第11話 帰れないなら、もう一本
「お前、今日は早く帰りたいか」
トトに聞かれ、俺は顔を上げた。
「毎日そうですが」
「じゃあ、この箱を開けるな」
作業台に、小さな木箱が置かれた。
蓋の隙間から、赤い紐がはみ出している。
「何が入っているんですか?」
「鍵」
「何本?」
「だから、開けるなって」
俺は箱を見た。
トトも、俺を見た。
少しして、彼は椅子を引いた。
「……座ってからにしろよ」
*
箱には、同じ形の鍵が詰まっていた。
どれも、頭に赤い紐が結ばれている。
俺は一本取った。
歯の部分に、小さな傷がある。
隣の鍵にも、同じ傷。
もう一本にも。
「何の鍵ですか?」
「東の倉庫。管理人に合鍵を頼まれてな」
俺は、箱いっぱいの鍵を見た。
「何人で使うんです?」
「二人」
「……ずいぶん余りますね」
「一本しか作ってねえんだよ」
俺は手元の鍵を見た。
トトは箱を指した。
「残りは、扉を開けたら増えた」
俺は手帳を開いた。
トトが椅子から立つ。
「現場、行くか」
*
問題の倉庫は、資材置き場の奥にあった。
先日のスライム被害とは別の建物だ。
壁は無事。
扉も普通。
俺は、それだけで少し安心した。
トトが鍵を一本見せる。
「今、持ってるのはこれだけ」
「腰袋も確認していいですか?」
「疑り深いな」
言いながら、彼は袋を逆さにした。
工具。
木片。
包み紙。
鍵はなかった。
「その包みは?」
「菓子。調べるな」
「そこまでは調べませんよ」
トトは包み紙を先に拾い、工具を戻した。
*
トトが鍵を差し込む。
回す。
かちり、と音がした。
扉を開け、鍵を抜く。
右手には、鍵が一本。
腰袋の中で、金属が鳴った。
トトが左手を入れる。
もう一本、出てきた。
赤い紐。
同じ歯の傷。
俺は二本を見比べた。
「……合鍵って、こう作るんですか?」
「そうなら、俺は今ごろ昼寝で食ってる」
彼は二本とも、俺へ渡した。
確かに、重さも同じだった。
*
増えるのは、解錠して扉を開け、鍵を抜いたときだけ。
差し込むだけでは増えない。
施錠して抜いても、増えない。
俺は手順を書いた。
トトが横からのぞく。
「文字にすると、馬鹿みてえだな」
「なぜです?」
「鍵を使うと、鍵が増えるって書いてある」
「実際、増えています」
「分かってる。だから嫌なんだよ」
俺は扉の内側を見た。
錠前の下に、古い金属板が付いている。
埃を払うと、文字が読めた。
『使用した鍵は返却されます』
俺はトトを見た。
トトも、金属板を見た。
「……返さなくていい方まで、返しているんですかね」
「親切すぎるだろ」
この部屋は昔、鍵を探して扉を開ける試練に使われていたらしい。
使った鍵を手元へ戻す仕組みだけが、今も動いているのかもしれない。
「元の鍵では、起きなかったんですか?」
「ああ。管理人が毎日使ってる」
トトは合鍵の先を示した。
「古い鍵は縁が削れてたからな。少し調整してある。奥の何かに触れてるのかもしれねえ」
彼は鍵を受け取り、扉を閉めた。
何気なく施錠する。
もう一度、開ける。
抜く。
腰袋が鳴った。
俺たちは、袋を見た。
「今のは?」
「……閉める癖で」
また一本、増えた。
*
ゴルド監督へ報告すると、錠前の交換許可が下りた。
古い設備は、魔術担当へ渡す。
増えた鍵も、一緒に提出する。
「数を記録しておけ」
監督はそう言って、別の現場へ向かった。
俺は木箱を見た。
トトも見た。
最初に開けるなと言われた理由が、少し分かった。
作業台へ戻ると、トトが椅子を二脚持ってきた。
片方を俺の前へ置く。
「座れよ」
「手伝ってくれるんですか?」
「俺が持ってきた仕事だろ」
彼は腰袋を外した。
工具と鍵を机へ出し、袋を脇へ置く。
俺も箱から鍵を取り出した。
十本ずつ並べる。
紐が絡まないよう、向きをそろえる。
赤い紐ばかりが、机に広がっていった。
「最初、どうして何度も試したんです?」
「増えた方も、ちゃんと開くのか気になって」
俺は手を止めた。
トトが顔を上げる。
目が合った。
「……似ていますね」
「誰とだよ」
「俺と」
トトは少し黙った。
それから、鍵を一本こちらへ滑らせた。
「いいから数えろ」
俺は笑って、次の列へ加えた。
*
錠前の交換では、俺が扉を支えた。
トトが内側の板を外す。
細い指が金具の間へ入り、留め具を順に外していく。
落ちかけた部品を、見ずに受け止めた。
「器用ですね」
「仕事だからな」
「昔から、こういうことを?」
「子供の頃は玩具を開けてた」
「直すために?」
「中を見たくて」
俺は黙った。
トトが口の端を上げた。
「分かるだろ」
「……多少は」
「戻せなくなって、怒られた」
「そこも、多少は」
扉を支えたまま、二人で少し笑った。
新しい錠前を取り付ける。
鍵を差す。
回す。
開ける。
抜く。
一本。
腰袋には何も増えていない。
俺が使っても、同じだった。
「追加のお土産は?」
「ありません」
「よし。まともな扉だ」
トトは鍵を管理人へ渡した。
*
古い錠前を包み、鍵を箱へ戻す。
提出する鍵は、全部で六十二本になった。
俺が記録を書いている間に、トトは机の工具を腰袋へ戻した。
箱の蓋を閉め、持ち上げる。
「合鍵一本のつもりだったんだけどな」
「ずいぶん増えましたね」
「仕事もな」
作業場へ戻る途中、終業の鐘が鳴った。
トトの歩く速度が上がった。
俺も少し急ぐ。
箱を提出する。
工具を片づける。
作業記録へ署名をもらう。
俺が手帳をしまう頃には、トトはもう上着を替えていた。
「早いですね」
「帰る準備は、練習が効く」
「毎日やっていますからね」
「お前も、もう少し練習しろよ」
入口で待っていた彼が、外を指した。
「飯、行かねえ?」
「寮の食堂ですか?」
「今日は街。うまい串焼きがある」
窓の外では、店の灯りがともり始めていた。
仕事帰りに、その中へ入ったことはまだない。
「……いいですね」
「じゃあ、お前のおごりな」
「なぜ?」
「箱、俺が運んだから」
「扉は俺が支えました」
「じゃあ割り勘だ」
話が早かった。
*
串焼きの店は、細い路地にあった。
低い椅子へ座ると、膝が卓の裏へ当たった。
トトが笑いながら、通路側へ場所を空けてくれる。
「これにしとけ。見た目ほど辛くねえ」
皿には、赤い粉のかかった肉串が並んでいた。
一口食べる。
うまい。
その直後、辛さが来た。
俺は水を取った。
トトが肩を揺らす。
「見た目ほどじゃねえだろ」
「見た目より辛い」
「そうとも言う」
俺は、もう一度水を飲んだ。
「敬語、やめていいぞ」
トトが串を一本取り上げた。
「同じ現場で働いてんだ。そんなにかしこまるなよ」
「……じゃあ、遠慮なく」
俺は皿を彼の方へ押した。
「次の一本は、トトが食べて」
「うまいだろ?」
「うまいけど、説明は訂正してほしい」
トトは笑って、串を取った。
手帳は鞄に入れたままだった。
何かを確かめる必要も、記録する必要もない。
皿が空くまで、俺たちは仕事以外の話をした。
*
「寮暮らし、慣れたか?」
「部屋は快適。食堂もうまい」
「煮込みだろ」
「うん」
「あそこ、だいたい煮込みだからな」
俺は笑った。
「トトは寮じゃないんだ」
「ああ。裏通りの部屋を借りてる。ここから近いぞ」
彼は腰袋へ手を入れた。
止まった。
もう一度、探る。
上着の内側にも手を入れる。
俺は串を置いた。
「どうした?」
「鍵」
俺は彼の顔を見た。
彼は何も言わなかった。
昼間、机へ並べた鍵を思い出す。
赤い紐。
工具と一緒に、腰袋から出した鍵。
俺は慎重に尋ねた。
「家の鍵にも、赤い紐?」
「……全部、同じ紐を使ってる」
俺は卓へ肘をついた。
少し耐えた。
耐えられなかった。
「笑うな」
「ごめん」
「笑ってるだろ」
「うん」
トトが両手で顔を覆った。
俺は水を飲んだ。
飲み込んでから、もう一度笑った。
「今夜、寮に空きあるか?」
顔を上げたトトが尋ねる。
「監督に相談だな」
「飯のあとでいいか」
俺は皿に残った串を取った。
「冷めるからな」
トトも、もう一本取った。
六十二本も鍵を数えた日に、帰れない男が隣にいた。




