わたしと庄司くんがキスをしてから
「それにしても、真結も意外とやるよねぇ……」
明日はテストがあるという日。隣のクラスからやってきた佐奈が、わたしの前でノートを写しながら言う。
真結のノートはわかりやすいから写させてほしいと佐奈にせがまれて、しょうがないなぁと貸してあげているのだ。
「彼氏ができたと思ったら、その彼と一つ屋根の下で暮らすって……どうよ?」
「言い出したのは佐奈でしょ? それに言っとくけど、あんたが想像してるようなやましいことは、なんにもないから」
わたしが言うと、佐奈は「ほんとかなぁ?」とまたにやにや笑った。
桜の花が満開になる頃、わたしたちは三年生に進級し、庄司くんの両親は日本を発った。
そして庄司くんは今、わたしの家で暮らしている。
絶対ありえないと思っていた、少女漫画のような展開は、拍子抜けするほどあっさり進んだ。
わたしの両親も庄司くんの両親も、わたしの提案を簡単に受け入れてくれたのだ。どうやらわたしの普段の行いは、大人たちからの信頼を得るのに十分だったらしい。
おまけにわたしの母は「お兄ちゃんよりイケメンな子が来てくれるなら大歓迎」なんて喜んでるし、庄司くんの両親も「それじゃあお言葉に甘えて」なんて、本当に甘えてる。
だいたい年頃の女子と男子が一つ屋根の下で暮らすなんて、親は心配じゃないんだろうか?
……なんて、結果的にはこれでよかったんだけどね。
「そういえば庄司、最近しなくなったよ」
ノートを写しながら佐奈が言う。
「え? なにを?」
「キス」
佐奈がわたしを見てにやりと笑う。
佐奈は今、庄司くんと同じクラスだ。
「最近女の子としてるとこ、見たことない。あ、男とも。あんなにちゅっちゅしてたのに」
「ははっ。『これからはおれ、日本人になる』って宣言してたからなぁ」
「は? もとから日本人だろ」
「そう突っ込んであげたけど」
だからもう、庄司くんは挨拶代わりのキスをやめたらしい。
「でもあんたたちって、付き合う前から、ほんとわかりやすかったよねぇ」
佐奈の声にわたしが聞く。
「わかりやすかったって、なにが?」
「真結さ、よく庄司と目が合ってたでしょ?」
そういえば、そうだけど。
「あたしが真結を見るといっつも庄司のほう見てて、庄司のこと見るとやっぱり真結のほう見てて。なんだこいつら、両思い決定じゃんってずっと思ってた」
わたしたちはいつもお互いを見てたから……だからその度に目が合ったんだ。
「真結ー」
その時廊下から名前を呼ばれた。
「来た来た。愛しの彼氏が」
「そんなんじゃないって」
「邪魔者は去るか」
佐奈が笑いながら、広げていたノートやペンケースを鞄につめて立ち上がる。
「そんじゃ、また」
「うん。またね」
手を振り合って別れる。
佐奈は入口に立つ庄司くんに何か言って、その肩をバシッと叩いて教室を出て行く。
「いってーなぁ、もう」
帰る支度をして廊下へ出たら、庄司くんが肩をさすりながらぶつぶつ言っていた。
「何か佐奈に言われたの?」
「真結に手を出したら殺すって」
「じゃあもう手は出せないね」
「出してないし。てか、おれのファーストキス奪ったのそっちだし」
「それ言うなって」
あの日のことを思い出し、あわてて顔をそむけたら、庄司くんがおかしそうに笑った。
ふたりで廊下を歩き、靴を履き替え、校舎の外へ出る。
淡い春の日差しの中、桜の花びらが、はらはらと雪のように舞っていた。
「わぁ、きれい」
立ち止まって桜の木を見上げる。満開を過ぎた桜の花は、少し強い風が吹くたび花びらを散らす。
「やっぱり日本はいいよなぁ……」
「行かなくてよかったね?」
わたしの隣に立つ庄司くんが、ちらりとわたしを見て笑う。
「行けるわけないよ。女の子にあんなふうに止められたら」
それ以上突っ込まれるとまた恥ずかしくなるので、わたしは聞こえないふりをする。
庄司くんは笑っている。そんなわたしの隣で。
ずっと遠くから見ていた笑顔がすぐそばにあるなんて、人生ってほんと不思議だらけだ。
春の風が吹き、わたしのスカートと髪を揺らす。
グラウンドから運動部の掛け声が聞こえる。
ふたりの目が合ったあと、庄司くんはわたしの顔をのぞきこむようにして、ちゅっと唇にキスをした。
「今のは挨拶じゃないほう」
「ここ学校だよ?」
「佐奈ちゃんには内緒な? まだ死にたくないから」
確かに。佐奈には言わない方が身のためだ。
他の子にしなくなった分、庄司くんはものすごくわたしにキスをしてくる。
朝も昼も夜も……さすがに親の前ではしないけど。わたしの父に見つかったら、それこそ命の危険にさらされるはず。
それでもこっそり隠れて、ちゅっとしてくる庄司くんは、やっぱりキスが好きなんだろう。
そしてわたしも……庄司くんにされるキスは嫌いじゃない。
ふたりで笑い合って、どちらともなく手を引き寄せる。そのまま手をつないで、桜の下を並んで歩く。
家に着くまでのふたりの話題は、明日のテストの問題と今夜の夕飯のおかずのこと。
卒業まであと一年。そして卒業してからも。
こうやってふたりで歩いていけたら、すごく幸せだろうなぁなんて、春風に吹かれながらわたしは思った。