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濡れ衣令嬢と竜姫  作者: 白保仁
四章

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二十三話

 アデルたちを乗せた馬車が公爵家別邸に到着したのは、戦場を発ってから一週間後のことだった。

 長旅の果てにようやく辿り着いた屋敷は、見慣れているはずなのに、どこかよそよそしく見えた。


 馬車が止まると、アデルはすぐに立ち上がった。

 だが足に力を入れた瞬間、身体の芯に溜まっていた疲れがずしりと重くのしかかる。


「アデル、無理するな」


 背後からディートリヒが低く言った。

 アデルは小さく首を振る。


「大丈夫よ。父上を降ろさないと」


 扉が開く。

 先に外へ出たアデルは、すぐに馬車の中へ身を戻し、コンラートの腕を肩へ回した。


 コンラートの傷は致命傷ではなかった。

 だが、長距離の移動に耐えられる程度まで落ち着いただけで、顔色はまだ悪い。腹部の傷をかばうせいか、動きにも普段の鋭さはなかった。


「……情けないな」


 コンラートが低く呟く。

 アデルは父の体重を受け止めながら、わざと淡々と返した。


「気になさらないでください」


 短いやり取りだった。

 けれど、それだけで張りつめていた胸が、ほんの少しだけ緩む。


 馬車の外では、先に降りたリィが小さく伸びをしていた。

 久々の屋敷に興味津々という顔で辺りを見回し、クラリスとニーナを見つけると大きく手を振っている。


 玄関前には、セルバが控えていた。

 いつも通り、皺ひとつない服装。背筋を伸ばし、乱れのない一礼。


「お帰りなさいませ、旦那様、ディートリヒ様、アデル様」


 アデルはコンラートを支えたまま、セルバを見た。


「……何かあったの?」


 セルバは一瞬だけ目を伏せた。


「はい。至急、お耳に入れねばならぬことがございます」


 その場に控えていた使用人たちの空気まで張りつめる。

 アデルは唇を引き結んだ。


 それを聞いて、コンラートが短く息を吐く。


「構わん。この場で聞く」


「……王宮より、使者が再三参っております」


 アデルの眉がわずかに寄った。


「王宮?」


「はい。アデル様に対し、帰還次第ただちに出頭するように、との要請でございます」


 戦場帰りの疲労が、一瞬で別の緊張に押し流された。


「出頭……?」


 ディートリヒが険しい声を漏らす。


「何の名目だ」


 セルバは答えにくそうに、それでもはっきりと口を開いた。


「名目は、帝国間者の独断解放についての事情聴取、とのことです」


 アデルの頭の中で、その言葉だけが妙にはっきり反響する。

 帝国間者の独断解放。事実の一部だけを切り取れば、否定しづらい。だが、あれは身体強化薬の調査のためだった。レルネンにも説明してある。


「……随分と、手回しがいいわね」


 思った以上に静かな声が出て、アデルは自分でも驚いた。


 セルバはさらに続ける。


「加えて、王都内にはすでに噂が流れております。公爵家が帝国の間者を密かに逃がした――と。その件を面白おかしく広めている者がいるようです」


 アデルは唇をきつく結んだ。


 自分の判断は間違っていなかった――そう思いたい。

 だが、その判断で家に火の粉が降りかかったのもまた事実だった。


 アデルはゆっくりと頭を下げる。


「父上、兄様。申し訳ございません。私の軽率な判断のせいで、家にまで迷惑をかけてしまったようです」


 一瞬、場が静まり返る。


 そのとき、リィが横から口を挟んだ。


「お父さんたちを助けるためだったんだろ。謝ることないぞ」


「そうだ」


 ディートリヒもすぐに言葉を継いだ。


「アデルの判断が戦場を救ったのは事実だ」


 コンラートは何も言わず、セルバの肩越しに屋敷の中を見やった。

 やがて、低く言う。


「その通りだ。中に入って、どうするか話し合おう」


「はっ」


 使用人たちが一斉に動き出す。

 アデルは父を支えたまま、ゆっくりと屋敷の中へ足を踏み入れた。


 懐かしいはずの屋敷は妙に静かで、磨き上げられた床も、見慣れた廊下も、今日はひどく冷たく感じられた。


※※※


 コンラートの執務室に、アデルたちは集まった。

 ソファにコンラートを座らせ、アデルはその正面へ腰を下ろす。


「それで、相手は誰だ」


 隣に控えたセルバが答える。


「監察卿と近衛卿の連名で来ております。直近では昨日。今日また参ると申しておりました」


 監察卿は、貴族や王宮内部の不正を取り締まる役目を担う。

 そして近衛卿は近衛騎士団を統括する立場であり、王族警護を担う以上、王族の意向を強く受ける。


「近衛卿までか。きな臭いな……」


 コンラートが低く呟く。

 帝国との内通の疑いなら、本来は監察卿だけの領分だ。


「ジークフリート殿下か、マクシミリアン殿下の息がかかっているのかもしれぬ」


 アデルは頷いた。

 マクシミリアンはもともと敵対派閥だし、ジークフリートもまたアデルに対して明確な敵意を抱いている。


「どちらにせよ、宰相殿に話を通すのが早いだろう。帝国との戦で忙しかろうが、そうも言っていられん」


 アデルは考え込む。


「ジークフリート殿下は、公爵家と敵対してどうするつもりなのでしょう。宰相殿まで繋がっておられるのでしょうか」


「それはおそらくない。帝国との戦で、今ごろ忙殺されているはずだ。俺がお前を助けに行けなかったのと同じようにな」


「それでは、ジークフリート殿下の独断ですか。帝国とも内通しているのでしょうか?」


「そこはまだ分からん。ただ、操られているだけの可能性もある。後継者争いで不利なマクシミリアン殿下ならともかく、ジークフリート殿下が帝国と繋がる理由は薄い」


「なるほど……」


「とにかく、宰相殿が動けば、ジークフリート殿下の暴走なら止まるはずだ」


 アデルは頷いた。


「それと、私たちにできるとしたら、イリスの捜索でしょうか」


「見つけられるのか?」


「分かりません。けれど、完全に帝国側というわけでもなさそうです。身体強化薬の件では協力してくれましたし……」


 イリスは常に笑っていたが、その目の奥には深い闇があるようだった。

 それでも、アデルを好きだと言った言葉には、嘘はなかったように思える。


 そのときだった。

 屋敷の外が、にわかに騒がしくなる。


 部屋に侍女のクラリスが駆け込んできた。


「旦那様、アデル様。外に近衛兵が押しかけてきております」


 廊下の向こうまで一気に騒がしくなる。

 次の瞬間、扉が激しく開け放たれ、近衛兵たちが雪崩れ込んできた。


「なんだ、騒がしい。ここがどこだか分かっているのか」


 コンラートが低く言い放つ。

 近衛兵はコンラートに気づくと、慌てて敬礼した。


「失礼しました、コンラート閣下。ですが、こちらも任務です。令状も持参しております」


 近衛兵が差し出した令状を、コンラートが受け取る。

 ざっと目を通し、低く呟いた。


「……ジークフリート殿下の署名か」


「アデル嬢に間者逃亡幇助の疑いが出ております。お連れしますが、よろしいですね」


 コンラートはしばらく黙り込んだ。

 それから、アデルへ顔を向ける。


「宰相殿に話をつけに行く。必ずお前を助ける。待っていられるか?」


「ありがとうございます、父上。大丈夫です」


 アデルが近衛兵について行こうとした、そのとき。

 リィがアデルの腕を掴んだ。


「大丈夫か、アデル。こいつら、ぶっ飛ばそうか?」


「だめよ、リィ。リィは大人しくしていて」


「……僕にできること、ないか?」


 リィが心配そうにアデルを見上げる。


「それなら、クラリスたちと一緒にイリスを探してみて。お願い」


「わかった」


 短く頷くリィを見て、アデルもわずかに頷き返した。


 そうしてアデルは、近衛兵に連れられて王宮へ向かった。


※※※


 王宮へ向かう道中、アデルはほとんど口を開かなかった。


 近衛兵に挟まれるようにして乗せられた馬車の中は、ひどく息苦しい。

 窓の外には見慣れた王都の街並みが流れているのに、まるで別の国へ連れていかれるような心地がした。


 けれど、あれだけの人数で屋敷へ押しかけてきた時点で分かる。

 これは穏便な呼び出しではない。


(……ここで取り乱したら、相手の思う壺ね)


 膝の上で手を重ね、アデルは静かに呼吸を整えた。


 イリスを解放したのは、自分の判断だ。

 あれが正しかったと、今でも思っている。

 だが、それを利用される可能性まで、もっと考えるべきだった。


 馬車が止まる。

 扉が開かれ、近衛兵が無言で道を示した。


「どうぞ」


 丁寧な言葉遣いだった。

 アデルは裾を整えて馬車を降りる。


 王宮の石床は冷たく、歩くたびに靴音が乾いて響いた。

 通された先は応接間ではなく、窓の少ない小部屋だった。机と椅子があるだけの、簡素な部屋である。


 扉の前には近衛兵が二人、無言で立っていた。


 少ししてから部屋に入ってきたのは、見慣れぬ男が二人。

 一人は痩せた中年で、細い目の奥に油断のない光を宿している。もう一人は近衛騎士の正装に身を包んだ壮年の男だった。


 痩せた男が、慇懃に一礼する。


「お初にお目にかかります、アデル嬢。私は監察卿副官、エーヴェルトと申します」


 続いて、近衛の男も一礼した。


「近衛騎士団副官、バルクです」


 公爵令嬢が相手とはいえ、ずいぶん重い顔ぶれだ。

 アデルは椅子に腰を下ろしたまま、静かに礼を返した。


「アデル・ローゼンベルクです。……それで、私は何を問われるのでしょうか」


 エーヴェルトは薄く笑った。


「すでにご承知かと存じますが、帝国間者の独断解放についてです。ローゼンベルク家で拘束していたイリス・ラヴァンを、あなたの判断で解放した」


「ええ。その通りです」


 アデルは否定しなかった。

 エーヴェルトの眉が、わずかに動く。


「ずいぶんあっさりと認められるのですね」


「事実ですから。ただし、理由まで省いて語るのは違うかと」


 アデルは相手の目をまっすぐ見返した。


「イリス・ラヴァンは帝国の身体強化薬について情報を持っていました。あの時点で、前線では父たちが帝国軍と交戦中だった。薬への対抗手段を一刻も早く得る必要があったのです」


「その判断を下す権限が、あなたにあったと?」


「何もしないまま手をこまねいている余裕はありませんでした」


 エーヴェルトは書類に目を落とし、わざとらしく頁をめくる。


「ですが、その結果として帝国の間者を逃がした」


「その人物は薬の現物をこちらへ送り届けています。実際、その情報があったからこそ解除薬の開発に繋がりました」


「それは結果論では?」


 その一言に、アデルはわずかに言葉を失った。

 エーヴェルトの言うことは正しい。イリスが薬を送り届けない可能性も、当然あった。


「そもそも、イリスが王国法を犯した確たる証拠はありませんでした」


 アデルは声を落としすぎないよう意識しながら続ける。


「状況証拠から、公爵家が独自に拘束していただけです。実際、エステル殺人の実行犯はすでに治安隊に捕えられています」


 そこで、バルクが初めて口を開いた。


「イリス・ラヴァンをかばうのですか?」


 近衛らしい、無駄のない低い声だった。


「いいえ。彼女が帝国の間者だった可能性は高いでしょう。ですが、事情があったとも思っています」


「ずいぶんと同情的ですね」


 バルクが一歩前へ出る。


「あなたは、イリス・ラヴァンと通じていたのですか」


「いいえ」


「帝国とは?」


「いいえ」


「ならば、なぜそこまで彼女を信じたのです」


 その問いだけは、少しだけ真っ直ぐだった。

 アデルは答えに詰まる。


 根拠がなかったとは言わない。

 だが、最後の一歩を踏み越えたのは理屈だけではなかった。


「……彼女の表情が、嘘をついているようには見えなかったのです」


 アデルは静かに言った。


「そして、あの時の私には、それ以外の道が見えませんでした」


 エーヴェルトが乾いた笑みを浮かべる。


「なるほど。必要ならば、帝国の間者でも解放する、と」


 沈黙が落ちる。

 やがて、バルクが机の上に一枚の書状を置いた。


「アデル・ローゼンベルク嬢。調査が終わるまでの間、あなたには王宮内に留まっていただきます。外出、文書の送受、来客との面会は制限されます」


 アデルはゆっくり瞬きをした。


「……私を勾留するということですか」


「アデル嬢。今は帝国との戦時下です。ご理解いただきたい」


 エーヴェルトが淡々と返す。


 アデルは膝の上で拳を握りしめた。

 だが、表情だけは崩さない。


「それと、この件はジークフリート殿下の管轄下に置かれることになりました。調査が完了次第、殿下のご判断により処分が下されます」


「殿下の……」


「安心してください。捜査は公平に行われます。少なくとも、監察卿側からは」


 その言葉に、バルクが初めてわずかに顔をしかめた。

 監察卿と近衛卿も一枚岩ではないらしい。


 やがてバルクが立ち上がる。


「部屋までご案内します」


 アデルは小さく息を吐き、立ち上がった。


「分かりました」


 ここで抵抗しても意味はない。

 むしろ、公爵家側の立場を悪くするだけだ。

 それに、コンラートが動いてくれると言ってくれていた。


 連れていかれた先は、王宮北棟の一室だった。

 寝台も机もあり、見た目だけなら客室と変わらない。

 だが窓には格子がはめられ、扉の外には見張りが立っている。


「ご不便をおかけしますが」


 そう言い残して、バルクは去った。


 扉が閉まる。

 鍵のかかる音が、妙に大きく響いた。


 アデルはしばらく、その場に立ち尽くしていた。

 やがて力が抜けるように、寝台の縁へ腰を下ろす。


 いまは自分にできることはない。

 外にいる者たちに託すしかなかった。


 アデルはぎゅっと目を閉じる。


「……お願いね、リィ」

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