No.51 揺るぎ出す世界①
「姫君は?」
魔業遠隔用無線電話装置に彼は喋りかけた。
『確認していない。だが無事だろう。こちらから何か関与したということはない』
「それは、それは……。で、最高傑作は?」
薄暗い部屋だ。閉め切られた西側の窓。遮光カーテンで燃えるような西日が差し込むことはない。埃っぽく、いたるところに分厚い本が散らばっている。金色の前髪を指でつまむようにしながらもう片方の手で受話器を持っている。
『ナンバー・ワンによってなぶられ戦闘不能になった。ナンバー・フォーが彼を殺そうとしたところを、ナンバー・ファイブが連れ去り、ナンバー・スリーを突破して逃亡。生きてはいるだろう。ナンバー・ファイブがついているならば尚更だ』
「なるほど。面白くなさそうだね? ミスター」
と、彼の部屋に鳶色の髪をした少女が入ってきた。15、6歳ほどの少女で、背もそう高くない。きびきびした動きで、目に強い力を宿している。彼女の腰には似つかない、幅広の剣があった。静かに一礼し、ドアの傍に待機する。彼は指で来るようにと合図し、それから手近にあったペンと紙を渡した。
『貴様の手はずはどうなのだ?』
「順調さ。ま、姫君さえそっちにいれば問題ないよ」
喋りながら、少女が書いた文字に目を通す。
〈クロウによる工作活動完了〉
にっと笑みを浮かべてから、彼は少女の頭を撫でた。少し戸惑ったような顔をしながら、彼女はされるままになる。
『Xデーは?』
「問題ない。一緒に覇権を取りましょう。役者はいるし、舞台も出来上がる」
『決行の日に会おう』
「ええ。こちらの準備は万端です。姫君のこと、くれぐれも頼みますよ。ミスター・セカンド」
『承知している。そちらも手抜かりなくしていろ。キール』
通信が切れた。受話器を置いて、金髪の青年――キールが少女の頭を撫でるのを止めた。少女の名はリム。王立魔術学院ホワイトウイングの1年生だった。
「さて、リム……。学長や教官たちは?」
「通常通りです。何一つ気取られていません」
「よしよし、これでいい。じゃ、お使いに行ってもらおうか。ガウセンフェルツだ。貴重品があれば、全て持っていきなさい。何かとんでもない事態が起きて、学院が消え去ってしまう可能性もなきにしろあらず……。いいね?」
キールが言う。カーテンを開けた。ホワイトウイング城内に設けられた、キールの私室だった。本は全てが魔術関連。難解な魔術の魔法陣を解析するものや、学会で発表された新たな魔術理論のレポートをまとめたもの。
「キール……それは、もう二度と戻らないようにするっていうこと?」
「うん、その通り。ここから、新たな歴史が始まるんだよ。現代に残る唯一の三雄、マクスウェル・ホワイトは学院とともに消える。そして、ぼくが新たな盟主となる」
「フォースは……どうするの?」
「ああ……彼らも、所詮は使い捨てだよ。ぼくの手にかかればどうにもなる。こっちには最強の魔術、最強の魔業、そして最高の魔力がある。クロウと落ち合って指示を待つんだ。ガウセンフェルツの第1研究所にある、魔業人形の起動準備をしてね」
「……うまくいく?」
「うまくいくさ。いや、そうなる。絶対だ」
ふふ、とキールは笑う。その顔に浮かぶ笑みは人畜無害の事務員キールではなかった。
「この世を手に入れるのは無能な王族でも、造られた存在でもない。三雄のような前時代の遺物でもない。この時代に即した、真に力のあるものなんだ」
「でも……学長は強いよ。魔導騎士団も、セブン・ダッシュとか……フォースだって」
「ぼくの方が強い。きみもだ。どこまでいこうと、彼らはしょせん人間なんだ。魔界の竜の血をひく者には勝てるはずない――」
西日を受けたキールの体。そこから伸びる影が大きく口を開け、竜のシルエットを作っていた。
「アウルスイーンまではあとどれくらいなの?」
吹雪く外の景色をアークは見ていた。セブンがアークに連れ去られてから5日が経過した。革命軍の拠点からセブンを追いかける形でアウルスイーンへ向かっている。しかし、アウルスイーンはドラスリアムの最北端に位置している。どうしても時間がかかっていた。
「この吹雪がどうなるか……。これまでの足で行ければ、あと少し。2日も歩けばきっと到着すると思う」
シュザリアの問いにシャオが答えた。シュザリア、アーク、クロエ、それにシャオとデュランという5人でアウルスイーンを目指している。ドラスリアムの地理に詳しいシャオの存在は頼もしく、革命軍の隠された拠点を通ることで食料を分けてもらい、比較的、時間を無駄にしないで進めた。それでも、5日という時間の経過は心配だった。セブンの消息は未だ不明。誰よりも心配をしているのはシュザリアだった。
「こんなところでじっとしているなんて出来ないよ。どうにかして行けないの?」
アウルスイーンへ近づくにつれて気温は下がり、とうとう吹雪に遭った。打ち捨てられた小屋を偶然見つけ、逃げ込んだ。デュランが小屋を簡単に修復し、隙間風などは防げるようになった。暖炉もあったので火を入れ暖を取っている。
「ドラスリアムの吹雪は悪魔とも言われるほどだ。体感温度は氷点下50度をも下回る。温暖な気候に暮らしていた君達にはとても耐えられる気温じゃない。死に急ぐようなものになる」
「でも、セブンが……」
「アウルスイーンに到着したところで、フォースを突破して彼を捜すなんて難しい。策を練りながら行かないと」
暖炉の傍で読書をしていたクロエが顔を上げて口を開く。
「その策はあるのかしら?」
「大雑把には。細部を詰めないと……」
「じゃあ聞かせてちょうだい。こうして足止めを食っている内に済ませておいた方がいいでしょう?」
分かった、とシャオは答えて床に座りこんだ。両手を合わせ、ぐっとその間を開いていくと魔法陣が現れていく。複雑な紋様。デュランが眉をひそめたがシュザリア達にはそれが何なのか分からなかった。
「何それ?」
「これは決戦用波動消滅魔法陣――。魔術師なら、誰もが知ってる名だと思う」
「それ、禁忌のはずだよ! 使えば最後、咎人になるっていう禁断の破壊魔術! 周囲のあらゆるものを破壊し尽くして、残るのは深魔の穴と咎人だけ……。そんなの、構成することさえタブーなのに」
アークが叫んだ。シュザリアでさえ、目を大きくして驚いている。ただ一人、クロエは神妙そうな顔をしていた。
「……これでも使わないとフォースは始末出来ない。革命軍の総帥だったディエゴが改良を加えて、革命軍の一員である証の契血印を刻んだものを身につけていれば効果は及ばなくなる。おれだって、こんなものに頼らないでフォースをぶちのめしてやりたい。けど、5人も相手取れるはずがないだろ?」
「咎人になるわよ」
「国を守れるなら本望だよ」
即座にシャオは言い返す。ゆっくりとまた両手を合わせると魔法陣が消えた。
「こいつを集めたフォースにぶち込む。そうすれば……終わる。でも、これを発動出来るのは一回きり。ただでさえ手強いフォースが、こいつを発動するまで待ってくれるとは思えない。死に物狂いでフォースを2人以上撃破して、それから残りの連中にビッグバンを食らわすのがプランだ。……確実に撃破したいのはナンバー・フォーのスピードだ。ビッグバン発動までに逃げられたら、水泡に帰す。そして、ナンバー・ワン。フォースの親玉。あいつだけはおれが許さない。――この手で息の根を止める」
顔の前でシャオは拳を握りしめた。その瞳に表れた憎悪の炎。クウがぱたぱたと小さな翼で飛んでアークの頭の上に乗った。怒りの炎に焦がされないように避難したようでもあった。