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濡れ衣令嬢と竜姫  作者: 白保仁
四章

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二十五話

 コンラートが痛む身体を押して駆け回り、ようやく宰相に会えたのは、王都から数刻離れた街だった。

 宰相テオパルトは、見るからに顔色が悪かった。


「フェルディナが、帝国に落ちた」


 憂鬱そうな声で、テオパルトが告げる。


 フェルディナ王国は、カルディア王国の北に接する友好国だった。

 エルンシュタイン帝国はすでに大陸東部を制圧している。フェルディナまで奪われれば、カルディア王国は帝国に大きく囲まれる形になる。


「北の警戒を、さらに強めねばならぬな」


「アイゼンハルト伯爵領への侵攻を、ようやく退けたばかりだというのに」


 自然と話は、帝国への備えに移っていた。

 テオパルトとコンラートは、しばし王国防衛について言葉を交わす。


 だが、コンラートはひとつ息を吐き、意識を切り替えた。


「――それで、コンラート殿はどうしてこんなところに?」


 テオパルトに問われ、コンラートは頷いた。


「そうだった。こちらにも急ぎの用件がある」


 つい先ほどまで軍人として帝国の話をしていたが、今はそれどころではない。


「テオパルト殿。最近のジークフリート殿下の動きは、ご存じか?」


「ここ数週間、王国内を飛び回っておられたが……殿下がどうかしたのか?」


「アデルとの婚約破棄を申し出られた」


「なんと……」


 テオパルトの表情が、はっきりと固まった。

 コンラートはそのまま続ける。


「それに加えて、アデルに殺人未遂と、間諜逃亡幇助の疑いまでかけている」


「それで、アデル殿はどうなったのだ?」


「監察省と近衛省に拘束されている。もちろん、殺人などやっておらんし、間諜逃亡の件にも理由がある。王国を守るための判断だった」


「……新兵器の件か」


「ああ」


 コンラートは短く頷いた。


「とにかく、殿下は明らかに暴走している。止められるのは、テオパルト殿か、陛下くらいのものだろう」


 テオパルトは険しい顔のまま、すぐに答えた。


「わかった。今すぐ王都へ向かおう。まさか、そんなことになっているとは思わなかった」


 そうして、テオパルトとコンラートは急ぎ王都へ向かった。


※※※


 王都へ戻る道中、コンラートはほとんど口を開かなかった。


 アデルは自分の身を危険に晒してまで、王国を救おうとした。

 それなのに、その功を讃えるどころか、罪を着せて拘束する。どう考えても理が通らない。


 王都へ入る頃には、空はすっかり暮れていた。

 それでも二人は休まず、そのまま王宮へ向かう。


 コンラートたちが監察側との面会を求めると、現れたのは監察卿補佐官エーヴェルトだった。


「どうなさいました、このような時間に」


 丁寧な口調だった。

 だが、その目には温度がない。


 コンラートは低く言う。


「アデルの件だ。解放してもらう」


「それは難しいですな。少なくとも、彼女自身が間者を逃がしたことは認めておられます」


「帝国に与するためではない。戦に勝つためだ」


「それを判断するのが、我々の仕事です」


 エーヴェルトは、コンラートの迫力にも動じなかった。

 テオパルトが横から口を挟む。


「今回の件には、ジークフリート殿下が介入していると聞いたが」


「ええ。殿下を通じて、近衛卿の方から回ってきた案件です」


「殿下はアデル嬢に婚約破棄を申し出ている。個人的な感情で動いている可能性が高い」


 エーヴェルトは肩をすくめた。


「ですが、だからといって監察の調査まで左右されるわけではありません。先ほども申し上げた通り、アデル様は逃がした事実そのものは認めておられるのです」


「では、問題がないと分かれば解放すると?」


「明日には監査会が行われます。ジークフリート殿下も出席なさいますが、裁き自体はあくまで公正になされるはずです」


 コンラートたちは黙り込んだ。


「それまで待て、ということか」


「勾留はしておりますが、粗雑には扱っておりませんよ」


 それが慰めになると思っているのか。

 コンラートは奥歯を噛みしめたが、ここで怒鳴っても事態は動かない。


「……わかった」


 短く吐き捨てるように言う。

 エーヴェルトはわずかに一礼した。


「ご理解いただけて何よりです」


 これ以上ここにいても無意味だった。

 二人は監察省を後にする。


 王宮の回廊を歩きながら、テオパルトが小さく息を吐いた。


「監査会とやらも、どこまで公正なものか分からん」


 コンラートは答えず、拳を握りしめた。

 アデルをすぐに救い出せない苛立ちが、胸の内で燻っている。


「申し訳ない。ジークフリート殿下にも、あらためて話をしてみる」


「よろしく頼む」


 コンラートはテオパルトに頭を下げた。

 そしてそのまま、痛む身体を引きずるようにして別邸へ戻った。


※※※


 翌日、テオパルトはジークフリートのもとへ向かった。

 フェルディナ陥落の件もあり、結局ほとんど眠れぬまま、仕事に追われていた。


 王宮の朝は早い。

 まだ陽も高くないというのに、回廊には侍従や文官たちが慌ただしく行き交っている。


 そんな中でも、第一王子の私室へ続く一角だけは妙に静かだった。

 まるで外の騒ぎとは無縁だと言わんばかりに、空気がよどんでいる。


 取次を受け、通された部屋の中では、ジークフリートが優雅に茶を飲んでいた。

 傍らには見慣れぬ令嬢がいる。何度か見かけたことはあった。レオノーラ・グレイソンだ。

 少し離れた位置には、近衛のバルクも控えている。


「おや、宰相閣下。朝から珍しいですね」


 ジークフリートは笑みを浮かべた。

 その声音は穏やかだが、どこか薄気味悪い。


 テオパルトは一礼だけを返し、まっすぐ本題に入った。


「アデル・ローゼンベルクの件で参りました」


 レオノーラの肩が、わずかに揺れる。

 ジークフリートはそれを横目で一瞥し、わざとらしく首を傾げた。


「殿下のお考えを伺いたいのです」


 テオパルトは感情を乗せずに言った。


「婚約破棄、殺人未遂、間諜逃亡幇助――いずれも、この戦時下にしては随分と手際がよろしい」


 ジークフリートの目が、わずかに細くなる。


「王族として、不穏分子を見逃すわけにはいきません」


「不穏分子、ですか」


 テオパルトは繰り返した。


「帝国の新兵器への対抗手段を探るために動いた者を、そのように?」


「結果として、間者を逃がしたのは事実です」


 ジークフリートは平然としている。


「王族たる者、情に流されて判断を誤るわけにはいきませんから」


「情に流されているのは、殿下の方では?」


「……どういう意味でしょう?」


「アデル嬢に、含むところがないとおっしゃるので?」


 室内の空気が、かすかに冷たくなる。

 ジークフリートは笑みを崩さない。


「感情で物事を判断したりはしない」


「そもそも、公爵家を敵に回しては王位も危ういですぞ」


 ジークフリートは冷たく笑った。


「僕が、いつ王位を欲していると言いました? 守れるものを守れればそれでいい。僕でなくとも、マクシミリアンが王になれば済む話です」


「殿下が守るべきは、この国です。王位が揺れれば国もまた荒れますぞ」


 ジークフリートとテオパルトが、しばし無言で睨み合う。

 やがてジークフリートが先に口を開いた。


「どちらにせよ、このあと監査会がある。その結果を待とうではないか」


「もちろん、私も出席させていただきます。ですが、荒れますぞ。どのような結果になろうと、殿下もこのままではいられますまい」


「覚悟はしているよ」


 テオパルトは深く頭を下げることもなく、ただ静かに頷いた。


「それを聞いて安心しました。そのお言葉、どうかお忘れなきよう」


 それだけを残し、テオパルトは部屋を出た。


※※※


 アデルが監禁されてから、一日が経った。

 扉が開き、近衛騎士団副官のバルクが姿を現す。


「これより、監査会が行われます」


 低く通る声だった。

 アデルは寝台から静かに立ち上がった。


「……そう」


 短く返し、裾の乱れを整える。

 バルクは扉の脇に控えたまま、無言でその様子を見守っていた。


 濃い色の髪はきっちりと撫でつけられ、軍服にも皺ひとつない。

 一見すれば実直な軍人だ。だが、その目には冷たいものがあった。


「監査会はエーヴェルト殿が主導されます。アデル様は、問われたことにお答えいただければ結構です」


「わかったわ」


 アデルが頷くと、バルクは一礼だけして廊下へ出るよう促した。

 部屋の外には近衛兵が二人立っている。


 王宮の回廊には朝の光が差し込んでいた。

 窓の外には整えられた庭と、きらめく噴水。穏やかな朝だ。

 けれど、アデルにはそれが別の世界の景色のように思えた。


 歩くたび、靴音が石床に響く。

 バルクは半歩前を歩き、振り返らない。


 やがて、ひときわ大きな扉の前で足が止まった。

 近衛兵が扉に手をかける。

 重い音を立てて、扉がゆっくりと開いた。


 その向こうには、長机が据えられた広間があった。

 正面には監察側の人間たち。壁際には文官たちが控えている。


 宰相テオパルトに、コンラートの姿もあった。

 そして、第一王子ジークフリート。

 なぜか、その傍らにはレオノーラまでいる。


 視線が一斉にアデルへ集まった。

 けれど、アデルは足を止めない。


 背筋を伸ばし、堂々と歩く。

 会場の中央まで進むと、バルクが一歩下がった。


「アデル・ローゼンベルク嬢をお連れしました」


 その声が、広間に静かに落ちる。

 バルクはそのままジークフリートの後ろにつき、控えるように立った。


 アデルはゆっくり顔を上げる。

 ジークフリートと目が合った。


 小さく息を吸い、礼を取る。


「アデル・ローゼンベルクです」


 声は震えていなかった。

 こうして、アデルの監査会が始まった。

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