第〇一三五話 君とは結婚できない
サイバー子爵との、濃い会談は終了した。
あとは猛スピードでサイバー領から、ラゴンが共和国に向かって飛行するのみであり、飛行の醍醐味にもあきたラーゴは退屈になる。しかし今度は順調に、共和国まで飛んでいってくれそうだ。
意識を飼育小屋へ戻したラーゴへ、ヤヨイから鬘が用意でき、整形の道具とともにクロスに渡したと連絡がある。クロスはさっそくそれを、坑道の聖脈ポイント近くに持ち込んでくれたので、とりあえずいつでも取り出せるよう、賽銭金庫に移動しておく。風合いはたしかにミリンの髪に似ているが、髪型はけっこう違い、だれかその方面に器用な者による加工を必要としそうだ。
(─ 気を利かせて、整形の道具まで揃えてくれてもねえ ───)
だれができるのかと悩んでいるラーゴのところへ、クリムが掃除にやってきた。
(─ とりあえず鬘もドレスも、いつでも居残り組に渡せるよう、賽銭金庫に入れておこう。ラゴンもあそこならあの小銭のように、すぐ取り出せるしね)
いつもなら、この時間はユスカリオが来るのだが、さすがに遠征の準備で色々と忙しいのだろう。事情を察したラーゴは、やや警戒を解いてクラサビにかけていた結界も解除する。
{この娘が主様のお世話役? これといって褒めるところのない、平凡な子ね}
まあ、クリムの取り柄は元気はつらつくらいだろう。しかし、じっくり見ればなるほど、やはりデニムと姉妹だ。頬から顎にかけての線や目鼻立ちなど、各所がよく似ている。
しかし取り柄といえば、掃除などこまごましたことについて、けっこうクリムのほうがユスカリオより、手際はいいように感じられた。そう言えば以前、ミリンとリムル女史の口から、クリムの手先はとても器用だと賞賛の声が漏れていたのを思い出す。
思えばここにある、飲み水用の器やトイレ用のかごなど、これらはすべてクリムの手によるものらしい。キャリッジの中、ミツとデニムがしていた話を聞きかじったところによると、藁で編んだかごとか陶器や漆器もプロ並みの腕だそうだ。幼少のころも、砂遊びや粘土細工にはじまり、裁縫から手芸に至るまで、付き合った大人顔負けに得意だったと云う。
そこまでくると、なんとなく生来固有能力っぽい臭いすらしてきた。
もちろん貴族の夫人におさまれば、ほとんど用事がないかも知れないが、裁縫や縫い物、泥遊びや折り紙なども得意なら、いいお母さんにはなれるだろう。デニムは義理の姉妹になるかもと、ミツにそんな家庭的な一面を、ひたすら売り込んでいたようだ。
そこで思いつく。
何に活用できるかは不明だが、クリムの器用さもペイストボウドと記憶鉱物にコピーしておこう。粘土細工はクレイがいるが、ラゴンにペーストしてあると、なにかのときに役立ちそうだ。それほど器用であるなら、くだんの鬘の修正や、相続者記憶から魔法を使わず構想している、変身用ドレスの加工も可能かも知れない。これまでは、居残り組のクミコに依頼し、腕利きの職人でも一時支配させ、加工すればいいと市中で当たらせておいたが、自分でできるならそんな必要もなくなるだろう。
(─ とりあえず鬘もドレスも、クロスにキープさせているが、つまりラゴンならあの小銭のように、いつでも取り出せるしね)
さてそのクリムが、ユスカリオのように、ラーゴのところへやってきて座り込む。どうしたのだろうと思うと、彼女も相談事まがいに、言っておきたい話があるようだ。サイバー子爵から縁談を持ちかけられたなどの、報告ではないことを祈りたい。
しかしチャンスだ。こっそりと、椅子の下にペイストボウドと記憶鉱物を持って行き、さっさとコピーを行なってしまう。このペイストボウドと鬘をラゴンに送って、自立モードでそれを修正させることにした。
「ラーゴも行っちゃうのね。あたくし、ここへ来てからずっとグラリス姉さんと一緒だったの。でも姉さんも結婚するから、一度領地に帰るのよ。だからあたくし、ひとりぼっちになっちゃうの。殿下もしばらくお出かけされるし。それにあなたとユスカリオまでついて行くから、とても寂しいわ。しばらくの辛抱なんだけどね。でもあたくしはあなたが帰ってきたら、ここのことはユスカリオに全部任せて、姉さんの代わりに殿下のお世話をするメイドになるの。だからほとんど、ここにも来れなくなっちゃうのよ」
実際、ラーゴが公爵たちの会議を傍聴した夜遅く、姉グラリスは王都内のハーンナン邸に連れ戻られている。そのまま公爵の帰国に随伴し翌日里帰りする予定であったにもかかわらず、あの事件を聞きつけてすぐに登城した公爵と参内。ミリンの元気な顔を見て安堵し、里帰りをとりやめてまだ城内にいるらしい。心配で帰れないそうなのだ。
だがそれでは嫁入り支度の期間が短くなってしまう危惧から、ミリン自身がグラリスを説得した。今回の遠征の随行をもって里帰りさせ、そこでご苦労様ということになるそうだ。よほど寂しいのだろうか。うつむいて黙ってしまうクリム。どうやら涙を浮かべている。
(─ それほど長い、付き合いでもないのにね)
一緒にミリンも含め、みんないなくなってしまうのが、心細いのかも知れない。おそらく、先日の事件のことも耳に入ってきたはずだ。それでもマーガレッタやゴードフロイという、頼もしい人たちが付いて行くのだから心配ないと、自分に言い聞かせているのだろう。
「でも気をつけて。そして元気で帰って来るのよ。ユスカリオがついているんだから、美味しいものはちゃんと食べさせてくれると思うけど、遠くへ行くと水が変わるっていうし、健やかでいてよね」
なぜかジーンときてしまった。
(─ でもクリム、君と結婚はできない)
「そうだ、ラーゴは旅に出たら、きっと最初にお父様のところへ行くと思うの。そこにいけ好かない女がいたら、がぶって噛み付いていいわ。家へ帰ってた姉さんから聞いた話だけど、こないだも殿下の来られた日、お父様が殿下と会談中に出て来たかと思ったら、ゾルゲルっていう怪しい下男とこそこそ、何だかよからぬ相談らしきことをやっていたそうよ。お父様ったらあの女に騙されてるんじゃないかしら。とっても心配だから一回ぐらい噛みついても構わない。あたくしが許すわ。ラーゴに噛み付いてねってお願いしたこと、グラリス姉さんには伝えておくわね」
そう言われても、本当に歯を立て傷でも付けたら、たかがトカゲだ。たとえ跡継ぎ予定の末娘の許可があったとはいえ、お手討ちになってはかなわない。
しかしクリムはいい情報を漏らしてくれた。姉さんとはグラリスのこと、家とは王都内の邸宅であり、ミリンの襲われた日のハーンナン公爵邸訪問時の話だろう。
するとやはりアーニャは、なかなかに怪しい女だ。
そもそもマフィアにとってあれほどのリスクを伴いながら、ミリンを襲撃する意味などあったのだろうか。自らの優位をその国の権力者に誇示するという点で、喉元にナイフを突きつける力が見せつける、効果的な舞台だ。
なるほど、成功すればそうなったかも知れないが、それはあくまで脅しでなければならない。この国で、希望の星と思われているミリンを殺すというのは、すなわち国民全部を敵に回す事態にもつながるわけだ。必死の抵抗を受け、歯向かってくるリスクを負うことになる。
それでもなおその代償を払って、彼らはミリンを本気で殺そうとした。あのときミリンが影鍬の山刀を構えなければ、 ── もちろん結界はあるのだが、普通なら ── 頭蓋骨を木っ端微塵にされ、死体となって転がっていただろう。本来はお前を殺すぞという、脅しだけでよかったのだ。
にもかかわらず、本気で弑する気になったのはなぜか?
それは、おそらくレオルド卿との話から、ミリンが断固としてボコボの港を取り返し、港湾の治安回復を決意したためだ。しかも徹底して麻薬の輸入を主とする、マフィアの侵攻を止めたいと考えたからに他ならない。こいつは脅すのではなく、消さなければならないと判断したからこそ、あのような大それたことまでやってのけたと思われた。
ならば、そんな気持ちに気づいたのはだれか。もちろんレオルド卿であり、当面の訪問先となるハーンナン公爵、そして隣に座っていたアーニャである。
そんなアーニャが会見中と言えば、ミリンともめて席を立った後。ミリンが遠征する決意を聞いた足で、あやしい下男と何やらよからぬ相談をしたという。その帰り道、騒動が起きて道すら変更させられ、そこでミリンが襲われたとなれば、もはや疑う余地もない。
たしか ── ハーンナン公爵の長女、サイバー子爵の夫人デニムも、マフィアの麻薬侵略状況を公に相談し、帰郷後に攫われるという事件も発生している。そのとき、ハーンナン公爵のそばにいたのもまた ── 。
これで、敵の情報ソースは一本に繋がった。ラーゴからは難しいが、親衛隊のだれかにでも、クリムの言ってくれたように一発、噛みついてもらわなければすまないようだ。ただしそれは、永続的なアーニャの隷属 ── 人間としての死を意味する。
「ラーゴ・ラーゴ」
次期当主に許しをもらったため、感謝の鳴き声をあげてみた。
「本当にラーゴはいい子ね。アーニャとか、ロケート男爵縁戚のアサシーとか。今は皆でがんばらないといけない時期なのに、なにか心配だわ。でも元気で行ってらっしゃい」
意識を見ると、『噛みついてやるぞ、と言ってるわ』とクリムは考えているようだ。デニム同様、意識はすこぶる読みやすかった。
(だが、ロケート男爵の縁戚のアサシー?)
心に浮かんでいる姿を見る限り、アーニャより少し年上のその女は、グラリスと同じ王城のメイドらしい。アーニャと同様、怪しいということで並べられた情報源は、同僚として長くいたグラリスのようだ。
そう言い残したクリムは、空になった器や道具を手に取り、満足げな顔に変わって出て行った。