84 謎々獅子
暗闇の中、俺はぼうっとしていた。
ラリアンを出発から三日目の、今は深夜である。
身を切るような冷たい風が、頭巾とマスクの隙間の肌を掠めてゆく。それにも慣れてくると、やがて眠気が襲ってくる。
と、突然パトラッシュが走るのを止めた。
着いたのか?
俺は目を開けて、上半身を起こした。
周りには、誰もいない。
ただの暗闇である。
いや、違う……?
ぼうっと、目の前が照らされた。
蝋燭を灯したような優しい、おぼろげな光。
それが――思いもよらぬものの存在を映し出したのだ。
目の前の暗闇だと思っていた空間は、実は巨大な霊獣の顔だった。
猫のような人のようなな顔の、耳の大きい化け物。
そう、まさにそれは怪物だった。
だが、怪物と呼ぶには、その纏うオーラは美しすぎる。
「スフィンクス……!?」
クワルが呟いた。
どうやらこの生き物は、かの有名な、スフィンクスらしい。
こんなに大きいものだったのか。
いや、大きいだけなら、これまでも、そういう魔物と戦ってきたことがある。このスフィンクスという霊獣を「巨大」と感じるのは、物理的なサイズだけの問題ではない。
滅多なことでは動じない、我が友、パトラッシュまでもが大人しくなってしまっている。
唾を飲み込むことすらできず、俺たちはただ、スフィンクスに見つめられるのを、じっと耐えているしかなかった。
退治すればいいじゃないか、と考える人間もいるだろう。
得意の黒魔術で倒したら、と。
だが俺はすでに悟っていた。この霊獣に、俺の魔法の一切は通用しない。そうしてみようという試みすら馬鹿々々しく思えるほどの、そういう霊獣なのだ。いわば、台風に戦いを挑むのと同じようなレベルである。
『魔術師よ、何故ここを通る』
直接心に話しかけてくる。
朗々と、スフィンクスの声が体の中に響く。
「カ、カヌラの町に行きたいんです」
『ここを通りたいのか』
「ええと……」
俺は、カヌラとラリアンの大まかな位置関係は知っているが、どのような経路でカヌラまで行くかは知らない。どの道パトラッシュは、街道を通らないのだから関係ないと思っていたのだ。
だから俺は、ここがいったいどこなのか、見当さえつかない。
『ここを通りたければ、私の問いに答えるのだ。正解すれば、通してやる』
「不正解だったら……?」
『お前たちの魂をいただく』
パトラッシュよ、どうしてこんな道を通ったんだ。
きっとここは、カヌラに行く近道だったのだろうが、さすがにこれは、命が掛かりすぎる。思いもよらず、絶体絶命だ。
『多くの声を持つが体は一つ。目はないが見ることができ、耳はないが聞くことができる。あらゆる事を知っているが、その者に頭はない。この者は何か』
完全に謎々だ。
朝には二本足……という例の問題が来たなら即答できたのだが、この問題は、完全にオリジナルだ。
「多くの声を持っているのに体は一つ。目はないのに見えて、耳がないのに聞ける。あらゆることを知っているが頭はない――なんだよそれ……」
スフィンクスの眼が、猫のように細長く光る眼が、俺を見つめる。
『答えは一度のみ。さぁ、答えよ』
一度のみ……条件がハードすぎる。
命がけの解答だ……。
「クワル、何か、わかるか?」
ふるふると首を振るクワル。
そりゃあそうだ。
聖獣が自信を持って出題した問題である。この問題を考えるのに、十年や二十年、いや、百年や二百年は費やしていそうだ。たかが謎々の為に。
そして俺は今、その、たかが謎々に殺されかけている。
『わからぬか?』
「わ、分からない場合は、逃げてもいいんですか?」
『問題を聞いたからには、答えてもらう。百年、二百年かかったとしてもな』
イカれてるぜこの霊獣。
ちくしょう、こうなったら怖がっててもしょうがない。
「不公平だ!」
俺は、叫んでみた。
「俺たち人間は、命を失ったらそこまでだ。なのに、正解してもその見返りが、道を通れるだけなんて、それはフェアじゃない!」
『では、何を望む。私の魂か』
「……いや、まぁでも、それに相当するような何かをですね……」
『良かろう。では、お前が私の問いに答えられたならば、お前に、服を与えよう』
「服!? 服、ですか!?」
『不満か?』
「い、いえ、そんな、滅相もない……」
スフィンクスに凄まれては、流石にそれ以上はもの申せない。
しかし、服か。
こっちが命を懸けているのに、スフィンクスは、ただの服。やっぱり、同じ条件で魂をいただくべきだったか。
だが、このままいけば、いただかれるのは俺の魂だ。
一度しか答えられないから、あてずっぽうは許されない。
「ヒントを、貰えませんか! 服とかいらないんで!」
『ならぬ』
頭を抱えてしまう。
そりゃあ、スフィンクスが、ヒントをくれるわけがない。でもこんな問題、ノーヒントで解けるわけがない。そして俺は、謎々が苦手な頭の固い人間だ。
問題を反芻する。
多くの声を持つが体は一つ。目はないが見ることができ、耳はないが聞くことができる。あらゆる事を知っているが、その者に頭はない。この者は何か。
――そんな生物、いるわけがない。
いや、いるのか?
いないのなら、でっち上げればいいのか?
でっち上げるにしても難しい。目がないのに見ることができる? 耳がないのに聞くことができる? そんな生き物、いるわけないだろう。しかも、頭がないときている。
多くの声を持っているという事は、口はあるのか? 多くの声――百舌鳥か!? いやいや、あれは目もあるし耳もある。頭もある。
やっぱり、生物ではない。
道具か、それとも、勇気とか愛とか、そういう類の――概念的なものが答えなのか? そうなると、俺の頭の演算能力じゃ、ちょっとわからない。答えに辿り着くまで、百年くらいはかかるのではなかろうか。
仮に道具だとして――道具なら、目や耳や頭といった、生物的な一切のものがない。その点では、この謎々の言っているものに近い気がする。だが一方で謎々は、多くの声を持ち、とも言っている。つまり、音を発するものだ。
音を発して、見れて、聞くこともできる……?
――わからないよ。
万事休すか。もう十分以上は、いや三十分以上は考えている。
全然わからない。
こういうのは、関係ない時にぽんと思いつくものなのだ。解けと言われてその瞬間に解けるものじゃない。
あぁ、ググりたい。
ググったところで出てこないと思うが……何かヒントくらいだったら、見つけられるかもしれない。だが俺は今、パソコンはおろかスマホだって持っていないし、持っていたとしても、この世界には電気もネットもWiFiもない。
どうしろってんだ!
あぁ、ちくしょう、本当に……。
……あれ?
……待てよ。
いろいろな声を持っていて、目がないのに見えて、耳がないのに聞こえて、それで、頭がない? いろいろな事を知っている……?
「スマホだ……」
呟いた。
スフィンクスは、頭を微かに持ち上げた。
「答えは、スマートフォン、です!」
『なんだ、それは』
「スマートフォンですよ! 電話で、いろんな人の声を出せる。目はないけど、カメラがあるから見える。耳はないけど、スピーカーで聞こえる。ネットに繋げられるから、いろんな知識もある。でも、頭はない。――スマホ、ファイナルアンサー!」
『な、なんだそれは! そんなものが存在するのか?』
「存在します!」
『馬鹿な。私を出し抜こうと嘘をついているな!』
「嘘じゃない! 貴方が知らないだけで、スマホは存在する。俺も持ってた! いや、俺の国じゃ当たり前の道具だった!」
『出鱈目を……では、その、スマホといったか、そのような道具があると、誓えるか』
「誓えます」
『よかろう。では、呪雷によって証明する』
スフィンクスはそう言うと、口を開いた。
「この男の誓いに偽りのあるならば、直ちにこの者の頭上に、イカヅチを与えよ!」
スフィンクスの肉声は、それこそ雷のようにごろごろと地面を震わせた。
しかし当然俺は嘘などついていないから、イカヅチは降ってこない。
『なんということだ。なんということだ!』
スフィンクスは悔しそうに言った。
意図した答えではなかったのだろう。
だがそれは、出題側のミスである。
「解きました」
『うううう、ぬぬぬぬ……』
「道を通してください」
頭を下げる。
スフィンクスは、ついに首をがっくりと垂れた。
『良かろう、約束通り、ここを通るがよい』
声を残して、スフィンクスは暗闇の中に消えていった。
いつの間にか、俺の服も変わっていた。
袖口と裾に金糸の刺繍が施された黒のローブに、金の帯。エジプトのファラオが被っているのと酷似した、耳から肩までを覆う頭巾。黒に金の縞模様が入っている。
これが、スフィンクスの服、らしい。
「流石です、やっぱりすごいです、グリム様!」
再び走り出したパトラッシュ。
クワルがまた俺を、勘違いで尊敬してしまった。
スマホではなく、本当は何だったのだろうか。気になるが、しかしもう、考えたくはない。あの数十分の間に、何千本の髪が白くなったかわからない。
ともあれ、無事でよかった。
修羅場らしくない修羅場だったが、今回の修羅場は、実は今までで最もどうしようもない修羅場だった。スフィンクスの恐ろしさは、鍾乳洞の巨大な穴を前にしたときのそれと似ていた。
以前ワイバーンと戦ったことがあった。
しかしあれは、果たしてドラゴンだったのだろうか。
龍老人やスフィンクスの神々しい感じが、あのワイバーンにはなかった。たまに酒場で、ドラゴンを倒したというような話題がきかれるが、スフィンクスと相対した今、それらの全ての話がうさん臭く思えてくる。
スフィンクス、ドラゴン、フェニックス、マンティコア……そういう類の、向こうの世界でも有名な霊獣は、もはや人知を超えた存在で、戦うとか倒すとか、そういうレベルにない気がする。
と、俺はそんなことを考えていたから、後ろの気配に全然気づかなかった。
何かいる、そう感じたのは、気配が現れてからどれほど経った頃だろう。
人間の気配ではない。
魔物でもなさそうだ。
後ろの暗闇を眺める。
真っ暗。
しかし、何かがいる。
だんたんそれが、近づいてきた。パトラッシュの速度についてくるなんて、一体何者なんだ。いや、気配は複数ある。一体、何者たちなんだ。
ある瞬間、真っ暗闇の中に、俺は信じられないものを目撃した。
白い、幽霊の大群である。
上半身は人間、下半身は消えている。
そんな幽霊が、ざっと――一体何人いるのやら。それが、俺たちの後からついてきている。
「な、なんだ! なんだあれ!」
「幽霊ですかね!?」
クワル、なぜかテンションが高い。
怖がるとかはないらしい。
おろろーーん、おろろーん。
嬉しいかな、嬉しいかな、おろろーん。
幽霊は、皆そんなような事を言っている。
ついに霊感までついてしまったのかと、複雑な心境でいると、幽霊の一人が俺の横までやってきた。
「ありがとうございました。あ、いや、私は怪しい者ではありません。名前は……とうに忘れてしまいましたが、この道でスフィンクスに挑戦し、魂を奪われた者です」
幽霊は、そんな事を言った。
人の良い、いや、霊の良さそうな幽霊だ。
「後ろの幽霊はみんな……」
「はい、その通りです。彼らも、スフィンクスの謎々が解けずに魂を奪われた者たちです」
「あんなにたくさん、いたんですね……」
そう考えるとぞっとする。
「いやぁ、すっきりしました! これで楽になれます」
「え?」
「皆でずうっと考えていたんです、謎々の答えを」
「……」
「これで私も、彼らも、この世に思い残すことはありません。スマホ……そんなものがあるなんて、知りませんでした。それでは、ありがとうございました、旅の方。では、我々はこの辺で――」
幽霊はそう言うと、すうっと消えていった。
後ろを見ると、いくつもの白い靄が、月に向かって登っていく所だった。




