71. 帰還、そして最強の執事、初仕事
翌朝。
俺が『銀の箱舟』のベッドで目を覚ますと、すでに車内には香ばしいコーヒーの香りが漂っていた。
「おはよう、レンジ殿。目覚めの紅茶はいかがかな?」
リビングへ行くと、燕尾服をビシッと着こなしたナイスミドル――ヴォルガラが、優雅な手つきでティーポットを傾けていた。
その所作は完璧で、どこぞの王宮の筆頭執事と言われても信じてしまいそうだ。
「……おはよう、ヴォルガラ。お前、ほんと様になってるな」
「フン。伊達に数千年生きてはおらぬ。人間たちの『もてなし』の作法など、見よう見まねで十分だ」
ヴォルガラは不敵に笑いながら、カップを差し出した。
中身は完璧な温度のロイヤルミルクティー。悔しいが美味い。
「(レンジ、起きるのが遅いぞ。我はもう朝食を済ませた)」
ソファでは、すでにクオンが狐の姿で丸くなり、二度寝の体勢に入っていた。
平和だ。
下界では「聖人様」の捜索で大騒ぎになっているはずだが……ここ天空の島は、そんな喧騒が嘘のような優雅な朝だ。
昨夜は「しばらくここでバカンスだ!」と盛り上がったし、実際そのつもりだった。
だが……。
俺はトーストをかじりながら、ふと窓の外を見た。
雲海が広がっている。
美しい景色だが、その下には迷宮都市がある。
「……なぁ、クオン」
「(なんだ?)」
「やっぱり俺、一度『迷宮都市』に戻ろうと思うんだ」
俺の言葉に、クオンが片目を開けた。
「(ほう? 昨夜はバカンスを楽しむと言っておったが?)」
「ああ、そのつもりだったんだけどさ。……一晩寝て冷静になったら、やっぱり心配なんだよ」
俺はコーヒーを飲み干して言った。
「俺の正体はまだバレてないはずだ。でも、そのせいで『第一発見者』であるゼグノスたちが領主に詰められてるかもしれない」
あの時、ガイルが「岩塩層が露出した」なんて無理のある嘘をついたせいで、領主は「何かを隠している」と勘づいていた。
報告では『紅蓮』と『銀翼』の2つのパーティーが協力して倒したことになっている。
つまり、ゼグノスたちだけでなく、『銀翼』のリーダーであるアルヴィンドたちも巻き添えを食らっている可能性が高い。
「あいつら、俺のために体を張って嘘をついてくれたんだ。……無事かどうか、確認しとかないと、せっかくのバカンスも心から楽しめない気がしてさ」
それに、家具を一式持ち出したとはいえ、まだ屋敷の倉庫に残してきた細々とした荷物(自作のトリミング道具の予備素材とか)もある。
「(ふむ……。確かに、あの脳筋二人を抱えての政治的駆け引きは、あの娘でも荷が重いか。アルヴィンド率いる『銀翼』も巻き込まれているとなれば、この街の最高戦力であるSランクパーティーが二つも共倒れになりかねん)」
クオンも同意するように尻尾を振った。
Sランク冒険者が計6人も拘束されれば、街の防衛機能は崩壊する。大事おおごとだ。
「よし、決まりだ。ヴォルガラ、迷宮都市まで乗せていってくれないか? お前の翼なら一っ飛びだろ?」
俺が頼むと、ヴォルガラは不敵に笑ってカップを置いた。
「よかろう。久々に翼を伸ばしたかったところだ」
ヴォルガラは立ち上がり、優雅に一礼した。
どうやら彼も、少し体を動かしたかったらしい。
◇
『銀の箱舟』の外に出ると、ヴォルガラが本来の姿――巨大な古代竜へと変身した。
「さて、ここからは隠密行動の前段階だ。クオン、みんな、ルナの『影』に入ってくれ」
俺が指示すると、クオンたちが次々とルナの広げた影の中へ沈んでいく。
最後に俺がヴォルガラの背中に飛び乗った。
「しっかり掴まっておれよ、レンジ殿。……おいクオン、聞こえるか?」
ヴォルガラが背中の上の俺――の足元の影に向かって話しかけた。
影からひょっこりと狐の顔が出てくる。
「(なんだ?)」
「お前、一昨日ここに来る時、どれくらいの速度で飛んだ?」
ヴォルガラが余裕たっぷりに尋ねた。
クオンは鼻を鳴らして答える。
「(音速の4倍程だ……貴様のナマクラな翼で追いつけるか?)」
「……っ!?」
ヴォルガラの動きがピタリと止まった。
巨大な顔から、タラリと冷や汗が流れた(ような気がした)。
「……お、音速の4倍だと? 貴様、そんなに出るのか?」
「(当然だ。天狐の瞬発力を舐めるなよ?)」
ヴォルガラが押し黙る。
彼の通常飛行速度は音速の1.6倍程度。
ドラゴンとしては十分に速いが、神速を誇る天狐には遠く及ばない。
このままでは「古代竜は遅い」というレッテルを貼られてしまう。プライドの高い彼には耐え難い屈辱だ。
ヴォルガラは、そろりと首を回して俺を見た。
「……レンジ殿」
「ん? どうした?」
「……くれ」
「何を?」
「例の『薬』だ! 昨日、貴殿が作ったあの『アズール』をくれ! 今すぐにだ!」
ヴォルガラが必死の形相で訴えてきた。
なるほど、ドーピングする気か。
「えぇ……あれ使うのか? あれ『魔力10倍』になるだけだぞ? 速度は変わらないんじゃ……」
俺がもっともな疑問を口にすると、ヴォルガラは鼻息荒く反論した。
「愚問だ! 魔力が上がれば、肉体を強化する『身体強化魔法』の出力も10倍になる! つまり、翼の筋力も、羽ばたく速度も10倍だ!」
「あー……なるほど。理屈は合ってるな。でも、またビーム撃ったりしないだろうな?」
「あ、あれは力が溢れてテンションがあがり、つい祝砲を撃ってしまっただけだ! 今回は移動に全振りするから安心しろ!」
必死すぎる。
俺はため息をつき、魔法鞄から青く輝く小瓶を取り出した。
昨日作った神話級アイテム『天空のシャンプー・アズール』だ。
主原料が聖水とエリクサーの原料であるため、シャンプーでありながら飲用も可能な『神薬』でもある。
「ほらよ。飲みすぎるなよ?」
「感謝するッ!」
ヴォルガラは念動力で小瓶を受け取ると、蓋を開け、ためらいなく中身をグイッと煽あおった。
ゴクッ。
「……ぬおおおおおッ!! 力が……力が漲みなぎるゥゥゥッ!!」
ヴォルガラの全身から、青白い燐光が爆発的に溢れ出した。
シャンプーの副効能(というか主効能)である『魔力過剰増幅』が発動したのだ。
「行くぞッ! 身体強化・最大出力!!」
ドォンッ!!
空気が爆ぜた。
次の瞬間、俺たちの視界から景色が消えた。
「うおおおおおおっ!? はええええええッ!!」
俺は風圧防御の結界の中で絶叫した。
速いなんてもんじゃない。
雲が一瞬で後ろへ かッ飛んでいく。
「(……チッ。シャンプーでドーピングとは、大人げないトカゲめ)」
影の中からクオンが不満げに呟いた。
俺は流れる景色(速すぎて線にしか見えない)を見ながら聞いた。
「なぁクオン。これ、今どれくらい出てるんだ?」
「(……音速の16倍だ。我の4倍だな)」
「じゅ、16倍速!?」
音速の16倍(マッハ16)。
もはやミサイルどころの騒ぎじゃない。
ここから迷宮都市のある大陸までは、約1万5000キロ。
一昨日、クオンが3時間かけて飛んだその距離が、この速度ならたったの40分そこらで終わってしまう計算だ。
恐るべし、神話級シャンプー。
「(……フン。だが勘違いするなよ、レンジ。これは奴がアイテムで無理やり加速しているだけだ。純粋な身体能力と飛行テクニックなら、天狐である我の方が上だ)」
「えっ? あれで本気じゃなかったのか?」
「(当たり前だ。散歩がてら軽く流した程度だ。本気を出せば、ドーピングしたトカゲなど目ではないわ)」
クオンが自慢げに影から顔を出した。
「はいはい、わかったよ。お前も凄いよ」
俺は苦笑しながら、頭を撫でた。
「でも、これならあっという間に着くな。……あいつら、無事だといいけど」
「(……心配性だな、レンジは。だが、その甘さが貴様の持ち味か)」
クオンの声が少し優しくなる。
「(安心しろ。我らが戻るのだ。どのような理不尽が待っていようと、すべてねじ伏せてやる)」
「頼もしいねぇ。……っと、見えてきたぞ!」
会話している間に、もう眼下には迷宮都市周辺の森が見えていた。
まさに瞬きする間の移動だった。
◇
森の奥深くに着地したヴォルガラは、再び執事姿の人型に戻った。
アズールの効果か、その髪は以前にも増してツヤツヤに輝いている。
「お疲れ、ヴォルガラ。速かったな」
「フン。造作もないことです(薬のおかげだがな)。……さて、ここからは隠密行動ですね」
そう言うと、ヴォルガラはスッと背筋を伸ばし、その雰囲気を「ドラゴン」から「老執事」へと切り替え始めた。
昨日の打ち合わせ通り、彼は人の姿で同行するつもりだ。
俺は魔法鞄から、別れ際にミリシアから貰った『認識阻害のローブ』を取り出した。
これを被れば、顔や特徴が認識されにくくなる。
「クオンたちはそのまま影に入っててくれ。検問を通る時、ペット連れだと目立つからな」
俺は振り返り、執事姿のヴォルガラを見た。
「……なぁ、念のための確認だけど、ヴォルガラは影に入らないのか? そっちの方がより安全に潜入できると思うんだが」
昨日は「執事で行く」と決めたが、検問の厳しさを考えると、隠れられるなら隠れた方がいい。
しかし、ヴォルガラはゆっくりと首を横に振った。
「それは無理ですぞ、レンジ殿。サイズの問題ではなく、『耐性』の問題でな」
ヴォルガラは真面目な顔で説明した。
「高位の神獣は、あらゆる魔法を弾く強靭な『対魔力鱗』を常に纏っている。たとえ人の姿をしていても、その特性は消えん。ルナ殿の影魔法を『外部からの干渉』と認識し、自動的に弾いてしまうのだ」
「……あー、なるほど。じゃあなんでクオンは入れるんだ?」
俺が影の中のクオンに尋ねると、狐の声が響いた。
「(フン。天狐である我は、魔力制御において他の追随を許さんからな。自らの魔法耐性を意図的に『オフ』にし、影魔法を受け入れているのだ)」
「……なるほど」
つまり、クオンは魔法制御が「器用」だから出し入れ自由だが、ヴォルガラは防御力が「常時発動」していて融通が利かないらしい。
最強のドラゴンも、意外なところで不便なものだ。
「となると、やはり昨日の作戦通り『執事』として堂々と通るしかないか」
「御意。ご安心を、私の顔を知る人間など、この数百年誰一人おりません」
ヴォルガラは片眼鏡を光らせ、不敵に笑った。
「では、検問を確実に突破するために……設定を少々付け加えましょうか」
「設定?」
「ええ。単なる執事と主人では怪しまれるかもしれません。そこで――」
ヴォルガラは咳払いを一つすると、より一層「忠実なる老執事」の顔つきになり、恭しくお辞儀をした。
「――我が主は、生まれつき病弱で日光に弱い貴族の御曹司。私はその療養の旅に付き従う執事……というのはいかがかな?」
「採用。それで行こう」
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