番外編3:ユウリの大冒険(1)
それはラルフとエルがコルリの街から姿を消した、翌日の夜の事である。
街は暗闇に閉ざされて、道を歩く人々の姿はほとんど見当たらない。
そんな静寂の中、一人の青年がとある屋敷の扉を叩く音だけが夜の空気を震わせていた。
「どなたか、いらっしゃいませんか……」
青年はそのまま扉をコンコンと叩き続ける。
すると屋敷の中から誰かの足音が聞こえてきて、玄関の明かりが点いた。
扉が開かれると、屋敷の執事とも思しき、おじいさんが姿を現した。
「こんばんは。どちら様ですか」
「夜分遅くに……申し訳ありません。……サム、と申します。こちらは、あの、ユウリさんの家でお間違いありませんでしょうか」
「……そうでございますが、どのようなご用件で」
おじいさんは優しい笑みを浮かべる。
しかし、その表情からは相手への油断を忘れない緊張が奥底に感じ取れた。
サムはできるだけ相手への警戒心を解くため、両の掌を広げた。
それから思ったより自分の息が上がっているのに気付いたのか、呼吸を整える。
「あの、エル……! エルネストの友人なんです。彼が一昨日、こちらを訪れたと聞いて」
するとおじいさんは驚いた表情を見せ、それからすぐに扉を大きく開いた。
「……どうぞ、お話は中で」
*
サムは1階にある客間へと通された。
そこは文字通りの豪華絢爛で、サムは自然と自分の肩身が狭くなるのを感じていた。
おじいさんからは、紅茶を淹れるから少しここで待ってほしい、と伝えられた。
「……エルとラルフはこの家に来た翌日に姿を消した。何か手掛かりがあるかもしれない」
サムは部屋の周囲を見回す。
しかし椅子からは立ち上がらず、部屋の中を物色するようなことはしない。
「ここで何か事件の一部に既に巻き込まれていた可能性もある。……あの少年は、今この屋敷にいるんだろうか」
すると扉がガチャリと音を立てて、紅茶を乗せたカートを運ぶおじいさんが現れた。
カートの上には紅茶が3つ並べられている。
それを見たサムは怪訝な表情を浮かべた。
おじいさんは3つのカップのうち、模様が一段と華やかなカップのものをサムの前に差し出した。
「砂糖とミルクはお使いですかな」
「あ、いえ……。いや、頂きます」
それからサムは角砂糖を1つとミルクを少しカップに注いだ。
赤く透き通った紅茶は、たちまち白い渦を描いて淡い茶色へと色を変える。
紅茶が均一な色に変わっても、サムは執拗にスプーンでかき回していた。
角砂糖が溶け残っている様子はもうない。
その様子を見たおじいさんはほほ笑むと、もう一つのカップを自身の手元へと引き寄せた。
「では、私も失礼して」
そして、おじいさんはカップを手に持つと、紅茶を優雅に口に含んだ。
サムがそれを横目に、口を開こうとしたその時だった。
「あの……」
客間の扉が勢いよくバンと音を立てて開いた。
「じぃや、誰か来てるの」
「あ……」
それからサムとユウリの目線が交わった。
戸惑う表情のサムに、ユウリの表情は曇っていく。
ユウリは初めて会った時とは違い、やや憔悴したような表情をしていた。
瞼が大きく腫れている。
ユウリはサムを一瞥してから、不機嫌におじいさんの横に座ると、もう一つのティーカップを自身の手元に寄せた。
それから角砂糖を3つぽたぽたぽたと放り込んで、ミルクをたっぷりと入れた。
その間、サムは話の切り出し方が掴めないのか、黙ったままそれを見つめていた。
「……別に、何も入ってないよ」
ユウリはそう言うと、その小さな口元に紅茶が吸い込まれていく。
喉が渇いているのか、そのままゴクゴクと豪快に飲み干していく。
サムは先程のユウリの声が、自分に向けられたものだと初めは気づかず、反応が遅れた。
それから、恐る恐る紅茶に口をつけた。
それを見たおじいさんが自身のおでこにハンカチを当てる。
「申し訳ありません。坊ちゃまはこの通りでして」
「何それ、じぃや。どういう意味」
サムがカップを置くとカタリと音がした。
紅茶が思いのほか美味しかったのか、サムはため息を吐いた。
それから一呼吸を置いて口を開いた。
「あの、じぃや……って」
「……ああ。私は坊ちゃまの祖父なのです」
するとサムは驚き、ユウリとおじいさんを交互に見つめた。
「……あの、えっと。……あまりにも、その、キマっていたので、お屋敷の執事の方かと思ってしまいました。失礼な態度を取ってしまっていたら、すみません」
「いえ、構いませんよ。……そういえば以前、エルネスト様にも同じように勘違いされましたな」
『エルネスト』という単語が聞こえてきて、サムの肩がビクリと震えた。
サムの顔が強張る。
その表情を察したのか、おじいさんは紅茶を置き、サムに向き直った。
ユウリは既に紅茶を飲み干して、カップをくるくると回して遊んでいる。
「……話を引き延ばして申し訳ありません。坊ちゃまが来てからの方が話しやすいかと思いまして」
それからサムは、おじいさんとユウリから、現在の状況について掻い摘んで教えられた。
・その昔、コルリの街で起きた魔術師と獣族の抗争について。
・事件の原因として、ラルフがおそらく狙われたのであろうこと。
・おじいさんがエルに紹介したギルバートという人物に向かっている最中に事件が起きたこと。
・犯人についてはユウリが突き止めたこと。
・ギルバートが家で不在だったことから、おそらくギルバートの故郷であるキサスの街に3人共ワープした可能性が高いこと。
「エルネスト様は怪我を負っていたようですが、彼がついているならおそらく問題ないでしょう。彼は黒魔術師ですが、魔術全般や薬についての知識にも深い。キサスの街にワープしたというのがその証拠です。おそらく治療に都合が良かったのでしょう。彼は計算高い男ですから、無意味なことは致しません」
「ボクにも大丈夫だから、すぐ出発するなって、朝を待て……って」
おじいさんのその断言した口調が、サムの不安を少し拭い去った。
ユウリはキサスまで巨大化させたルイに乗って行くことをサムに告げた。
それでもキサスの街までは最低でも1週間程かかるということだった。
その話をしていたある時、おじいさんが思いついたようにサムに顔を向け、目を輝かせた。
「……サム様、坊ちゃまと一緒にキサスまで旅をしていただくのはいかがでしょうか。もしもそれなら、私もより安心致します。……本当は私が行ければ良いのですが」
「やだー!! ボク、この人、嫌い」
すかさず、ユウリはサムに人差し指を向け、猛抗議した。
「人に指を向けるんじゃありません!」
おじいさんの急な声に、ユウリはもちろん、サムもビクッと肩を震わせた。
それからユウリはすっかり萎縮して、大人しくなり、ティーカップを見つめている。
「それで……いかがでしょうか」
サムはおじいさんの顔を見つめたまま、目を逸らさなかった。
「……大変申し訳ないのですが、そのお話、お断りさせてください」
おじいさんは意外な顔で、しかし直ぐにキリッとした表情へと直る。
「……訳を、お聞かせいただけますか」
「はい」
ユウリもその返答には驚きだったのか、ティーカップをいじる手を止めていた。
顔こそティーカップをそのまま見つめているが、視線はサムに向けられている。
「まずエルが無事だという前提ですが、だとすれば俺が辿り着いてできることは何もありません。俺は2人が姿を消す前日に、自分にできることを探すためにエルとラルフと別れる決意をしました。呪いをかけられたエルのために。……それも2人には手紙ですが、ちゃんと伝えています」
「……ならば、一刻も早く2人の元へ駆けつけて、向こうで彼らの力になる方法を探しても良いのではありませんか」
サムの口元がぐっと引き締まるのがわかる。
「……そうですが。ずっと……ずっと、俺は2人の足手まといでした。だから今、自分の力を確かめたいんです。誰の手も借りずに。……だから、特別な理由はなくて、これは、ただ、俺のエゴなんです」
「……そうですか。……貴方様の覚悟は分かりました。ならば仕方ありませんね」
そう言うと、おじいさんは懐から小さな青い液体の入った小瓶を差し出した。
「これを持って行ってください。生命の危機に瀕する怪我も立ちどころに治す薬です」
サムの目の前で小瓶の中の青い液体がちゃぽり、と音を立てて揺れる。
「いえ、そんなものはもらえません! ユウリさんを見捨てると捉えられても仕方がないのに」
「いいのですよ、私は坊ちゃまを信じていますから。……でなければ、一人で行かせるようなことは致しません。……ですから、遠慮なく、ぜひお持ちを」
そして微笑むおじいさんに折れ、サムは小瓶を受け取った。
「……ありがとうございます」
「ですが、これは本人の生命を削って治癒力を最大限に引き出すもの。そう簡単に、お使いにはならないように」
それから、おじいさんは空になったティーカップをカートに乗せると、一度部屋を出て行った。
扉の閉まる音が響いた。
サムは緊張感で自分の肩が張っていたことに気づき、肩を下ろすと大きなため息をついた。
ユウリはしばらくサムを見つめていた。
しばらくそのままおじいさんが戻ってこないことを確認すると、おじいさんが座っていたサムの真正面の席に座った。
そして、サムの前にゆっくりと、自身の右手を差し出した。
サムは驚いた表情を浮かべる。
「これって……握手を求めてくれてる、のか?」
「……」
ユウリは何も言わずに、小さく頷いた。
それから2人は握手を交わした。
その表情からは、お互いを少し認め合うかのようなものが見えた。
ユウリの手の平はサムの手よりも、ずっと小さかった。




