優しい瞳
息が上がっていた。
目の前にいる人物の姿が、信じられなかった。
脳に、酸素が回っていかなくて、麻痺しているみたいだった。
―――髪、背丈、口元、形の良い耳。
「エル!!」
そして、その声が、さっき決勝戦中に聞いた声と同じ―――
サム、なんだ。
と、分かった途端、そのまま思わず飛びつきそうになった。
そして寸での位置で、立ち止まる。
「お、俺は……謎のウィルスに感染してるんだ……俺に触れちゃダメなんだ……」
「なんだよ、それ」
俺は謎の言い訳を披露する。
そしてサムが、優しく笑ってくれる。
―――その時、周辺の人々が俺の存在に気づいて、騒がしくなった。
「あれ、その衣装は」
「今さっきのエルネスト……じゃ、ないか?」
俺はフードをすっぽりと被った。
「こっちに来て」
そうサムに言って、俺は闘技場の外へ走り出していく。
*
外に出て、人気の少ない脇の路地へと駆け込んだ。
追ってくる人が、どうやらいないことに安堵して、ため息をつく。
改めてサムの姿をまじまじと見つめた。
勝手に外に出てきたことに対して、サムが「いいのか?」と俺に目配せをした。
その眼が―――すごく優しく見えて。
その瞬間に、突然胸がぐっ、と締め付けられて、目の奥がジンとした。
何かが喉に詰まってしまったように、うまく声が出せなくなる。
「この後、表彰とか色々あるんじゃないか?」
「……いいよ、そんなの」
―――言いたいことがたくさんある。
―――言えなかったことがたくさんある。
でもその思いは、今突然の事に何一つうまく言葉として出てこない。
「……ごめん」
「……え?」
口をついて出た言葉は、その言葉だった。
何に対しての謝罪なのか、自分でもよくわからなかった。
「俺、サムの気持ちが……何にも、分かってなかったと思う」
サムと別れることになった最後の夜の事を思い出していた。
まだ外の空気は少し肌寒い頃で、星がたくさん輝いて綺麗な夜空だった。
でも、月明かりに照らされたサムの顔は歪んでいて。
翌朝、ドアの隙間にサムからの手紙があって、それ以来―――か。
あの日の事を、何度思い返していただろう。
その度に、何度胸が苦しくなっただろう。
「……いや、俺の方こそ、至らない自分をエルに押し付けた」
「そんなことない」
しばらく沈黙が流れる。
お互いに何を口に出していいのか、考えあぐねていた。
「……ハハ」
その沈黙を破ったのはサムだった。
「え? どうしたんだ?」
「……いや、やっぱり変わってないなって。エルは、そういう優しいところが」
「そうかな?」
「うん、変わってない。俺の知ってるエルだ。……何も、変わってない」
そう言ってサムは笑う。
その顔がやっぱり変わってなくてサムが好きだ、と俺も言いたかった。
だけど、それはうまく言葉に出てこなかった。
―――でも、きっと今はそれでいい。
そう今この瞬間、サムの笑う顔を見ながら思った。
「エルはこの街ですっかり人気者、みたいだね」
「そう、なんだか不思議なことにね」
思わずドキッとする。
それというのも魔女の力によるものである。
俺に負けた人々は熱血な信者となって、そしてその人らを中心に、あることないこと俺の素晴らしさを街で吹聴しているようだ。
「サムは、この街にはいつ着いてたんだ?」
「昨日だよ。今日、エルの試合が見れて良かった」
「そっか。……それで、どうやってこのキサスの街まで来たんだ?」
「……え? 自力だよ、ただの、自力」
―――そんな、まさか。
ギルバートが言うにはコルリの街からはここまで最低でも1ヵ月はかかるとのことだった。
確かに修行の期間、それだけの時間は経過していた。
俺の驚いた顔を見て、サムが説明を始める。
「幸いな事にさ。エルやラルフが置いていった荷物とかもあったし、泊まるはずだった宿代も返金してもらってお金もあったし。結構なんとかなったよ」
そう言うと、サムは手持ちの財布を取り出して、
それを―――逆さまにひっくり返した。
「まぁでも、ここに来てついに、ほぼ空になったけどね。……勝手に使ってごめん」
「いや全然いいよ、それくらい。……本当は闘技祭が終わったら、コルリの街へ再びギルバートにワープさせてもらって、サムを探すつもりだったんだ」
「ギルバート?」
そうだ。
サムはギルバートには、会っていない。
「あ、そうそう。詳しくはまた今度話すけど、俺を助けてくれた人なんだ。今、そのギルバートの家に世話になってる」
「……そっか。やっぱり、その人が」
サムは納得したような表情をした。
しかしその返答に少し、違和感を覚えた。
「……やっぱり、って?」
「ああ、いや、なんでもない」
しかし、サムはその内容を話そうとしなかった。
俺は、ここまでの経緯を考える。
サムが自力でここまで来たことはわかった。
きっと並大抵の苦労で辿り着いたわけじゃないだろう、ことも。
でも。
―――どうやって、俺らが今このキサスの街にいることを知ったのだろう?
今の反応と言い、もしかすると誰かから情報を貰ったのかもしれない。
じゃなくても、サムはその気さくな性格と容姿から、情報を集めるのが得意だったはずだ。
「俺やラルフがここにいること、サムはどこで知ったんだ?」
「……ああ。うーん、それは……内緒、かな」
「内緒ってなんでだよ」
「俺の我が侭に付き合ってくれた、その人のために、かな」
我が侭というのは、なんなのだろう。
それにサムに協力してくれた人というのもわからない。
「ふーん。誰……だろ?」
ラルフは―――
俺と一緒にワープをして同じ状況だ。連絡手段がそもそもない。たとえサムに協力できていたとして、俺に伝えない意味がない。
ユウリは―――
想像できないな。宿屋の前でユウリとサムが初めて対面した時の事を思い出す。あの時ユウリはサムに敵意を剥き出しで、とても協力できる状況じゃなかっただろう。
ギルバートは―――
やっぱり、という言葉からもしかして面識があったのだろうか。だとすれば、一番可能性はありそうだが……しかし情報が少なすぎる。
―――それ以上の事は、サムの口からは聞けそうになかった。
「でも、もう俺が着いたってことは、コルリに戻る理由はないね」
「……そうか!」
言われて初めて気づいた。
俺は魔術闘技祭に優勝して、当初の目的を果たした。
次はコルリに戻りサムと再会することだったが、今その必要はなくなった。
「実はここまで来る途中で、魔女の情報を色々入手したんだ。この街の少し先に、魔女の城があるんだってさ。別荘の一つ、みたいなもんらしいんだけどさ」
―――別荘って。
やはり魔女はお金持ちなんだろうな。
魔女の道楽にどこまで付き合わされればいいんだ、と俺は胸のペンダントに向けて悪態をつきたくなった。
それにしても魔女の別荘とは、趣味が良さそうとは思えない。
魔女に会う必要は正直ないのだが、魔女討伐に向けて皆と結束力を高める必要はある―――。
「そうなのか、何かヒントがあるかもしれないな」
「うん、そう思うよ」
すると、目の前のサムがこちらを見てニコニコしている。
次の俺の発言を待っているみたいだった。
「また、一緒に旅をしよう、サム」
「ああ、もちろん。その言葉待ってた。……よろしく、な」
その瞬間、故郷であるダンテ村の風景を思い出した。
あの日―――俺が退院した日、帰り道でサムと魔女を倒す旅をしようって決めたんだ。
あの時もこうして挨拶を交わした。
その時、サムから握手を求められて、俺は―――応じられなかった。
そして、それをサムはひどく気にしていて。
今、サムはもう―――握手を求めてきたりしない。
「……俺の、力になってほしい」
気付けば俺は、右手を差し出していた。
それは、ここまで必死に守ってきた「サムに力を使わない」という自分の中の誓いを崩すものだった。
サムは案の定、驚いた表情をしていた。
「そこまで言ってくれる、って思わなかった」
「いや……。これからまた、よろしく……」
そして、固く握手をした。
―――サムの手は温かかった。
魔力がサムに向かって、少し、また少し、と細い糸のように流れていくのを感じていた。
「ああ、よろしくな」
―――もしかしたら。
幼い頃からずっと一緒に居た、サムじゃなくなってしまうかもしれない。
俺への感情が、何か変わっていってしまうかもしれない。
―――それでも。
今、目の前には、左手で目頭を少し抑えて、涙目で、でも嬉しそうに笑うサムがいた。
もうサムの苦しむ顔は見たくなかった。
だからそうしたんだ。
と、そう自分に言い聞かせていた。
それが正しいのか、正しくないのか、そんなことはわからなかった。
胸がなんだか少し、苦しかった。




