかめっ面のままダウンが横へ来る。
「壊して持っていけばいいだろう」
「それではバレてしまいます。不届きな輩が持っていった、と。だから、こっそり開けて、別のものと入れ換えたいんです。何か良い方法はありませんか?」
「……知らん」
面倒臭いとばかりにそっぽを向いてダウンは斜面に座り込んだ。ため息をついてからメイジはまた祠の中にあるオーブを見つめる。あれが欲しい。何かすごいことが出来るかも知れない。――そう、予感が脳内でささやく。
《ドラスリアムの翳りある子息よ。このオーブが欲しいか?》
急に声がしてメイジはびくりと体を震わせた。しかし、ダウンは何の反応もしていない。
《賢い子だ。そう、この声は汝にしか聞こえぬ。失落の戦士にも遠く届かぬ。さて、このオーブが欲しければくれてやる。だが条件がある。汝の勇をここに示せ》
祠のドアがいきなり開け放たれ、そこから中へ引き込むような猛烈な風が吹いた。ダウンが反応してメイジの後ろ襟を掴もうとしたが、その前にメイジの足がふわりと浮いて気流に呑み込まれていく。
「ダウン……!」
「反魔術」
とっさにダウンが魔術を打ち消す魔法陣を発動する。祠を中心に直径20メートルはあろう巨大なものだ。しかし、祠に吹き込んでいく風は何も影響を受けず、メイジを祠の中、輝くオーブに呑み込んだ。光と風がおさまろうとしてダウンも祠の中へ飛び込む。オーブに手を伸ばすと、視界がぐにゃりとねじ曲がってそのまま何とも分からぬ渦の中へ落ちていった。