番外編4:ギルバートの想い(2)
新たに移り住んだ土地は、コルリ。
そこはキサスに住む以前、過去暮らしたことのある土地だった。
大きな港街で、物流も人々の交流も盛んな街だ。
魔術の歴史はキサスほどではないが、薬学や魔法はもちろん、多方面の学問に優れていた。
その頃には薬学や魔法の知識も、人並み以上には身に着けていた。
新たな分野を学ぶ上では、そう悪くない土地に思えた。
俺は魔術闘技祭で得た賞金で、コルリに住居を構えた。
ただキサスでブルーノと暮らした家はそのまま取り壊さずに静置した。
おそらく、キサスの街に戻ることは————二度とない。
そう心の中では思いながら、コルリからキサスに一方的に繋がるルートを魔術で作っていた。いつでもあの家に帰れるように。
理由は————未練、ということになるのだろうか。
人との交流は、より一層避けていた。
これ以上、感情というものに振り回されるのは御免だった。
話すと言えば————そうだな、薬屋のじじいくらいだった。
その薬屋は街で一番だ、と情報屋から仕入れた。
金さえ支払えば、どのような薬も作ってもらえる、と。
実際に言ってみると、評判通りそこは巨大な屋敷で、繁栄したコルリの街の中でも際立って目立っていた。
じじいは金を払えば薬も、材料の素材も何でも渡してきた。
さらに薬学のアドバイスも聞いてもいないのに、あれこれと喋りだした。
いつもじじいは、にこにこと気色の悪いほど笑っていた。
突然現れた俺が、どこから来た奴だとか、そういったことは全く聞かなかった。俺にとってはそれだけで十分にありがたかった。
屋敷にはじじいの孫のユウリがいた。
俺とは数回挨拶を交わした程度で無口なガキとしか思っていなかった。
もちろん俺も屋敷の人間について聞くようなことはなかった。
そうやって当たり障りのない会話を数度するくらいだった。
ただ————あれは、いつだっただろうか。
「人間を生き返らせる薬はあるのか」と、冗談まじりに一度だけ聞いたことがある。
ブルーノが生き返ることなどあるはずがない。それでも聞いてみずにはいられなかった。
じじいは一瞬驚いて目を見開いたが、「……そんなものはありませんよ」といつもの穏やかな調子で言った。
ただ、その目は笑っておらず、悲しみの色が滲んで見えた。
その時————直観的に理解した。
ああ————。
このじじいも、愛した『誰か』を失ったのだ————と、
憶測など不確かなものは嫌いだ。
必要なのは証拠、根拠、保証。
そういうものたちだ。
それでもその時にはそう思わずにいられなかった。
俺はそれ以上何も言わずに「そうか」と、じじいに一言告げて、その日はその場を後にした。
*
コルリで暮らして1年と経たない頃だった。
あの日————俺が止めていた時間を、無理やりにでも動かす出来事が起きた。
その日は朝からずっと分厚い雲に覆われていて、また世界が灰色に染まったようだ、とそんな錯覚を覚えていた。
そんな想像を巡らす自身に呆れ果てていた頃だ。
初めて訪問者を知らせる家のベルが、音を鳴らした。
すぐさまガンガンと強く叩かれる扉に、俺は小さく舌打ちをして、玄関へと向かった。
扉を開けて、目に飛び込んできたのは、この街では見かけることのない————巨大な虎、の姿だった。
しかし、それ以上に俺を驚かせたのは、虎が抱える一人の人間の姿だった。
「……!」
ブルーノ————と一瞬見間違えるほど、その人間の容姿があまりにも良く似ていた。
ピシャリ、と空で大きな雷の落ちる音がした。
————神のいたずらだとでも言うのだろうか。
当時はそんな気がしていた。
その人間が毒に侵されており、生死を彷徨う段階であるのは直ぐにわかった。
虎が慌てて一枚の紙きれを出すと、そこにはあの薬屋のじじぃの名前とこの家の住所が書かれていた。
この時はそれが、この人間を助ける口実になる、といったことまでは考えが及んでいなかった。
解毒薬は今、この家にはない。
薬屋のじじいまで連れて行くのには時間がかかる。何より身体を揺らすことは毒の巡りを早くする。
————考えるより、身体が動いていた。
その虎に「助けたければ、ついてこい」と俺は一言だけ告げると、キサスの街に繋がる秘密のルートにつながる部屋の扉を開ける。
今考えれば、別に放っておけば、よかったのだ。
見知らぬ人間のことなど。
*
久しぶりに戻ったブルーノとの思い出の家は、やはり煤の匂いがした。
虎に指示をして、毒に侵された人間をベッドに寝かせると、急いで戸棚にあった解毒薬を飲ませた。
それから3人分の空間移動で費やした力の残り、ありったけを振り絞り、治癒を施した。
力の配分など、わからなかった。
ただ『この人間を助けなくてはならない』、そう強い使命のようなものを感じていた。
ブルーノが帰ってくるわけではないのだと、頭ではわかっていたのに。
治癒が終わるころには身体中の力をすべて使いつくしていた。
俺は虎にその場を任せると、久しぶりの自室に戻り、少しの間、意識を失った。
目覚めた男の名はエルネストと言った。
名前など、聞きたくなかった。
それがブルーノであれば、どれほど良かっただろう、などと余りにも下らない期待を抱く自分に怒りを覚えていた。
「……お前らと馴れ合うつもりは全くない。俺は無駄な時間を過ごすのが一番嫌いなんだ。治ったならさっさと出て行ってくれ」
俺は目覚めたあいつにそう言った。
何よりも本心だった。
*
男はその後、魔力供給と引き換えにこの家にしばらく居ることを交渉に出した。
魔術も魔法も精通していない人間が、あれほどの魔力を所持している例を見たことがなかった。
興味がない————と、言えば嘘になる。
だが、それ以上に俺が抱いたのは嫌悪感だった。
試すような真似をするあいつに。
そしてそれ以上に————あいつをブルーノの姿と重ねてしまう自分に。
どうしようもない嫌悪感を抱えていた。
だから、あいつがブルーノとは違う証明が欲しかった。
気付けばこう言っていた。
「お前『魔術闘技祭』に出ろ」
あいつが優勝するはずなどない、とそう思っていた。
あいつには言わなかったが、自分も出場するつもりでいた。
自分が出場する理由は、優勝賞金のためだった。
俺が優勝して賞金を獲得し、あいつがブルーノでないと証明できる。
一挙両得だ。
俺は初めから打算的な人間だった。
だが、ある日あいつの特訓を覗きに行くと、予想に反して真面目に特訓をしていた。
————“くだらない”
そう、鼻で笑ってやるには、あいつの顔はあまりに真剣だった。
俺の前で見せるふざけた態度とはまるで違う姿だった。
*
それから数日経った大雨の日だった。
キサスの街で世話になった薬屋のじじいの孫のユウリが、この家に飛び込んできた。
全く予想もしない人間の登場に驚いたが、それ以上に、あいつのためにここまで飛んでくる人間がいる、という理由に驚いた。
あいつは手際よくタオルを持ってきてユウリの全身を拭くと、ソファに座らせて毛布を手渡した。
それからキッチンへと向かうと、すぐにチチチ……と、火のつく音がした。
相変わらず食物の匂いに鈍感な俺は何をしているがわからなかったが、温かいミルクティーを入れていたらしい。
あいつはいつの間にか、すっかりこの家のことを熟知していた。
あいつは未だ目の焦点が合わずに震えているユウリに、温めたミルクティーをゆっくりと握らせた。
しばらくして、ユウリがちびちび飲み始めると、あいつは安心したように微笑んだ。
俺の前では決して見せない顔だった。
————優しい奴だ、と思った。
*
魔術闘技祭、決勝戦の前の夜のことだ。
あいつは本当に決勝戦まで勝ち進んだ。
伝統衣装のローブを着たあいつが、ブルーノの姿にあまりにそっくりだった。
4年前、ブルーノが居なくなる最後の魔術闘技祭を思い出す。
俺は、最後まで一度もブルーノに勝てなかった。
(どうすれば……お前に、勝てんだよ)
あの日、俺はそうブルーノに問いかけた。
ブルーノは「俺が優しいから、気づかずに力をセーブしたんだよ」と言った。
そう気遣うブルーノは、俺よりずっと優しかった。
俺は意地でも目の前のこいつに勝って優勝しなければならない、とそう強く思った。
*
————決勝戦で、俺は負けた。
————ただ、俺は満足していた。
————あいつは、ブルーノと違う、とわかったからだ。
それは、俺がとどめを指す直前だった。
闘技場から聞こえてきた「負けんな!!」という声に、あいつは直ぐに反応して、笑った。
暗闇の世界の中で、あいつの顔は————
今までに見たことのないほど、パッと明るく咲いていた。
その瞬間、理解した。
あいつは、その声の主が好きなのだ、と。
————あいつは、俺じゃない ”別の誰か” が好きなのだ、と。
————あいつと俺が恋人になることはないのだ、と。
————あいつの視界に、俺は入らないのだ、と。
気付けば暗闇は晴れ、俺は地面に倒れていた。
胸には一本の矢が突き刺さっていた。
そして、負けを悟った。
俺はあいつの顔を見られず、目をそらした。
薄れゆく景色の中で「ギルバートに! 救護を!」と遠くであいつの声が聞こえる気がした。
胸の痛みは、ずっとおさまらなかった。
*
そして俺は————罰を受けた。
真実の鏡をあいつは俺の過去を見るのに使用した。
その可能性は十分にあると思っていた。それでもよかった。
俺のくだらない理由のために、あいつを巻き込んだからだ。
それなのに、俺の過去を見てもなお、あいつは俺を ”嫌いじゃない” といった。
俺を助けたことへの恩があるから、らしい。
あいつがブルーノと似た容姿でなければ、きっと見殺しにしていただろうに。
「俺と一緒に旅を、しないか」
そして、あいつはそう言った。
その理由は————「俺が、ギルバートと旅をしたいだけだ」と。
そう素直に口に出すあいつが、少しだけ羨ましいと思った。
俺が同意する理由はなかった。
拒否すれば良い。
「いかない」とそう一言、いえばいい。
何の利もないのだ。
これでまた、平穏が訪れる。
一人になれる。
————もう、感情に振り回されなくて、いい。
ただ、あいつにもう ”会えない” のだ————と。
そう思うと、心に冷たい風が吹くようだった。
その感情の名前は知っていた。
紛れもなく「寂しい」という感情だった。
「やっぱり俺は……お前のことが、嫌いだ」
俺は意を決して、そう口にした。
それを了承、と受け取ったあいつは、パッと明るい笑顔を見せた。
俺の声音がいつもと違うことに、気づいていたからだろう。
それを見た俺は、つられて笑っていた。
————自然に笑えたことなど、もうどれほど昔だろうか。
こんな感情を抱かせるあいつのことを、本当に嫌いになりたかった。




