9話:魔将のほっぺが落ちた
ボクは驚いた。
女の子がいきなりボクたちの部屋に入ってきたからだ。
燃えるようなセミロングの紅毛に紅瞳。目元はキツイけど、すごくキレイな顔立ちをしてる。
歳はリオンと同じくらいかな?たぶん身長はリオンより少し高いと思う。
服は…よく分からないが、高そうだ。騎士や冒険者が着るようなズボンとシャツのデザインに光沢のある紅色の生地。うん、やっぱり高そうだ。
紅い服が髪や目の色、そして抜けたように白い肌に合っていて、なんだかカッコイイ。
靴もちゃんとした革のブーツを履いている。うん、間違いなくお金持ちのコだ。
でも貴族の女の子…だよね??なんでドレスを着ないんだろう?
こっちじゃこういう服が流行ってるのかな?
「さあ、オレにもそれを食わせろ!」
そのコは開いた右手をこちらに差し出して、ビシッとポーズを決めている。
ひょっとしてリオンの友達なのかな?と思って、リオンの顔を見るとリオンも目をパチパチしている。どうやら知らないコらしい。
ボクたちが固まっているとそのコはポーズは崩さないまま、差し出した自分の手を見ていた。手が空っぽで何も貰えないのが不思議なのか、手のひらをニギニギしはじめる。どうやら『食わせろ!』と命令したら必ず何かもらえる甘やかされた生活をしていたみたい。
あ…なんだか腹が立ってきた。
「…キミさぁ、いきなり人の部屋に入ってきて、なんだい?失礼でしょ!」
立ち上がってビシッと言ってやると、そのコは『なぜ怒られる??』という感じでビックリした顔をした。あーもー、このコは甘やかされたお嬢ちゃんに決定。
早く出て行ってもらおう。
ボクはその変なコの横を通り抜けて部屋のドアを開けた。
そしてその途端、ボクは身体中から力が抜けた。
「…ひっ」
そこにいたのは、背の高い灰色のローブを着た『仮面男』だ。
すっぽりかぶったフードの中には顔は見えず、つるんとした金属製のマスクをつけている。
その姿には見覚えがある。そう、あの夜に…。
「えええっ、ど…どうして?」
ボクはそれだけつぶやいてその場にへたり込む。
どうして魔族がここにいるの?
ボクは恐怖とパニックで、頭の中がグチャグチャになる。
どうして魔族がこんなところにいるの?魔族は森獄から出てこないはずなのに…。
最悪なことにドアの外で立っていたのは、昨日の夜ボクたちが迷い込んだ森獄で出会った魔族の一人だった。背の低いもう一人の覆面魔族の後ろに立っていたヤツだ。
ローブ姿の仮面男が音もなく部屋の中に入り込んできてドアを閉め、ボクを見下ろしている。
何もしていない、ただそこに立っているだけなのにものすごい威圧感と殺気。ボクの身体はガタガタ震え始めた。たぶんボクはこれからあっさり殺されて死ぬ。
でも、リオンだけは何とか逃がしてあげたい…でも怖い。身体が動かない。
「なあラフラカーン、こいつらあの茶色い魔核をオレにくれないんだ」
最初に部屋に入ってきた女の子が振り返って怒ったように叫ぶ。その声。
ボクのなかで、ようやくつながった。
この女の子は…『お前ら、ここで何をしている?』と問い詰めてきた、昨夜の覆面魔族だ。
今のとまったく同じ女の子の声だった。
ボクは混乱する。
魔族が普通の人間の女の子のような姿をしているとも思わなかったからだ。
魔族は肌の色が青かったり角や翼が生えていたり、目が3つあって人間とはかなり違う醜い姿だと思い込んでいた。
それも仕方がないことだと思う。だってこの国では300年前に勇者様が魔王を討伐されて以来、誰も魔族の姿を見た人はいないのだから。
ボクも魔族の姿を知ったのは、絵物語にでてくる挿絵からだ。
そうだ、リオンは…?リオンだけでも助けなくちゃ…。
ボクはへたり込んでガクガク震えながら、なんとか首を回してベッドの奥に腰かけているリオンの方を見た。リオンは…まだきょとんとした顔をしている。
ひょっとして、この二人が魔族だってことが分かってないのかな?
だったらまずい。ああもう、身体が動くならすぐに一人で窓から飛び降りて欲しいくらいなのに!
「茶色い魔核って…ぼくが焼いた蜂蜜焼きが欲しいの?」
「ああ、それを今すぐ寄越せ!」
「ダメだよ。これはレオナ姉ちゃんのために焼いた分だから。さっきもぼくが勝手に宿のおばさんに1つ上げて、お姉ちゃんに怒られたんだ。『1人にあげちゃったら、他の人も欲しがって大変なことになっちゃうんだよ?」』って」
リオン…ボクのお説教を覚えていてくれて嬉しいけど、今は忘れていいの。魔族の狙いが何かわからないけど、蜂蜜焼きなんてみんなあげていいから。その間に少しでも逃げて!ボクは心の中で声にならない叫びをあげた。
「く、くれないのか?オレにはくれないのか??」
女の子の魔族が涙声になった。
見ると口をへの字にして、プルプル震えている。あ、これは涙をこらえている顔だ…と思ったとたん、ボクは息ができなくなった。
それは濃密な魔力の波動。
何か魔法を使われたわけではない。たぶん女の子の負の感情にあわせて魔力がうごめくだけで、ボクは震えることも息もできなくなった。身体がまったく動かない。金縛りだ。
あまりの危機と恐怖で身体が反応するのを拒否している。
まるで赤い水晶の柱に閉じ込めれたように周りが段々薄暗くなっていくのを見ながら、ボクはぼんやりしていく頭の片隅で『今から死ぬんだな』…と何の感情もなく考えていた。
魔力の波動がピタッと止まった。
ボクは激しく咳き込み、金縛りが解けたのを知った。ボクには1時間くらい金縛りが続いていたような気がするが、たぶん数秒しかたっていないのだろう。
「ねえ泣かないで。…1つだけなら味見させてあげるから」
のんきなリオンの声が聞こえて、ボクはびっくりした。
泣き虫でいじめられっ子のリオンが、ボクですら金縛りになったあの波動に平気そうにしているからだ。
「お、おう」
魔族の女の子は、リオンが両手で差し出した木椀に残った蜂蜜焼きをいろんな角度から興味深そうに見ながら一つを摘み上げた。
くんくんと匂いもかいでる。その仕草だけをみると、人間の女の子とまったく変わらない。
でもこの子は人間を殺そうとする魔族だ。ボクの恐怖は解けない。
魔族の女の子はパカッと口をあけて、つまんだ蜂蜜焼きをポイっと放り込んだ。
何かを確かめるような神妙な顔で、口を動かしている。
ボクの蜂蜜焼きなのに。リオンがボクのために焼いてくれたのに。
ボクはなんだか腹が立ってきた。
「…うぐぐっ、頬が痛む!毒だ、毒を盛られた!なんだこの痛みは!!」
リオンの蜂蜜焼きを食べた魔族の女の子が、大げさに床を転がりまわる。
身体は小さいのすごい力だ。床にへたり込んでいたボクは弾き飛ばされて、慌ててリオンが寄り添ってくれた。
それにしても魔族って失礼だな。
リオンが蜂蜜焼きに毒なんか入れるわけないのに。それとも蜂蜜って、魔族にとっては毒なのかな?じゃあ、たくさん食べさせるか?
そんなことを考えていると、すぐに後ろに控えていたラフラカーンと呼ばれたローブの『仮面男』がしゃがみ込み、魔族の女の子の様子を見ている。
「ディセリーヌ様。毒の成分や攻撃魔法の駆動はありません。おそらくそれは『美味しいものを食べた時に頬が落ちる』と呼ばれる、生理現象と思われます」
仮面の奥からは男でも女の声でもない変な声が聞こえてきた。まるで魔術道具を通して作ったような変な声だ。
『毒ではない』と聞いて安心したのか、ディセリーヌと呼ばれた魔族の女の子は暴れるのをピタリとやめ、再びモグモグ口を動かし始めた。
毒だと思ったら吐き出せばいいのに。
あと寝転んでものを食べるのはやめなさい!…と思ったけど、さすがに言えなかった。
「そ、そうか。この痛みは美味しいせいか。このような甘く柔らかい魔核、オレは今まで食ったことがないぞ?」
魔族って魔核を食べるんだ…とボクが驚いていると、ディセリーヌはシュタッと立ち上がり、また右手をリオンに向けてビッと突き出してポーズをとった。
「さあ、残りをぜんぶ寄越せ。昨夜、オレのお尻を触ったことは許してやるから!」
「ダメだよ。これはレオナお姉ちゃんの分だから」
リオンが蜂蜜焼きの入ったボウルを慌てて身体の後ろへと回す。
ん?…なんか今、いけない言葉を聞いた。
お尻?リオンがあのコのお尻を触った??オシリヲサワッタ…。
「何だったら、もう一度触っても良いのだぞ?お前にお尻を触られてから、オレは調子がいいからな!」
ヘーイ、カモン!という感じでディセリーヌがズボンのお尻を突き出し、ペチペチと小さな手で叩いてリオンを誘っている。
それを見て、ボクのなかで何かが切れた。
ボクはゆらりと立ち上がった。さっきまで腰が抜けてガクガク震えていたのに、今は不思議と恐怖心はない。それどころか、いろんな気持ちが沸き上がってきてじっと立っているだけでも辛いくらいだ。
でもボクはリオンのお姉ちゃんだから、まず聞かなきゃいけないことがある。
※9/22 ディセリーヌが覆面の魔族だったのが分かりにくかったので、一部テキスト修正。