83 日暮れの出立
街はそわそわしていた。
そう見えるのは、俺の心がそわそわしているせいだけではないだろう。十日ほど前に、公爵の騎士団が町を出た。噂によるとその日の夜に、黒狩り部隊も出て行ったという。
傭兵ギルド酒場には、目をぎらつかせた傭兵や情報屋が集まり、ひそひそやっている。町の大手クランも動き出しているようで、時折馬が、すごいスピードで通りを走って行ったりする。
広場から伸びた道を東に歩く。
歩いていると、黒猫に出くわした。
俺は自然と、黒猫の後についていった。
小さな路地に入り、幾度か曲がり、気が付くと、猫じゃらしのちょっとした草原の庭に俺はいた。農家のような家があり、軒先から、黒いワンピースの女性が靴を履いてやってきた。
「久しぶりだね」
クールな低音。
赤い唇がとんがり帽子のつばから覗いている。
「どこかで……?」
「薬は、毎日飲んでるんだろうね」
俺は、はっとした。
この女性は、俺に隠蔽薬の壺を譲ってくれた老婆だ。
だが、目の前にいる女は老婆ではない。
三十路ほどの、格好の良い魔女である。
魔女は、ふふっと口元に笑みを浮かべた。
俺は、思わず後ずさった。
「怖がることないよ」
「は、はい……」
「ちょっと若返っただけでそんなに驚くなんて、失礼な男だね全く」
魔女は「ちょっと」というが、いやいや、別人である。
これで驚かない人間がいたら見てみたい。
「貴方が、ヨルムさんですか?」
「いかにも、私がヨルムだよ」
「優れた占術師だと聞いてきました」
「そりゃあねぇ、この国じゃ私以上の占い師なんて、いないだろうね」
「実は――」
「あんたのフェアリーサインと、その手紙の事だろう」
恐れ入った。
俺はまだ、手紙すら出していない。
フェアリーサインのことだって、一言もしゃべっていない。
魔女ヨルムは、懐から水晶を取り出し、撫でまわすように触った。
「難しい占いだ、それなりの報酬は、用意してきてるんだろうね?」
「え、ええと……」
全く考えていなかった。
「良いネックレスを持ってるじゃないか」
「これは、ダメです」
翠命のネックレス。
クワルの友人たちが、各々の宝玉を持ち寄って作った宝物だ。これは、あげられない。
「それなら他に、何を持っていいるってんだい」
「え、ええと……」
収納の杖の中には、大量のアイテムが眠っている。
俺自身、全部を把握できているかは怪しい。
魔女の欲しがりそうなものがあっただろうか。
この一年、俺は傭兵として魔物と戦うよりは、座学と魔術の自主練をしていた。暮らす分には、別に働かないでも、ユランとの契約金だけで充分だった。よって特別なアイテムを拾うような冒険はしていない。
ロドロムのキメラが落としたアイテムなら手つかずで杖の中に眠っているが、それをここで広げて、露店のようにするのは憚られる。
「そのネックレスと交換だよ。さて、どうする?」
「でも、これは……」
「何かを得ようとするなら、代償はつきものさ」
「他のものだったら――」
「そうだねぇ、それじゃあ、あんたの命、とか」
思わずぶるっとやる。
この魔女なら、やりかねない。
「じゃあこれならどうですか」
収納の杖を振って、グラシエクレルとシルフロッドを出す。
どちらも、世話になった特殊な武器だ。
「ふーん……」
ヨルムはじいっと見て、それから言った。
「ダメだね。私は好きじゃないんだよ、武器なんて、何の役にも立ちゃしない」
「じゃあ、この腕輪も付けます」
俺は、ウルドの腕輪を外してヨルムに差し出した。
ウルドの封印した魔人が入っていた腕輪だが、魔人は自由の身にしたから、今はただの、古い腕輪である。
「昔の腕輪だね」
「ウルドの腕輪です」
「封魔の腕輪と言うのが正しいんだよ。ま、確かに、呪術師ウルドのものだけあって、普通の封魔の腕輪よりも、随分しっかり作られてる」
「それじゃあ――」
「しょうがないね。その三つで勘弁してやるよ」
ヨルムはそう言うと、手品師のように、両手で水晶を撫でまわした。
俺は手紙を出した。
手紙は、ヨルムの周りをくるくる回った。
「ああああぁぁぁあぁあぁ!」
突然、ヨルムが叫び声をあげた。
ヨルムの両手が燃え始めたのだ。ヨルムだけではない、手紙も、水晶も、突然火を吹き出した。俺も、目眩を覚えて膝をつき、目を閉じた。
誰かが、俺の心の中で囁いた。
『ジャンヌだよ』
『ジャンヌが危ないよ』
『カヌラの近くにいるよ』
恐る恐る目を開けると、俺は、最初に黒猫を見つけた通りにいた。
ヨルムの姿はどこにもない。
あの悲鳴、そして炎……ヨルムが無事である可能性は極めて低いが、死んだとも思えない。彼女は、ゴキブリ並みの生命力がありそうだ。
それにしても、どうして急に燃えたのだろう。
占いを始めたら、まるでそれを阻むように――そういう呪いが、あの手紙に仕組まれていたのだろうか。
そしてあの声。
ジャンヌが危ない。カヌラの近くにいる。
あの声は、精霊のものだったのだろうか。
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「カヌラは、ここにあります。小さな町です」
夕方、ユラン邸に戻った俺は、早速ヨルムの所で起こった一部始終を、ユランに話した。ユランはまず、地図を広げてカヌラの場所を示してくれた。カヌラの町はラリアンの西、デノンの南西にある。地図には確かに、その名前が記されていた。
――ここだ。
ここに、ジャンヌがいる。
ユランは、分厚い本をいくつか引っ張り出してきた。
開かれた十冊余りの本が、ユランを中心に、扇のようにテーブルに並べられ、ユランは思考に耽った。
「呪いですか?」
質問すると、ユランはゆっくりと口を開いた。
「シンプルで強力な呪いです」
そうなのだろう。あの魔女が、燃やされるくらいなのだから。
呪いの詳細は、聞いたところで難しい魔法の概念が出てきて理解できないだろうから置いておくとして――ジャンヌに対してそれほどの呪いが使われていることが、問題だ。一体ジャンヌの身に、何が起こっているのだろうか。
「どうして、ジャンヌが……」
思わず呟く。
いや、待てよ。
そもそもどうして、ジャンヌがカカンの領土の町にいるのだ。彼女はルノアルド王国の騎士じゃないか。カカンとルノアルドは、戦争こそしていないが、決して良い仲ではない。行き来はほとんどなく、商人などが気軽に国境を超えることはできない。
俺は、向こうでアデプトの称号を受けた、いわゆる「救国の英雄」だったから、関所を通ることを許されたわけだが、今、こっちから向こうに行くことは、恐らく、できないだろう。
「強力な魔法は、術者にとってもそれだけ危険なんですよね」
「その通りです」
「今回の呪いの場合は――」
「術者は、自身の命だけでは済まないほどの危険を負っていると見て、間違いないでしょう」
「それほどの呪いをかけるという事は……」
ジャンヌは、何かとてつもないことに首を突っ込んでしまったのではないだろうか。彼女は、正義感の強い騎士だった。彼女と旅をしていた頃は、互いに言葉を交わすことはできなかったが、それでも、彼女の人となりは分かっている。
正義感から、大きな悪を敵に回した――それが、一番考えられる。
ユランと俺は、互いに見つめ合った。
別に、変な関係、というわけではない。
互いに考えを探ったのだ。
俺は今、ユランに仕える魔術士だ。ユランは俺の意見を尊重してくれるが、だからこそ、気安く、ああしたい、こうしたいと、口に出すことはできない。まず、俺自身考えがまとまっていない。
「騎士隊や黒狩り部隊が向かったのも、カヌラの地方だと聞いています」
「それは、どう考えるべきですか」
「色々と考えられますね。いずれにしても、行ってみなければわからない。行ってみるまで、何もわからない」
「……」
ユランからすれば、首を突っ込みたくはないはずだ。
俺が行けば、ユランを巻き込むことになる。
ユランは、俺とジャンヌの関係を知っている。ジャンヌやクティがいなければ、ルノアルド領を出ることはおろか、俺は、生きていたかどうかも分からない。そういうことを、ユランには大体話している。
「行きますか?」
ユランに訊かれた。
俺は即答できない。
俺にとっては、ユランもユランで、恩人なのだ。
ジャンヌを探しに行くだけだ。しかし、それだけでは終わらない気がしている。行けば必ず、ユランに迷惑をかけることになるだろう。しかもその「迷惑」は、金で解決できるような類の「迷惑」ではない。恐らく、彼の人生を変えてしまうような、シャレにならない「迷惑」だ。
「魔術士を辞めれば、貴方に迷惑をかけずに済みますか?」
「そうしたとしても、貴方が僕の魔術士であったことに変わりはない。そういう経歴がある以上、貴方の行動の結果については、その責任の一端を僕は負うことになる」
「……」
「――でも僕は、貴方を魔術士として引き入れようと決めた時から、ある程度の覚悟はできています。貴方が他の魔術師とは違う、数奇な運命を辿るだろうということは、想像に難くない。
ジューガの森の一件では、貴方は僕に多くを与えてくれました。今回の事も、全て片が付いた時には、また多くの報酬を、僕にもたらしてくれるかもしれない」
「いや、でも、今回は、悪い予感がするんです」
「その女騎士を、放っておけますか?」
「……目を瞑ることはできます」
「貴方は、行くべきです」
「でも、貴方に迷惑がかかる」
「少し細工をしましょう」
ユランの言う細工は、ユランにしては頭の悪い小細工だった。
まず、俺とクワルの服を、どこにでもいそうな旅人の服にする。それから、黒の頭巾とマスクをつける。これが夏であれば怪しまれるが、冬のこの時期には、頭巾にマスクやマフラーというような格好は、比較的ポピュラーである。
そしてユランの小細工のうちで、最も効果のありそうなのが、パトラッシュへのものだった。小龍馬であるパトラッシュは、ラリアンでも有名になっていた。なにしろ町に一頭しかいない、青い毛の駿馬である。
そのパトラッシュを、栗毛色に塗り替える作業――これが大変だった。まず染毛剤。薬師に特別なものを調合して貰い、それを魔術染めという手法でもって染める。そういう特別な方法でなければ、パトラッシュの毛に色が付かないのだ。
しかしこの染毛を、パトラッシュはとても嫌がった。薬師の助手が三人がかりでパトラッシュを染毛したのだが、最初パトラッシュは、その三人を近くに寄せ付けなかった。
俺とクワルが何とかなだめて説得して、やっと染毛の許しを得たのである。
栗毛色になったパトラッシュは、それはそれで美しかった。
素材が良ければ、何をしたって様になる。馬でも、人でも。
パトラッシュは、全然嬉しそうではなかったが。
日没の頃、俺とクワルは旅の準備を終えた。
よし、出発は明日の朝だ――とはならない。
今すぐに出よう、ということになる。
これは、一般人からすれば相当狂った考え方だ。夜、町の外に出る。それは、ものすごく危険な事なのだ。魔物や山賊のいない日本という平和な国でも、日没後に山に登ったり森に入ったりする人間はいないだろう。
魔法が使えたとしても、この世界には魔物もいるし、山賊もいるし、他にもいろんな危険が存在している。町の中だって、夜は危険なのだ。町の外ともなれば、それはもう、人知を超えた危険がある。
すぐに出ると言ったら、ユランが大反対した。
ユランの従者一同、俺を、信じられないものを見る目で見つめてきた。
ユラン邸の中庭。
俺の後ろには、クワルとパトラッシュがいる。俺は振り向いて、後ろの二人に助けを求めた。
言い出したのは、この二人なのだ。クワルとパトラッシュ。準備ができたのだからすぐに行きましょうとクワルが言い、パトラッシュもそれに賛同した。
俺は、否定的だった。
だが俺にジャンヌの危険を伝えに来ている妖精は、「すぐに行け」「すぐに行け」というように、俺を内から焦らせてきた。
「せめて明日の早朝に……」
執事が助言してくれた。
その通りだと俺も思う。だが、俺のパーティーにはそんな常識人はいない。クワルも、パトラッシュも――そして俺自身も、半ば自棄で「行くか!」とか思ってしまっている。
「すぐに出発します」
ユランと従者たち、首を横に振る。
悲しい目をしている。
俺は、彼らを見ないようにしてパトラッシュに飛び乗った。飛び乗るくらいの芸当は、流石にできるようになっている。クワルが、俺の脇の下から潜り込んで、腹の前の定位置に跨る。
「くれぐれも気を付けてください」
「はい……」
俺はユランに頭を下げた。
直後、危険など知ったことかと、パトラッシュが一気に駆けだした。
闇の中――もう後戻りはできないだろう。




