第12話 母上御来訪
「ヴァルは、いるかしら」
正門の受付で、その女性は言った。
俺は荷受け用の台車を止めた。
ヴァル。
この城で、その呼び名を聞いたのは初めてだった。
女性は黒い髪をゆるくまとめ、深い紫色の外套を羽織っていた。
額には大きな角。背には、きれいに畳まれた黒い翼。
片手に、小さな籠を提げている。
「魔王様へのご面会でしょうか」
門番が尋ねた。
「ええ。近くへ来たから、顔を見ようと思って」
「失礼ですが、お名前を」
女性が名乗る。
門番は来訪者名簿へ記入し、認証台に札を置いた。
台の縁が、赤く光った。
次の瞬間、城の鐘が鳴った。
一度。
二度。
止まらない。
頭上で、鎖が激しく鳴った。
俺は台車を引き、後ろへ飛び退いた。
目の前に、落とし格子が突き刺さった。
左右の塔で鎧戸が閉まる。
通路の照明が、一斉に赤へ変わった。
遠くで、誰かが叫んだ。
「魔王様が来たぞ!」
城の奥から、聞き覚えのある声が返った。
「余は、ずっとここにいる!」
*
女性は格子の向こうに立っていた。
慌てた様子はない。
閉まった門を、懐かしそうに見上げている。
「まだ、この鐘を使っていたのね」
俺は格子から離れた。
「危ないので、近づかないでください」
「あなたもね。奥に、もう一枚あるでしょう」
頭上を見た。
確かに、二枚目の格子があった。
さらに離れた。
廊下の向こうから、魔王様が早足で現れた。
後ろにはリゼさん。別の通路から、ゴルド監督も駆けてくる。
「何事だ」
魔王様が格子の向こうを見た。
足が止まった。
女性が、小さく手を振る。
「ヴァル」
魔王様の背筋が伸びた。
「……母上」
俺は女性を見た。
魔王様を見る。
角の形が、よく似ていた。
*
シルヴィア・グランディオス
魔王様のお母様は、前代の魔王でもあるらしい。
俺は慌てて頭を下げた。
「存じ上げず、失礼いたしました」
「いいのよ。初めて会うもの」
彼女は格子越しに、俺を見た。
「あなたがシュウさん?」
「はい」
「ヴァルを助けてくれているそうね。ありがとう」
魔王様が咳払いをした。
「母上。まず、中へ」
「ええ」
魔王様が一歩進んだ。
床が鳴った。
「下がってください!」
今度は、俺も反応できた。
二人の間に、床から鉄柵がせり上がる。
魔王様が足を引いた。
お母様は、籠だけを少し後ろへ避けた。
俺たちは増えた柵を見た。
「ずいぶん厳重な歓迎ね」
「余の指示ではございません」
「そうでしょうね。あなたなら、玄関くらい開けておくでしょうし」
魔王様は口を開き、閉じた。
俺は手帳を出した。
*
認証台に、文字が浮かんでいた。
リゼさんが読み上げる。
「現魔王、在城。新たな魔王を認証……継承戦の準備を開始します」
俺は魔王様を見た。
お母様を見る。
「……お二人が、王位を争うと思われているんですか?」
お母様がうなずいた。
「昔は、次の魔王になる者が城へ挑みに来たの。そのときの設備ね」
鐘を鳴らして職員を避難させ、柵で戦う場所を区切る。
今は、その準備が勝手に始まっているらしい。
「今日は、息子の顔を見に来ただけなのだけれど」
お母様は籠を持ち直した。
認証台の表示が変わる。
『双方の同意をお待ちしています』
魔王様が、低く言った。
「待たなくてよい」
表示は消えなかった。
リゼさんが警備兵を呼ぶ。
「各部署へ連絡を。敵襲ではございません。閉鎖された通路には近づかず、その場でお待ちください」
監督は認証台の側面を調べていた。
警報、格子、床の柵。
台から伸びる線が、それぞれの設備へ続いている。
「まとめて止める仕掛けを探す。勝手に線を切るなよ」
「はい」
俺は台へ伸ばしかけた手を引いた。
お母様が、格子へ軽く手を掛ける。
鉄が鳴った。
「壊しても?」
「母上」
「通れる幅だけでいいでしょう」
「設備を調べておりますので、お待ちください」
魔王様の視線が、母親の手元へ落ちていた。
俺も見た。
格子が、少し曲がっていた。
*
お母様には外側の腰掛けで待っていただいた。
魔王様も、内側の腰掛けへ座る。
二人の間には、落とし格子と鉄柵。
リゼさんが事情を説明している間に、俺と監督は認証台の点検口を開けた。
中には、名前の刻まれた札が並んでいた。
呼ばれた職人が、一枚ずつ確認していく。
魔王様の札は新しかった。
その隣に、お母様の古い札がある。
どちらにも、『在位中』。
「前の登録が、残っています」
俺が言うと、リゼさんが点検口をのぞいた。
「退位の手続きは完了しておりますが……」
「役所の手続きと、この台の登録は別なんですね」
新しい魔王を登録しても、前の魔王は自動では消えない。
だから台は、お母様も今の魔王だと思っている。
魔王が二人そろったので、戦う準備を始めたらしい。
前の仕事でも、古い情報が残って誤作動することはあった。
ここでは、間に鉄柵まで生える。
職人が、札の下の金具を指した。
「継承戦が終わると、負けた方の札がこっちへ移る造りだな」
在位中の札が並ぶ場所と、退任した札を収める場所。
中は、二つに分かれていた。
お母様が腰掛けから声をかける。
「つまり、ヴァルを倒せば直るのかしら」
魔王様が顔を上げた。
「母上」
「すぐ終わるわ」
「息子の職場です」
「だから、早く済ませた方が」
「手続きでお願いいたします」
俺は台の中へ向き直った。
早く、戦わずに済む方法を探そう。
*
「譲位したときは、どこで登録を変えるんでしょう」
俺が尋ねると、職人は金具の奥を照らした。
「待て。こっちにも操作する仕掛けがある」
細い棒が、台の横へ伸びていた。
その先には、小さな押し板。
ただし、外側から板で塞がれている。
俺は表へ回った。
認証台の側面には、紋章を彫った飾り板が付いていた。
そこだけ、周囲より新しい。
「これ、外せますか」
「後付けだな。外すぞ」
職人が留め具を緩める。
板の下に、小さな認証口が現れた。
脇に文字がある。
『退任者はこちら』
俺たちは黙って見た。
監督が、外した板を裏返す。
「なぜ塞いだ」
リゼさんが古い整備記録をめくった。
「……用途不明の穴として、外観修繕の際に塞がれています」
俺は認証口を見た。
退任の入口が、きれいにふさがれていた。
「ここで手続きすれば、前の登録を変えられそうです」
お母様が立ち上がった。
「ようやく、退職できるのね」
魔王様は、何も言わなかった。
*
認証口の埃を取り、金具の動きを確かめる。
監督がうなずいてから、俺はお母様へ声をかけた。
「こちらに手を置いていただけますか。皆さんは、格子から離れてください」
お母様が籠をリゼさんへ預け、認証口に触れた。
光が走る。
『退任を申請しますか』
「ええ」
『理由を選択してください』
文字が並んだ。
敗北。
死亡。
行方不明。
お母様が黙った。
魔王様も黙った。
俺は表示の下にある、小さな金具を押した。
続きが出た。
病気。
譲位。
その他。
「譲位ね」
お母様が答える。
台の中で金具が動き、札が滑る音がした。
監督が点検口から確認する。
「移ったぞ」
お母様の札が、退任者の場所へ収まっていた。
『後継者を確認しました』
『ご在位、お疲れさまでした』
鐘が、短く鳴った。
赤い照明が消える。
頭上で鎖が動き、格子が上がり始めた。
続いて、床の鉄柵も沈んでいく。
俺たちは最後まで見届けた。
通路が開く。
魔王様が一歩進んだ。
何も落ちてこない。
もう一歩。
今度は床も開かなかった。
俺は手帳へ、退任登録完了、と書いた。
*
「改めて、お帰りなさいませ」
魔王様が言った。
お母様は笑った。
「ただいま、ヴァル」
近くで並ぶと、やはり似ていた。
目元も、角の曲がり方も。
お母様が手を伸ばし、息子の襟元を直す。
魔王様は動かなかった。
警備兵たちが、一斉に別の方を向いた。
俺も作業記録を見た。
今は、これを読んでいよう。
「少し痩せた?」
「変わっておりません」
「朝は食べたの?」
「食べました」
「何を?」
魔王様が止まった。
リゼさんが答えた。
「パンを半分と、お茶でございます」
お母様が息子を見た。
魔王様は認証台を見た。
俺も、金具に異常がないか、もう一度確かめた。
*
作業報告のため、俺と監督も応接室へ呼ばれた。
お母様の籠には、城下町で買った焼き菓子が入っていた。
リゼさんが皿へ移し、お茶を用意する。
先ほどまでの警報が嘘のように、静かだった。
「それで、本日は何か御用が?」
魔王様が尋ねた。
「顔を見に来ただけよ。少し心配だったし」
「御心配をおかけするようなことは」
「スライムを怖がったそうじゃない」
魔王様の手が止まった。
俺も、菓子へ伸ばした手を止めた。
監督だけが、普通に食べていた。
「……どなたから」
「お手紙よ」
「誰の」
「あなたの娘」
魔王様は目を閉じた。
お母様は楽しそうに続ける。
「お父様をいじめたスライムは、おばあ様が叱ってください、ですって」
「いじめられてはおりません」
「ええ。そうでしょうね」
「設備の異常により、通常とは異なる威力が――」
「怪我はなかったの?」
魔王様が言葉を止めた。
お母様は茶器を置いていた。
その目は、もう笑っていなかった。
「……ございません」
「そう。なら、よかった」
彼女は再び菓子を取った。
魔王様も、ゆっくり茶器を持ち上げる。
俺は皿へ目を落とした。
焼き菓子は、まだたくさん残っていた。
一つ取って、食べた。
*
帰り際、お母様は俺と監督へ頭を下げた。
俺も慌てて頭を下げる。
「今日は、ご面倒をかけたわね」
「いえ。設備を直せて、こちらも助かりました」
彼女はうなずき、廊下の奥を見た。
魔王様がリゼさんと、午後の予定を確認している。
「ヴァル、困っていても言うのが遅いでしょう」
俺は少し考えた。
玉座のこと。
スライムのこと。
記録には残すのかと、後から聞きに来た顔。
「……少し」
お母様が笑った。
「格好をつけたいのよ。昔から」
監督は何も言わなかった。
「無理をしていたら、止めてあげて」
「はい」
俺が答えると、監督もうなずいた。
「危ないときは、お下がりいただきます」
「頼もしいわ」
お母様は、安心したように笑った。
*
正門では、門番が背筋を伸ばして待っていた。
認証台の飾り板は、外したままだ。
退任用の認証口には、新しく札を付けた。
今度は、何に使う場所か分かる。
「次にお越しになる際は、先にお知らせください」
魔王様が言った。
「分かったわ」
「準備もございますので」
「ええ」
お母様は門をくぐり、振り返った。
「次は、お父様も一緒に来るわね」
魔王様が黙った。
俺は認証台を見た。
監督も見た。
「……お父様も、何か登録が残っていたりは?」
お母様は少し考えた。
「門や警備の仕組みを造ったのは、あの人よ」
俺は手帳を開いた。
監督が、俺の手を押さえた。
「今日は閉じろ」
俺は閉じた。
お母様を見送ってから、魔王様がリゼさんへ顔を向けた。
「明日から、朝食を増やす」
「承知しました」
少し間があった。
「母上には、そう伝えておいてくれ」
リゼさんのペンが動いた。




