07 姉と弟
「このイカ、マズいな」クチャクチャ
龍から人の姿に戻ったレインはのんきな顔でぼやいた。
レイン、クモリ、タイヨウの三人は〈冥門海峡〉を命からがら突破し、目的地である〈模倣の宮殿〉大広間で小休止していた。
「タイヨウ殿と一緒に吐き出したらよかったろうに」
クモリが言う。
「もったいない」クチャクチャ
とだけ返した。
レインが口にしているのは〈閻魔大王イカ〉の切れ端。
イカに捕らわれたタイヨウを救った(食べた)際に、ついでにかみ切ったものだ。
彼女の食い意地の強さはどこからくるのだろうか、とクモリは思った。
二人の会話に反応してか、レインの横でぐでぇとなって気絶していたタイヨウが目を覚ました。
「あれ?ここ、大神殿……?」
タイヨウが間違えるのも無理はない。
〈模倣の宮殿〉は外観・内観ともに〈大神殿〉とそっくりだったからだ。
模倣といえば聞こえはいいが、要するにテクスチャの使い回しである。
白い壁に囲まれた、小さい窓を左右に四つほど配した教会風の建物。
前方には大きなステンドグラスと祭壇が設けられている。
違うところがあるとすれば、左右の壁に大きな絵画が四点掛けられていることと、奥の祭壇のそのまた向こうに黒い鉄扉が置かれていることくらいであった。
「私、助かったんだ……。てっきりイカに食べられたのかと」
「我が助けたのだぞ!」クチャクチャ
レインはイカを咀嚼しながら鼻をフフンと鳴らした。
「レインが?ありがとう」
命を救ってもらったわりには、ずいぶんと簡素なお礼で済ますのだな、とクモリは思ったが、自分はタイヨウを見捨てた身なので黙っていることにした。
するとタイヨウはクモリのもとへとツカツカと歩み寄る。
私が見捨てたことに対して、イヤミの一つでも言うつもりか。
そう邪推したクモリは、心の中で少しだけ身構えた。
「状態異常は無いみたいね。HPはーー、まだ九割残ってるけど、一応〈ヒール〉かけとくね」
とだけ言って、タイヨウは回復呪文を施した。
「必要ない……。ここはセーフゾーンのはずだから」
「そうなの?ま、一応ね。クモリさんも助けてくれてありがとう」
「タイヨウ殿を救ったのはレインだ。私は関係ない」
「そうなの?」
「見捨てて……悪かったな」
「全然!気にしないで!私かクモリさんなら、私を切り捨てた方がいいでしょ?どうせ私は生き返るし」
その言葉を聞けて、クモリは少し安堵した。
「あとレインも、次から私のことは見捨ててくれてかまわないからね。クモリさん最優先でお願い」
タイヨウは申し訳なさそうにレインに頼んだ。
「そんなこと言うなよ。仲間じゃないか。助けるのは当然だ」クチャクチャ
レインは悪意なく言ったのだろう。
しかしクモリにとっては痛い言葉だった。
これではタイヨウを救えなかった私が、無能みたいじゃないか。
このままでは〈イガのシノビ〉全体のメンツまで危うい。
クモリはそう考え、宝物庫の扉まで歩みを進めた。
不気味な扉だった。
血の池から這いだそうとあがく亡者が無数に彫刻されている。
扉表面には小さな魔法陣が四つ、赤く輝いていた。
「この扉の向こうに星詠みさんがいるのね。開け方は……アイテムを四つ集めて、あの魔法陣に当てはめろって感じ?」
タイヨウは魔法陣を指して言った。
「その通り。絵画が四点飾ってあるだろう?あれに飛び込むと、別世界に飛べるんだが、そこに潜むボスを倒すとキーアイテムが手に入る」
そうして集めたキーアイテムを当てはめれば扉が開く、〈エルダーテイル〉においてはよくあるダンジョンギミックだ。
「うわ、めんどくさ」
「そう。しかも四ステージとも"レイド"だ。真正面からバカ正直に立ち向かう時間はない。だからキーアイテムを今からここで"創る"」
「そんなことできるの?」
「冒険者には無理だろうな。なにせ〈イガのシノビ〉にのみ許された里の口伝だ」
そう言うとクモリは忍び装束の中に手を入れてごそごそと探った。
「あの、そもそもの話なんだけど、なんでこんなところに大地人が入り込んじゃったの?」
「星詠み本人曰く、誤って〈妖精の輪〉に入ってしまったそうだ」
クモリはふところから道具を二つ取り出し床に置いた。
・〈ロングソード〉
・〈オークのワンド〉
「これが素材?初心者用の武器じゃん」
「必要なキーアイテムは四つ。
・〈炎帝の剣〉
・〈緑翼の儀杖〉
・〈人声妖魚の王の蒼鱗〉
・〈地母なる一角獣の角〉
まず剣と杖をこれで間に合わす」
「レアアイテムっぽい響きだけど、それを合成して作るわけ?」
「いや、こんなしょぼい素材から合成して作れるような代物ではない。だが、魔法陣をダマすための"偽物の素体"としては十分だ」
「へ〜」
「この魔法陣は、アイテムの識別センサーにあたる装置だ。正式名称は"第二十八式貴物放射色感知源"。つまりアイテムから放たれる"精霊線"の色から個体を判別している型になる」
「"セーレーセン"?なにそれ?追加パックの新要素?」
「なんだ知らないのか?あらゆるアイテムには火・風・水・土いずれかの属性が付与されているんだ。量としては微弱だから、通常であれば目視はできない。特殊なセンサーでも無い限りはな。この性質が施錠システムとして便利だから、宝物庫などに広く応用されているんだ。実はアイテムへの属性付与も実は精霊線を応用した仕組みなんだぜ。つまり物体の精霊線量を魔法の力で増幅させることで発現ーー」
「そんな設定……あったっけ……?ま、いいや。鍵開けよろしくお願いします」
「え?あぁ、鍵開けの途中だったな」
クモリは"精霊線量比較表"と書かれた資料を取り出した。
「さっき挙げたアイテムはいずれも秘宝級。しかし精霊線量に関して言えば、ごくごく一般的な値に過ぎない」
そう言って、今度は装束から小さな壷を二つ、ヘラ一つを取り出した。
クモリは壷から赤いペーストをすくうと〈鉄の剣〉に塗りつけた。
「へ〜。料理してるみたい」
「"火"属性の精霊線量を調整してるんだ。〈炎帝の剣〉は百二、〈ロングソード〉は二だから、この粉を塗りつけて、百だけ足せばいい」
「へ〜」
「簡単そうに見えるが、やっかいなこともある。ペーストにする課程で水を使うので、どうしても水属性を含んでしまうんだ。だからその水属性を抜くために、火属性をだなーー」
「あの、解説はおもしろいんだけどさ、中にいる星詠みさんが待ってるから……」
「あぁ……私の悪い癖だ……。一応、従者からの報告だと星詠みは健康そのものだそうだが、急ごう」
クモリは黙々と作業を進め、赤色のペーストを塗りたくった〈ロングソード〉と、緑色のペーストを塗りたくった〈オークのワンド〉を扉にかかげた。
すると二つのアイテムは魔法陣の前でフワフワと浮遊し出した。
「こんな方法があるのね」
「ただ、〈人声妖魚の王の鱗〉と〈地母なる一角獣の角〉は少し"精霊線量"が特殊でな。そのへんの制作級アイテムくらいでは数値が合致しない」
「じゃあどうするのさ」
「"名案"がある。レイン!こっちに来てくれ!」
「なんだ?」クチャクチャ
「少し染みるかもしれないが、我慢しろよ」
そう言ってクモリはレインの手のひらに"青いペースト"を塗りつけた。
「ヒャッ!冷た!」クチャクチャ
「レインの鱗と、角の精霊線量がキーアイテムにぴったりだったんだ。これすごくないか?」
「人型のレインに鱗なんて無いじゃん。龍に変身してもらうの?」
「人型のままで問題ない。"精霊線量保存の法則"って言ってな。龍形態だろうと、人間形態だろうと、肉体の帯びる"精霊線量"に変化はない。さぁ、次は角だ」
「おい角はやめ……ヒャン……!」
手のひらに"青いペースト"を、角に"土色のペースト"を塗りたくられたレインは、頬に熱を帯び、妙にしおらしくなった。
「で、レイン。すまんが手と角とを、左扉の二つの魔法陣ところにくっつけてくれ」
「ウン……わかった……」
レインが言うとおりにすると、四つすべての魔法陣が赤から青に変色し、振動をともなって扉がゆっくりと横に開きだした。
「レイン!そのまま扉から離れないようにな!離れたらまた閉じてしまうから!」
「ウン……」
いかにも邪道な方法で開いた扉の向こうには、宝物庫らしく宝箱が多数散らばっていた。
そしてそこには、二人の人物が立っていた。
◆
「無事か!?クモマ!」
クモリは二人のうち、少年の方に駆け寄って、抱きしめた。
年齢にして十一歳。
白と金色を基調とした、陰陽師めいた衣装をまとっている。
クモリと似た、クセの強い銀髪だった。
「お姉ちゃん……!」
少年は当惑した表情で彼女を見た。
感動的な再会にそぐわない、うつろな目をしていた。
「ケガはないか?」
「大丈夫……」
ステータスを見る限り、HPに減少はなく、状態異常も無い。
「よかった……。恐かっただろう。もう安全だ。さ、お姉ちゃんたちと一緒に帰ろう」
「あ、星詠みって弟さんだったの?」
タイヨウが言った。
「紹介しよう。星詠みの〈クモマ〉。私の実の弟だ。種族は〈ハーフアルヴ〉だがな」
星読みの少年は紹介を受けた後も、うつむいたまま黙りこくっていた。
「ほら、あいさつ」
クモリにせかされ、ようやくクモマはペコリと一礼した。
タイヨウもそれを受け、何度もペコペコと礼を返した。
タイヨウは、クモマの横に立っている従者風の男性に対しても礼をした。
しかし彼からの反応は無かった。
黒スーツに黒のサングラスをかけた猫人族の男性だった。
「あー……、〈黒猫〉のことは気にするな」
クモリが言った。
〈執政公爵家〉の〈星詠み〉にはそれぞれ、〈猫〉と呼ばれる従者があてがわれる。
猫人族がこの役を務めるわけだが、従者としての"教育"の過程上どうしても感情が消えてしまう。
だから礼節にも疎くなってしまうわけだ。
その分実務面は優秀だが、困ったものである。
クモリはいつもながらに思った。
とはいえそんな事情を説明している時間もない。
「さ、帰るぞ」
クモリは弟の手を引いた。
しかし、彼はその場から動こうとしなかった。
「どうした?」
「…………」
「体調が悪いのか?とにかく〈イコマ〉に戻ろう。しばらく仕事を休んだっていい。ほら」
クモリは再び彼の手を引いた。
クモマは姉に引っ張られるかたちで、出口へと向かっていった。
「クモリ様、お待ちください」
従者の黒猫が低い声で彼女を止めた。
「宝物の回収がまだ済んでおりません」
「…………。クモマ、悪いけど少しだけ待っててくれるか」
クモリは弟を手離すと、装束から〈盗掘王の針〉を取り出して解錠を始めた。
「そっちでやっておくと言ってたじゃないか」
クモリは黒猫に言った。
「はい。試みましたが、失敗しました」
「むぅ、一体何個あるんだ、一、二……十個もあるのか。一個三分として、全部回収するのに三十分はかかるな。ったく!」
「宝物の回収も任務の一部です。執政家のため、よろしくお願いします」
「わかってるよ。すべては〈執政公爵〉様のために」
作業すること三分、宣言通り一つ目の宝箱を開くことに成功した。
中身は〈変色竜の外套〉だった。
移動速度が遅くなるデメリットはあるが、高い隠密効果を発揮する秘宝級アイテムだ。
「ちょうどよかった。クモマ。これを装備しておけ」
クモリが振り向くと、彼は宝物庫の出口のすぐそばに立っていた。
平静をよそおっていたが、目尻がわずかばかりピクピクと動いているあたり、内心明らかに動揺していた。
「大丈夫か……?黒猫。悪いがクモマのことを頼む」
クモリが黒猫にそう伝え、彼から一瞬目を外した。
そして再び、クモマの方を見ようと視線を戻したときには、彼は宮殿の出口に向かってがむしゃらに駆け出していた。
「どこへ行く!クモマ!?」
彼は一瞬だけ足を止めたが、こちらを振り向くこともなく、再び走り出した。
「レイン!弟を捕まえろ!頼む!」
「あぁ?えぇ?捕まえる?わ、分かった!」
宝物庫の扉に張り付いているはずのレインに頼んだ。
幸いクモマの走る速度は遅かった。
レインは彼にタックルした。
その後、二人は捕らえる逃げるの取っ組み合いを演じたが、最終的にはレインの辛勝に終わった。
「よし!捕まえたぞ!みんな見たか!?我の勝ちだ!」
しかしその勝利を見届けた者はいなかった。
鍵が離れたことで、宝物庫の扉は閉まり、魔法陣は再び赤色の輝きに戻ってしまったのである。
◆
「離して!」
「落ち着け!」
クモマは必死で手をほどこうとした。
レインも負けじとより強くからみついた。
「なぜ逃げる!?」
「〈イコマ〉に帰ったらまた閉じ込められるから!もう帰りたくない!」
「なに?閉じ込め?」
「やっと外に出られたんだ!絶対帰らないぞ!」
「なんだ?お主も閉じ込められていたのか?」
「うん」
「それは、つらいよなぁ……」
「うん……」
「よし!じゃあ行っていいぞ!」
レインはクモマを解放した。
「いいの……?」
クモマは拍子抜けした声で言った。
「閉じこめられるつらさはよく分かる。さぁ、どこへでも行くがいい。自由はいいぞ」
クモマは一人で、出口へと向かった。
しかしその足取りは重かった。
「どうした?嬉しくないのか?」
「嬉しいけど、でもお姉ちゃんが……」
「姉?クモリのことか?」
「一緒に行かないと」
「なら、クモリを連れてきてやろう」
レインは扉を開けるため、自らの角を魔法陣に近づけた。
「ダメ!今開けると捕まっちゃうから!」
「じゃあどうすればいいのだ?」
「どうすればって……」
クモマはしゃがみ込んですすり泣く。
「どうした?体調悪いのか?」
レインが聞くが、返答はなかった。
すると入り口の扉が勢いよく開いた。
そこには一人の"人物"が立っていた。
紙粘土で作った人形のように全身が真っ白いことから、外にいるレイドボスたちの一員であるこは容易に理解できた。
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〈闇皇ファラオタケル〉レベル90/レイド
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"白人形"のステータスにはそう記されていた。
レイドボスニ体はこちらに向かってゆっくりと歩みを進め、レインの前に立った。
「ファラオタケル……?」
レインは反射的に敵対心を向けた。
しかし彼がレインを攻撃することは無かった。
〈闇皇ファラオタケル〉はレインの左肩を持つと、ぐいと右へ押しやった。
まるで仲間に接するかのような、やさしい手つきだった。
敵はクモマを見下ろす。
そして手に持った両刃の剣を、ゆっくりと天に突き立てる。
レインは、敵の背中越しに、腰を抜かしたクモマの顔を見た。
それは彼女にとって、見慣れた顔だった。
口が半開きにし、縮んだ瞳を小刻みに揺らした、恐怖にゆがんだ顔。
切っ先が、その顔めがけて伸びていった。
我は、どうすればいい?
実のところ、〈天泣ノ蒼龍〉に"人助け"という概念はない。
それどころかクモマに対しては、殺意すらあった。
"人殺し"こそが、我の使命。
だからこそ、今から同類が行う"大地人の殺傷"を阻むべきではない。
自分もまた、同じレイドボスなのだから。
むしろ、クモマを殺すべきだ。
魄がそうささやくのである。
しかし不可解なことに、レインの魂が、全力でそれを否定する。
タイヨウに言われたから。
クモリに言われたから。
いずれも違う。
自分の中の"記憶"が、〈人助け〉を望んでいる。
〈ヤマタノオロチ〉討伐の時と同じように。
だからこそ、我はクモマを助ける。
レインはクモマに飛びつくと、彼の上に覆い被さった。
剣は彼女の背中を貫いた。
熱と痛みが彼女の脳内に響く。
幸い、この世界では身体を貫かれようと、穴が開くことはない。
彼女はヨロヨロと立ち上がり〈龍化の詠唱〉を始めた。
しかし"詠唱不可"とのポップアップが出る。
「なぜ……!?空間が狭すぎるのか!?」
彼女の心から平静が奪われた。
〈龍〉でない今の自分にできることなど、なにも無い。
敵はクモマに向けて、ゆっくりと剣を振り上げた。
「タイヨウ!我はどうすれば!?タイヨウ……!!」
レインはそう叫ぶと、クモマを置いて宝物庫の扉へと走った。
魔法陣に角と手を押しつける。
仲間を頼ること。
今の姿でできることはそれしかない。
扉は、ゆっくりと左右に開いていった。
五秒という時間が、どこまでも長く感じられる。
わずかばかりの隙間が開いた時、扉の先に人物が一人待ちかまえていた。
クモリだった。
彼女はクモマを見るや〈フックロープ〉を射出、ロープが彼の身体をニ周三周と巻き付くと、ロープを思いっきり引き戻した。
宙を飛ぶクモマの身体。
「よし捕まえた!……!」
彼の奥に、白人形一体を確認すると、状況を察したのであろう、〈ケムリ玉〉を投擲した。
「私が何とかする!弟を逃がせ!」
そう言い残して、クモリは白煙の中へと突入していった。
◆
「タイヨウ……!我はどうすれば……」
レインの懇願を受けて、タイヨウは大広間を見る。
白煙が晴れつつある室内では、ファラオ一体、そしてどこからともなく湧き出でた十体前後の〈木乃伊〉がクモリを囲んでいた。
彼女は言葉を失った。
「クモマを逃がせ!私が敵を引きつける!」
クモリが言った。
「早く!」
「でもお姉ちゃんが……ミイラが……」
べそかくクモマを見たタイヨウは、彼の頭をポンとやさしく叩いた。
そして扉を出て、杖を片手に詠唱を開始した。
「月夜に神座ります、いと畏き主よ。我が魂を供贄に、白き御光をもって、徒し大地の罪汚れを清めたまえ!〈ジャッジメントレイ〉!!」
杖からは極太の光線が前方へと射出され、〈木乃伊〉の一団をなぎ払った。
すべては一瞬のうちに光の泡となり、天井へと消えていった。
クモマは泣くのも忘れ、あっけにとられていた。
「どんなもんじゃい!これでもう大丈夫!……あれ?一体倒せてない……」
「バカ!こいつはレイドボスだ!もう私ももたない!早く!今のうちに逃げろ!」
叫ぶクモリのHPは、一割も残っていなかった。
彼女の懇願を受けて、一行は入り口へと駆け出し、龍に変化したレインの上に乗り込んだ。
しかしタイヨウだけは違った。
クモリのもとへと駆け寄っていったのだ。
クモリは憎悪にゆがんだ声で
「冒険者の手などーー!」
と言いかけたところで、タイヨウは彼女の手をつかんだ。
「もっと!仲間を!!頼らんかい!!!」
そう言ってクモリを宮殿の外へ、ハンマー投げの要領でぶん投げた。
投げ出された彼女をレインが口を開けて回収すると、一行はいっきに飛び去っていった。
タイヨウは、再度湧きだした〈木乃伊〉たちに囲まれていた。
彼女は杖を利き手に持ち替えると、一言ぼやいた。
「家族かぁ……、いいなぁ」
◆
〈冥門海峡〉は荒れていた。
腕の先端を食われた〈閻魔大王イカ〉が狂乱したことで、巨大な鉄橋は飴細工の如くグニャグニャにひしゃげていた。
復讐に燃えるイカの連撃が飛行するレインを襲う。
攻撃を避けること自体は苦ではなかった。
それ以上にやっかいなのは〈金竜シュテイガー〉の追撃だ。
こちらには"乗客"がいる。
彼らを死なせない速度を考えると、振り切ることは不可能であった。
みるみるうちに両者の距離は狭まる。
「クモマ様。このままでは後ろの竜に突き落とされてしまいます」
レインに乗る黒猫は、自身が抱き抱えるクモマに対して言った。
「どれに入ればいいのですか?」
黒猫は眼下に散在する渦潮、その中心にある〈妖精の環〉を見て言った。
「…………」
クモマは黙っていた。
「言ってください」
黒猫は機械的に催促した。
クモマは涙をゴシゴシと腕で拭い、ようやく空を見上げた。
そして数秒もたたないうちに下を向き、渦潮の一つを指差した。
「あれです……。あれなら〈イコマ〉に」
レインはその声を聞くと、一直線にその渦の中の〈妖精の環〉に突っ込む。
タールの海に投げ込まれたような、不快な浮遊間が全身を包み込んだ。
足もとが泡と化していく。
徐々にその泡は、上半身に登っていく。
頭のてっぺんまで、泡と化した自分を感じた直後、彼女らの意識はとぎれた。
◆
目覚めると、彼女たちは人間に囲まれていた。
畳敷きの大広間に、きらびやかな衣装に身を包んだ偉丈夫たちが左右に分かれて正座している。
正面の一段高いところには、和装の青年が、彼の右前には白髪の老人が座っていた。
「ここ、どこだ?」
「なに奴!?イースタルからの刺客か!ひっ捕らえぃ!」
老人が立ち上がり叫んだ。
状況のつかめないレインは隣で同じく起きたクモリに聞いた。
「クモリ、お主はこやつらが何者か分かるか?」
クモリは血の気を失った顔でつぶやいた。
「斎宮様に……ウーデル公……ここは……?」