第46話 莫大な請求書
魔法の陣を用いて並行世界から特定の質量(人間)をサルベージする行為が、空間に対する極めて暴力的な「穴あけ作業」であるならば、その質量を元の世界へ送り返す作業は、開いた穴に規格外の圧力をかけて強引に「裏返す」ような暴挙である。
地下の祠の中心。
アーレイが床の幾何学模様の結節点に配置した二十個の魔石が、一斉に危険な脈動を開始した。
敵将ドルゲから回収した特大の魔力貯蔵庫を起爆剤とし、残るすべての魔石のエネルギーを、召喚陣の魔力回路へと完全に「逆流」させる。
それは、設計時の想定上限を遥かに超える、意図的なシステムの過負荷だった。
洞窟内の大気が、物理的な重さを持って軋み始めた。
急激な魔力の圧縮により、空間の温度が急上昇し、酸素が焼ける特有のオゾン臭が充満する。青白かった聖樹の根の燐光は、陣から溢れ出す毒々しい赤紫色の光に完全に塗り潰されていた。
緻密に刻まれていた石の床の回路が、内側からの熱膨張と魔力圧に耐えきれず、蜘蛛の巣状にひび割れていく。岩盤が断裂する重い音が、地下空間に連続して響いた。
「……空間座標の逆転現象、開始。帰還プロセスが起動したぞ」
アーレイが、強烈な静電気で白髪を逆立てながら、杖で陣の制御をギリギリのところで維持しつつ叫んだ。
「崩壊までの猶予は、長くて数十秒だ。これ以上、この莫大なエネルギーをこの狭い空間に留めておくことは、物理的に不可能だ」
千代は、泥と血で汚れきった制服のまま、その危険な赤紫色の光の円環の中心――最も魔力密度の高い『台風の目』へと、迷うことなく足を踏み入れた。
肌を刺すような高圧電流の感覚が全身を舐め回す。毛穴が開き、細胞の一つ一つが別の次元へと強制的に引き剥がされようとする、強烈な吐き気と浮遊感。
千代が陣の中央で振り返ると、崩壊を始めた洞窟の入り口付近に、三人の生存者たちが立っていた。
彼らは、強烈な光と熱風を手で遮りながら、異世界へ帰還しようとする女子高生の最後を見届けようとしている。
「本当に帰るのね、クソガキ」
重装歩兵オリエールが、ひしゃげた胸当てのまま、瓦礫の壁に寄りかかって口の端を歪めた。
満身創痍。彼女の巨大なタワーシールドはすでに失われ、前衛の要としての商売道具は完全に全損している。傭兵として、これほどの大赤字はない。
「ええ。修学旅行の予定から、ずいぶん遅刻しちゃったからね。……あんたも、さっさとこんな泥臭い村を出て、腕のいい医者に内臓を診てもらいなさい。そのまま酒を飲んだら、胃に穴が空いて死ぬわよ」
「誰に口を利いてるのよ。……帰ったら、美味い肉でも腹一杯食べな」
オリエールは、熱風に髪を煽られながら、極めて不敵な、そして冷酷な金貸しのような笑みを浮かべた。
「言っておくけど、粉々にされた私の盾の修理代と、迷惑料と、治療費。……絶対にツケとくからね。あんたがどこの世界に逃げようが、必ず取り立てに行ってやるわ」
「ふふっ。楽しみに待ってるわ。平凡な女子高生に、そんな莫大な請求書を払える財力があればの話だけどね」
千代は、強風の中で目を細めながら笑い返した。
互いに、命の恩人だの、感謝だのという湿っぽい言葉は一切口にしない。プロの傭兵と、彼らを死地に追いやった冷徹な指揮官。その二人の間に交わされる別れの言葉は、借金の取り立てという極めて実務的でドライなブラックジョークだけで十分だった。
岩盤の崩落が本格的に始まった。
天井から、巨大な土塊と木の根がボロボロと崩れ落ち、陣の周囲に激突して粉砕される。
空間の崩壊は、すでに最終フェーズに突入していた。




