1話:魔将の忠実たる従者だが説明は苦手
「やはり蟲がついていたか…」
ディセリーヌは無感動に言葉を洩らすと、次の瞬間にはキラキラと水色に光る水晶のようなものを右手で摘み上げ、寝室の窓から入る陽の光にかざして眺めていた。
直径は2セメルほどか。周囲は淡い青色だが、中心に向かって深い蒼へと色が変わっている。
窓からの陽を浴びて宝石のように美しく輝くそれは、「魔核」と呼ばれているものだ。
その青さを見て、その美しさに今まで開かぬ口で吠えていた獣も一瞬口をつぐんだ。
そしてディセリーヌがまるで砂糖菓子のようにそれを口に運び、バリバリと音を立てていとも簡単にかみ砕く様子を見た。
魔核--それはこの世界において、魔獣や魔族が持つ命と魂の源のようなもの。
魔素によって生じた魔石を飲み込んだ小動物が魔物となり、極端に低い確率ながらも魔物が魔獣や半魔族へと進化する。
逆にいえば、体内の魔核を奪われることは魔物や魔獣にとって死に等しい。
青い獣は次第に冷たく動かしずらくなる自分の肉体を不思議に思い、縛り上げられた不自由な体勢のまま、自分の胸を見てみた。そこには黒々とした大きな穴が開いていた。その穴の暗さは、そこに合ったはずの魔核が奪われた証拠に他ならない。
最後にビクンビクンと意図せず痙攣すると、青い獣は意識を永遠の闇に落とした。
ラフラカーンはその数瞬ののち、ローブ越しに自分の首筋に触れてみた。
首は依然として胴体とつながっている。
それはディセリーヌが自分を許した証拠でもあった。
犠牲者に気取られず魔核を抉りだす手腕を持つディセリーヌにとって、差し出した首を落とす事など造作もない。それをしないということは、昨夜の事件の最後の目撃者となったラフラカーンが生きるのを許した、ということになる。
しかしなぜ生かされたのか?その理由を考えると、ラフラカーンは今ここで首を落とされた方がこの先楽だったろうな、と心の隅で昏く笑った。
なにしろ先ほどの青い魔獣を殺したことは、『あの方』への明白な敵対行為に当たるからだ。
おそらく使い魔が殺されたことに激怒したあの方が、ほどなくやってくるだろう。
今まで境界近くのいざこざは時々あったが、いくら監視されていたからと言って使い魔を勝手に殺すほどのトラブルはラフラカーンにとっても初めての事件だ。
だが主人の名誉を守るためには、あの秘密を他に漏らさぬためには仕方ない--。
ディセリーヌによって生かされたラフラカーンは、重い覚悟を決めた。
「ラフラカーン」
「はっ」
「昨夜、オレの身に起きたことを包み隠さず話せ」
その命令を聞き、腹心たるラフラカーンはさて何から話せばディセリーヌの激昂を買わずに済むのだろうか…と思案に暮れ、重い口調で言葉を選び始めた…。
◇◇◇ ◇◇◇
はあはぁ。
もうどれくらい走っただろう?
脚はもつれ、肺が破れそうになるくらい激しい息の音が聞こえる。
たぶん、この数時間近くはずっと同じ状態だ。
倒れるほど走って、しばらく冷たい夜道で昏倒し、また無理やり身体を起こして次に倒れるまで走る…いや歩き続ける。
こんな無茶をもう何アワトも繰り返している。
いや、ボクは何アワトも走っているつもりだけど、実はまだ10ミニトも経っていないのかもしれない…。
でももっと距離を!できるだけ森獄から離れたい!
走れば走るほど、遠ざかれば遠ざかるほど生き延びる確率が少しは上がる…はず。ボクはその考えに疑いを持たないようにして、走り続けた。弟分のリオンの小さな手を引きながら。
「お姉ちゃん待って。もう走れない。ぼくが先に殺されるから、お姉ちゃんだけ逃げて…」
「バカ言わないで!リオンとボクの二人で生き残る!それ以外は負けなんだからね!!」
何度目かの、いや何十度目かのリオンの生きるのをあきらめたような言葉にイラつきながらも、ボクは夜明けを迎えて明るくなってきた空を半分安堵、もう半分はまだ油断できないという緊張感で見上げていた。
ひょっとして生き延びることができたのでは?と思いたくなる甘い気持ちを、もうリオンを休ませてあげたいという優しい気持ちを、奥歯を食いしばって遠ざけながら。
ボクはレオナ。
15歳の女の子だ。ちょっと前まで、守護都市トゥエブリンに近い宿場町ゼロゼで暮らしていた。
でも猟師だったパパが魔物に殺されてしまって、弟分のリオンと二人きりになってしまった。
ママはボクが物心ついた頃からいない。何度かパパに聞いても悲しそうな顔をされるだけで何も教えてくれなかった。たぶん、パパにとってもつらく悲しい別れがあったのだろう。
でもそのパパが突然森で死んでしまった後、ボクたちは二人っきりになってしまった。
いや正確には、パパが死んでから今まで一度も会ったこともない親戚たちが大勢ボクたちの家に押しかけてきて、やれパパが借りたお金を返せとか、この家は義弟がもらう事になっていた--とか、ボクがよく分からない書類を振り回して連日連夜、大騒ぎしたのだ。
パパはボクたちが住んでい宿場町ゼロゼではそこそこ有名な猟師だったのだけど、ボクにずるい大人たちと戦う方法は教えてくれなかった。
声高に叫ぶ怒った大人たちに押しまくられ、にっちもさっちも行かなくなったボク達は、逃げるように生まれ育った町を出た。それが2日前のこと。
強欲な大人たちの隙を見て持ち出せたのは、わずかなお金と日頃から用意している狩りの荷物とリオンだけだった。
あ、リオンはボクの弟分。
「弟分」の意味は、実際にはボクとリオンの血はつながっていないから。
確かボクが10歳くらいの時に、パパが「森の中で一人で泣いていた」と小さな男の子の手を引いてウチに連れて来た。その時からリオンはボクと一緒に住んでいる。
その時リオンは確か7歳くらいだったと思う。ボクよりも年下で当然背が低くて身体も細く、たまに女の子に間違われていた。当時から弱虫・泣き虫で、そしてそれは今でもあまり変わらない。
口が悪い近所のおばちゃんたちは、「レオナちゃんよりリオンちゃんの方がよっぽど女の子だねえ」とよく言ってたものだ。
確かに元冒険者だったパパの影響で剣術や盾術に興味を持っていたボクに比べ、リオンはお料理やお菓子をせっせと作っていたからだ。リオン本人も剣術は嫌いらしい。
「ギラギラした剣を見ると、イヤな気持ちになるんだ」とよくリオンは言っていたっけ。
ひょっとすると、リオンが森獄に独りでいたことと何か関係があるのかもしれない。
そのせいか、近所の悪ガキたちにリオンはよくいじめられていた。もっともそんなことはボクが許さないんだけどね。
リオンが泣いて帰ってくると代わりにボクが出て、いじめっ子たちをボコボコにやっつける--それがボク達の日常だった。
でもボクは知っている。
リオンが実は強い芯を持っていることを。
パパがリオンを森獄で見つけた時、暗くなりかけた森の小道で、たった一人でボーッと立っていたらしい。
普通の子供なら暗闇の恐怖で泣きわめくところだ。
そういうボクも一人で夜の森獄になんかいたくない。魔物に襲われて、必ず死ぬから。
パパの話だと、リオンが泣かず静かにしていたことが逆に魔物を呼び寄せないでよかったらしい。
『運のいい子だ。たぶん強い心を持っているのだろう』
パパはいつもリオンの事をそうほめていた。
「リオン」という名も、パパが勝手に付けた。
リオン自身が自分の名前や親の名前・住んでいた場所も憶えていなかったからだ。
そしてなぜ危険な森獄に一人でいたのかも。
「あまりに恐ろしい経験をしてしまうと、大人でも数日間の記憶が飛んでしまうことがある」とパパは教えてくれたので、パパもボクもリオンが森獄にいたことについては、聞かないようにしている。
でも記憶がないのはともかく、リオンはどちらかというと手間がかかるけど可愛い弟分だ。だからボクが面倒を見るしかない。その思いからボクはずーっとリオンの面倒を見てきた。
とにかくもう12歳になっているのに何一つ自分では決められず、着替えすら時間がかかる。
女の子のように優しくて心穏やか…と言えば美点に聞こえるけど、パパの死後に押しかけて来た欲深な大人たちを見ると、リオンのように優しいだけだと悪い人間にすぐに騙されて死んでしまうか、奴隷として売り飛ばされてしまう気がする。
そしてボクたちはシクシィーを目指して旅をしている。
シクシィーはこの国、ハンゾナス王国にある守護都市の一つだ。守護都市は4つあり、森獄を等間隔でぐるりと取り囲んでいる。
シクシィーの街はボクの住んでたゼロゼとは、ちょうど森獄を挟んで反対方向。馬車でも30日以上はかかる遠い街だ。初めて旅行するボクたちにとっては、かなりハードルが高い。
シクシィーへは森獄を突っ切れば早いかもしれないが、魔獣や魔族が住む恐ろしい森獄の中心へは勇者様くらいしか入ることができない。だから森獄の淵に沿って、ぐるっと歩いていくしかない。
森獄は今でも恐ろしいけど、約300年前に勇者様が魔王を討伐してくれたおかげで、この300年ほどは魔族との戦争もなく平和が続いている。けど勇者様もすべての魔族や魔獣を討ち取ることはできず、生き残りがまだ森獄の奥深くにいるという話だ。




