最終話 無能と呼ばれた妹は、完璧な義兄の愛で帝国を救う
エルヴィンとの婚約披露パーティー。
帝都別邸の応接間は、久しぶりに賑やかだった。
白薔薇を模した壁紙に、柔らかな魔導灯の光。普段は静かなこの部屋に、今日は人が集まっていた。アレクセイ、イリヤ、リュシアン、ミハイル、セレス、そしてロウお父様。
「アリア。おめでとう」
最初に口を開いたのは、アレクセイだった。黒曜の瞳が、静かに私を見ている。いつも通りの、整った顔。けれどその口元に、かすかな苦笑が浮かんでいた。
「本当に、エルヴィンで良かったのか?」
「……殿下」
エルヴィンが、低い声で言った。
「少し、からかっただけだ。相変わらずおまえは心が狭い」
アレクセイは肩をすくめた。
「おまえが幸せならそれでいい」
そう言うと、彼は持っていた赤薔薇の花束を、私の胸に差し出した。薔薇には、棘がついていた。
それを見てエルヴィンが、気色ばむ。
「アレクセイ。おまえは」
私は、彼の言葉を遮るように、アレクセイの薔薇を受け取った。
「ありがとうございます、アレクセイ殿下」
アレクセイは満足げに、微笑んだ。
次に近づいてきたのは、イリヤだった。
「おめでとう、僕の愛しい星」
白髪が光を受けて、柔らかく輝いている。紅の瞳が、愛おしげに私を見ていた。
「ありがとう、イリヤ」
「僕としては、あまり祝う気にはなれないけど。……まあ、まだ婚約しただけだものね」
さらり、と言いながら、私の頬にキスをした。
「——っ、イリヤ!」
「何?めでたいことがあったんだから。お祝いだよ」
にこにこして、悪びれた様子もない。
隣で、エルヴィンの気配が変わった。部屋の温度が、てきめんに下がっている。
「イリヤ殿下」
「うん?」
「私の婚約者に、これ以上近づかないでいただきたい」
「いやだね」
「……」
二人の間に、静かな火花が散る。
ミハイルが「またか」という顔で天井を仰ぎ、セレスが小さくため息をついた。
「アリア」
張り詰めた空気を物ともせず、リュシアンが、すっと前に出た。いつも通りの、落ち着いた所作。金の瞳が、静かに私を見つめている。
「あなたとエルヴィンの婚約を、心よりお喜び申し上げます」
「ありがとうございます、リュシアン様」
「これは、祝いの品です」
そう言うと、リュシアンは小包を懐から取り出した。
「まあ、そんな……気を使わないでください」
包みを開くと、天井に届くほど積み上げられた巨大な本が出現した。
な、なにこれ。めちゃくちゃ重い。それに、でかい。この小さい包みにどうやって入ってたのよ。
「『黎明星の乙女と守護星の共鳴に関する完全論文集』全十七巻です」
リュシアンが、にこりと言った。
「わぁ。革装丁の豪華本ですね。世界に二刷しか存在しない、希少中の希少本ですよ!」とセレス。
いや。貴重なものなのは分かる。分かるけど、でも、これ、婚約祝いとして適切なの?
エルヴィンが、ぐったりとして額に手をやった。
リュシアンが指をぱちりと鳴らすと、豪華本全十七巻が再び小包へと戻る。彼は月の弧のような口元を開いた。
「あなたが婚約されたのは、実にめでたいことです。しかし——」
しかし……?
「あなたが誰と婚約しても、誰の妻となっても」
金の瞳が、私を射抜いた。その奥に、何か不穏なものが宿っている気配がした。
「私にとって、あなたが永遠の存在であることには、変わりはありません」
応接間が、しんと静まり返った。
エルヴィンが、固まっている。アレクセイが目を細め、イリヤが言葉を失い、ミハイルが、そっと一歩後ずさった。セレスだけが、目を輝かせてリュシアンを見ている。
リュシアンが、私を見てにっこりと笑った。顔面のあまりの完璧な美しさに、後光が差して見えた。
「それより、アリア。聖女オリアから教わったという守護星との共鳴について、お聞かせいただけませんか。先日は、複数の守護星との同時共鳴法までで終わっていましたから、次は——」
「リュシアン」
エルヴィンが、明確に遮った。
「その話は今は、やめろ」
「分かりました。では、いつならよろしいですか」
「少なくとも、今日以外だ」
リュシアンは、少し考えるような顔をしてから「それでは、また明日」と頭を下げた。本当に分かっていないのか、分かった上でやっているのか——この人は、やっぱりどこまでいっても、“至高のポンコツ”だ。
ミハイルとセレスが、やっとまともなお祝いの言葉を述べてくれて、ようやく場が和んできたころ。
「……アリア」
エルヴィンが、耳のそばで声を落とした。
「早く、おまえと二人きりになりたい」
「そんな。みなさん、お祝いしてくださっているのですから、もう少しお付き合いください」
「祝い?」
彼は、静かに応接間を見渡した。イリヤが笑顔で私を見ている。ミハイルはそんなイリヤに何やら話しかけていた。アレクセイは腕を組んで窓の外の白薔薇を眺め、リュシアンは研究書を取り出そうとして、セレスに止められていた。
「……邪魔の間違いだろう」
投げやりな声だった。
思わず、笑ってしまう。確かに、そうとも言えるかもしれない。
不貞腐れているエルヴィンを置いて、私はロウお父様のそばへ近づいた。お父様は、ひとりだけ少し離れた椅子に腰かけて、お茶を飲んでいた。この騒ぎを、どこか楽しそうに眺めている。
「お父様」
「うん?」
「……ありがとうございました」
ロウお父様は、しばらく私を見ていた。それから、眼鏡の奥の目を細めた。
「さあ、何のことかな」
はぐらかす。やっぱり、この人は何も言わないんだ。こういうところ、ちょっとエルヴィンに似てるんだよね。多分、エルヴィンはそう言うと嫌がるんだろうけど。
お父様は、私の心を見透かすように、少しだけ笑った。
「私は、愛する娘の望みを叶えただけだよ」
私が微笑むと、お父様はゆっくりとお茶を置いた。そして、私とエルヴィンを交互に見て、にっこりと笑う。
「ところで、おまえたち」
「「はい」」
「婚約した、だけだからね」
穏やかな声だった。なのに、なぜかぞくりとした。
「結婚を許したわけでは、ないからね」
笑顔だった。完璧な笑顔だった。目だけが、まったく笑っていなかった。
ちょっと。なんでイリヤもアレクセイもリュシアンも大きく頷いてるのよ。ミハイルとセレスまで?
エルヴィンの顔が、すっと冷めていく。
みんな、癖が強いと思っていたけれど。本当のラスボスは、お父様だったんだわ。……これは……先が思いやられる。
そう思った瞬間。
エルヴィンが、こちらに近づいてきた。
肩をしっかりと掴まれ、
そのまま——
唇を、奪われる。
その場にいた全員が、一斉に声をあげた。
驚きの声は、やがてエルヴィンへの非難の言葉になる。
それでも、エルヴィンは私を離さない。
そのうちに、声は静かになり、
気まずい空気が流れ始めた。
長い長い、永遠にも思える口づけが終わったあと。
エルヴィンが、全員を睨みつけて言った。
「アリアは、私のものだ。おまえたちにはやらない」
美貌の氷刃公は、今にもこの場の全員をせん滅しかねない目つきだった。
——まずい。
本当にまずい。
この場にいる面々に何かあったら、帝国が立ち行かなくなってしまう。
私は一歩前に出て、エルヴィンの腕をそっと掴んだ。
「……エルヴィン。落ち着いてください」
彼が、私を見下ろす。
眉間の皺が、少しだけほどけた。
そのとき、ふと思った。
無能と呼ばれた妹の、本当の使命は——これだったのかもしれない。
完璧な義兄の“怒り”から、帝国を救う。
そんな冗談めいたことを考えて
思わず笑みが、溢れた。
エルヴィンが、怪訝そうに私を見る。
「何がおかしい」
「……何もおかしくありませんわ」
ただ。
これ以上の幸せが、どこにあるというのだろう——と、思っただけです。
=終わり=
二人の人生は、まだ続いていきますが、
物語は、いったんここで終わりとなります。
始めての作品を、こんなに長く書き続けられましたのも
読んでくださる方々がいたからです。
本当にありがとうございました。
色々つたないところもあったかと思いますが
もし、いいなと思っていただけたら、
リアクションや感想、評価などいただけたら大変嬉しいです。
あと少しだけ番外編を書くかもしれません。




