8話:魔将なんだから自制して欲しい
「あ、お姉ちゃん!」
簡易かまどのそばでリオンがボクを見つけて、嬉しそうに片手を振る。
猟師や冒険者が泊まる宿には、獲物の下処理や携帯食の準備ができるように共同炊事場がついていることが多い。済浴び場と同じく、今は他に人がいないようで、リオンが火を使っているのを見て、ボクはちょっとホッとした。リオンは気が弱いので、他人が列を作っているといつの間にかはじき出されたり抜かされたりして、永遠に順番が回ってこないことも多いからだ。
リオンの側には年配の女性が立っていて、興味深そうにリオンの手元を見ている。
たぶんこの宿で働いているおばちゃんだ。宿代を先に払う時に会ったと思う。
「あんたがこの子のお姉ちゃんかい?この子は面白い料理を作るねえ。こんなの見たことないよ」
「はい、リオン…弟が作っているのは『蜂蜜焼き』というお菓子で、この子が考えたんです」
「子供が小麦粉とバターを何に使うのかと思ったら、すごくいい匂いがしてきたので、思わず見に来ちゃったよ。道具も変わっているね」
リオンが使っているのは小さな四角いフライパンで、丸いくぼみが9個付いている。
普段は何も欲しがらないリオンが古道具屋の店先で見つけて、珍しく死んだパパに強くねだって買ってもらった大事な道具だ。
古道具屋の親父さんは、冒険者から仕入れた壊れた鎧を無理やり鍋やフライパンに作り替えちゃうのが得意な人だった。
リオンの小さなフライパンは、実は肩飾りを叩いて伸ばしたもので、さすがにこれは売れねえと思ってたよ!と大笑いしながらと安く売ってくれたのはいい思い出だ。
リオンはニコニコしながら蜂蜜焼きを焼いている。
簡単そうに見えて、実は奥が深い。リオンは濃さが違う2種類のタネを交互に少しずつ足しながら、丸く大きく焼いてゆく。
暴力的にいい匂いがする。
リオンが使っている木椀には、焼きあがったばかりの蜂蜜焼きがたくさん入っている。1度に9個焼けるけど、少なく見て10個以上はあるから2回焼いてくれたのかな?今のが3回目だとすると27個か。じゃあ節約すれば3日は楽しめるね!あれはアツアツも美味しいけど、冷めてしっとりしてきたのが一番美味しんだ。…ゴクリ。
ボクが物欲しそうにじっと見ていると、リオンが焼きあがったばかりの蜂蜜焼きをボウルに移し替え、ボクの方を見てニッコリ笑った。
「お姉ちゃん、お待たせ!たくさん焼いたよ」
漂う蜂蜜焼きの甘い香り、良いお天気、リオンの嬉しそうな笑顔。ボクもたぶんニコニコしている。ああ、こういう時間がボクは欲しかったんだなー、と昨夜死にそうになったことがもうどうでもよくなる。
「ね、ねえ。ひとつ味見させておくれよ!」
ぼんやり夢を見ていると、道具を片付け始めたリオンに宿のおばちゃんが焦った声をかける。リオンの蜂蜜焼きがよほど気になったらしい。でもダメ、それはボクも楽しみにしているんだから…とボクが口を開く前に、まるで当然のようにリオンが木椀の中から蜂蜜焼きを1つ摘み上げて、おばちゃんの手のひらに置いた。
「ちょっと熱いから気を付けてね」
「…ああ、ありがとうよ」
すぐにそれを口に入れたおばちゃんは、美味しすぎたのか目を白黒させている。
むむうう、1個減った!ボクの蜂蜜焼きが1個減ったぁ!!
ボクは平静を装いながらもこめかみピクピクが止まらない。
それにあっという間に一つ目を食べ終わったおばちゃんは、ビックリした顔から獰猛な獣のような顔になってこっちを見ている。いや正確にはリオンが抱えている蜂蜜焼きを見ている。しかも蜂蜜焼きの匂いに釣られたのか、他にも小さい子やら男の人もやってきてこちらを見ている。
マズイ。ここだと久しぶりの蜂蜜焼きを落ち着いて食べられないし、これ以上リオンが見知らぬ誰かに大事な蜂蜜焼きをタダで配ってボクの分が減るのもイヤだ。
「なんて美味しいんだい!ねえ、お金払うからもっと…」
「では失礼します~」
ボクは厄介ごとをさけるため、おばちゃんに蜂蜜焼きのお代わりを上げようとしたリオンの両肩を後ろから押して、2階の部屋に連れて行った。
「ねえリオン、いつも言ってるけど1人にあげちゃったら、他の人も欲しがって大変なことになっちゃうんだよ?」
「うん、そうだったね。ごめんね。でもほら、上手に焼けたよ」
急いで2階の部屋に戻ると、ボクは少し怖い顔をしながらリオンにお説教をした。
でもリオンはニコニコしながら蜂蜜焼きを差し出す。上手に焼けたのがよほど嬉しいようだ。知らない店で買うと、砂糖や小麦に混ぜ物が多いことがある。質の悪い小麦粉だと、さすがのリオンも途方に暮れるみたいだから。
ボクがまだ怒った顔をしていると、リオンがニコニコしながら蜂蜜焼きをひとつ摘まんでボクの口の前に差し出す。たぶんボクが言いたいことはまったく通じてないだろうなーと思いながらも、目の前にある焼きたての蜂蜜焼きの魅力には抵抗できない。ボクはごくんとよだれを飲み込みながら、リオンの指先ごとパクンと口に入れる。
リオンのビックリした顔を見ると、よけいに美味しく感じる。
「んん~美味しい~幸せ!」
◇◇◇ ◇◇◇
レオナが蜂蜜焼きの甘さに部屋の中で身悶えている頃、宿2階の廊下では怪しげな人影があった。いや、それは本当に「人」なのだろうか?
着用者の体格すら覆い隠すだぶついた長いローブに頭部をすっぽり隠すフード。
そして極めつけはのっぺりした金属製の仮面。身長は180セメルほどか。
さらに怪しいことに、ローブの真ん中あたりから燃えるような紅髪・紅瞳のまだ幼さの残る少女の生首が生えている。生首は口を真一文字に閉じたまま、紅瞳を扉の向こうへと向けている。その生首こそ魔将ディセリーヌ。今はその忠実たる従者ラフラカーンのローブの中に潜り込み、首だけ出してレオナ達の部屋の扉をわき目もふらず凝視していた。
実は昨夜ラフラカーンはレオナ達を見逃す前に密かに魔虫を放っていた。
この魔虫は小さく力もない。唯一の得意技は数十キロはゆうに届く「誘魅香」を放つことだ。そしてラフラカーンは薄れて消える前の「誘魅香」の跡を確実にたどり、レオナ達が泊まるこの宿にたどり着いて様子をうかがっていた。
そう、レオナが水浴びの際に気づいた視線はラフラカーンのものだった。
ラフラカーンとディセリーヌは無言のまま部屋の扉をにらみつけている。今もし魔法使いが通りがかったら、ラフラカーンの術に気づいただろう。それは「クレアボヤンス」。分厚い木製の扉に一方通行の魔法の穴をうがち、室内を透視する魔法である。
そしてその目前には、魔将とその従者が理解できない光景が繰り広げられていた。
あーん、と口を開いて待っているレオナ。
ニコニコしながら、蜂蜜焼きをつまんでレオナの口へと運ぶリオン。
蜂蜜焼きが口に入ると、「くぅ~甘いのが染みわたる!」と身悶えするレオナ。
その様子を難しい顔で見ていたディセリーヌがようやく口を開いた。
「…あれは…何をしている?」
「儀式の詳細は不明ですが、あの茶色い核のようなものを与えられた人族の女は、急速に体力・気力を回復し、他に見たことがない速さで満足度を向上させています」
「そ、それはオレの魔力を回復したものと同じか?」
「その可能性は…」
「可能性は??」
「非常に高いといえるでしょう。少女の魔力はすでに完全回復している模様です」
「か、完全回復だとぅ!?」
「…ディセリーヌ様、お静かに」
レオナも少々の魔力を持っていて簡単な生活魔法なら使えるのだが、その魔力量は人族の平均より少し上といったレベルに過ぎない。魔将たるディセリーヌの数千億分の1にも満たない魔力だったが、ディセリーヌの関心は「少女の魔力が完全回復した」というラフラカーンの何気ない一言だった。
数百年ものあいだ魔力不足に苦しみ、活動限界ギリギリの低魔力量にあえいでいたディセリーヌにとって「魔力の完全回復」という一言は、ラフラカーンの想像以上の誘惑となっていた。
『魔力の完全回復…完全回復…完全回復…完全回復…』
ディセリーヌの頭の中で、ラフラカーンの声が何度も響きわたる。
ディセリーヌが呆然としていると、目の前でレオナがまた1つ蜂蜜焼きを食べさせてもらった。これで4つ目だ。
「ま、まだ食べるのか?あの女はもう完全回復しているのではないのか??」
「どうやら完全回復が目的ではなく、食べることを楽しんでいるようです」
「楽しむだとぅ?」
魔力回復に苦労してきたディセリーヌにとって、それは一種のカルチャーショックだった。
このままでは、完全回復できる茶色い魔核の残りすべてを喰われてしまう…。
もちろんそれは魔核などではなく、リオンがレオナのために精魂込めて焼いた蜂蜜焼きであり、ディセリーヌも隠形しながら調理の現場を見ていたはずだった。
「…ラフラカーン、オレが取るべき手段はなんだ?」
宿の廊下に魔将の冷厳たる声が響く。
ラフラカーンは慌てて防諜の障壁を展開し、興奮を抑えきれないディセリーヌの声が外へと漏れないように配慮する。
「はっ。一つにはあの人族の男女を殺し、皿に残った茶色の魔核を奪う事です」
「…だがこの場では完全回復しようとも、魔核がなくなってしまえば、またオレは飢えるな」
ディセリーヌは即答した。
魔力の完全回復に心奪われているが、バカではない。
普段は短気で好戦的なディセリーヌが思った以上に思慮深いことに、ラフラカーンは感心した。
「ははっ。もう一つには、あの人族の女を殺し、男をさらってあの茶色い魔核をディセリーヌ様が望むだけ量産させる方法もあります」
「うむ。…だがあの人族の男は、あの女のためだけに術式を展開しているように見えた。あの女が死んだと分かれば、術式の維持が難しくなるのではないか?」
「その可能性は低くありません。ここは長期的視野に立ち今は手を出さず、あの人族たちを観察しながら茶色い魔核の情報を集めるのが良いでしょう」
「わかった。今は手を出さずに自制しよう」
『流石は我が主。自制心も大したものだ』とラフラカーンが思ったとき、レオナが5つ目の蜂蜜焼きをパクンと食べた。
そしてドーンという音とともに、目の前の扉はディセリーヌによって開け放たれ、次の瞬間には自制を誓った誇り高き魔将がレオナとリオンの前に仁王立ちしていた。
「オレにもそれを食わせろ!」
『自制するって…言いましたよね?』
ラフラカーンの声にならないつぶやきは、誰にも届かなかった。




