114 青の匣
「アレクセイへ連絡しておく」
星脈観測施設へと向かう馬車の中で、エルヴィンは指をするりと動かした。
たちまち、淡い青銀の線が円を結び、魔導陣が浮かび上がった。さらに、もう片方の手で、白く光る魔導陣を出すと、二つを重ね合わせた。
緊急の魔導通信だ。星脈を使っているので、かなりの遠距離でも届く。その代わり、魔力が使える者には通信を“拾われる”可能性がある。つまり、街中のフリーWi-Fiみたいなものだ。だから、エルヴィンは秘匿魔導陣を重ね、傍受できないようにした。魔導陣を同時に二つ重ねるのは、かなり高度な技だ。それをいとも簡単に……。改めて、彼の魔力の強さに驚かされる。
ぶわん、という音がして、魔導陣の上にアレクセイの顔が映し出された。一部の隙もなく整った顔には、どこか疲れの色が見える。
『エルヴィン、何か分かったか』
アレクセイは、まっすぐにエルヴィンを見る。赤薔薇を渡そうとした時のような熱は消え。彼の眼は、冷静な皇子の顔をしていた。
「ああ。“星脈もどき”は、星脈観測施設から持ち出されたものだった」
『……なるほど』
「暗器の“素材”が入っていた特殊な箱が、所長のマリウスが持っていた物と同じだった」
アレクセイは、じっと考え込んでいる。
『マリウスは星脈研究の第一人者だ。彼ならば、ありえないことではない』
私は、横から口を挟んだ。
「アレクセイ殿下、私たちはこれから、マリウス様に会いに行ってきます」
アレクセイの皇子の仮面がずれ、少し慌てたような顔になる。
『……大至急、帝国騎士をそちらへ向かわせる。アリア、騎士たちが着くまで決して無茶はするな。何よりおまえたちの身の安全を最優先にしろ』
魔導陣の光が、すっと薄れる。通信が閉じられる前に、アレクセイの声がもう一度だけ落ちた。
『エルヴィン。アリアに傷一つ付けさせるな』
◇◇◇
馬車を降り、長い長い石段を登りきると、鬱蒼とした木々の中から薄灰色の建物が現れた。低層の石づくりの建物の上には、重い雲が低くたちこめ、行く末を暗示しているようだった。
建物の中は静かだった。床に足音だけが吸い込まれ、ところどころに設置された観測器具が薄い光を脈打たせている。まだ陽はあるのに、誰ともすれ違わないのが不気味だった。
皮膚の内側をすっと撫でられたような感覚がして、私は無意識に、廊下の先へ視線を向けた。気配は、一本の糸のように伸びている。糸は、迷うことなく最奥の扉へと私たちを導いた。扉の前に立つと、濃密な空気で、頭がくらりとする。
間違いない。
マリウス所長は、ここにいる。
エルヴィンがノックする前に、扉は内側から開いた。
「お待ちしていましたよ。黎明星の乙女」
優しく微笑む翠の眼。柔らかな物腰。落ち着いた所作――。
一瞬、親しい友人の家にでも来たような気分になった。でも、その直後、我にかえって気を引き締める。この人が、すべての黒幕の可能性があるんだから。油断はできない。
◇◇◇
この箱は、マリウス所長の物だったのか。
中に入っていたものを、知っているのか。
私たちの質問に、彼は驚くほど素直に答えた。
「ええ。その匣をヴァンデル商会に渡したのは、私です。匣の中身は、この石。――天から降ってきた星の欠片ですよ」
マリウス所長は、小さな銀の石を机に置いた。拳ほどの大きさで、表面には幾何学的な網目模様が入っている。
この独特な模様は、もしかして――
「隕鉄……?」
マリウス所長の眼が、わずかに見開かれた。
「その名を知っているとは、さすがですね。黎明星の乙女」
私、前世は鉱石好きで、大学生の頃はミネラルマルシェとか行ってたのよね。この独特な模様は、隕鉄特有のウィドマンシュテッテン構造に違いない。隕鉄って簡単に言うと、鉄分を含んだ隕石だから、それを加工して星脈の力を宿らせるというのは、確かに理にかなっているかもしれない。
マリウス所長は、私の思考を読んだように続ける。
「私が行っていた研究は、人を介さず、物体に直接、星脈の力を宿らせるというものでした。星の欠片である隕鉄は、星脈と相性が良かったのです。実際、星脈の力をこの石に宿らせることには、成功した」
「ですが……!」
「そうです。どのような策を施しても、この石に宿った星脈の力はたちまち劣化し、最後は消えてしまうのです。“星脈もどき”とは、あなたたちも、うまく名前をつけたものだ」
エルヴィンが、剣の柄に手を触れたまま、マリウス所長を睨む。
「マリウス、なぜこんなことをした?星脈で、よりによって暗器を作るなど」
「とんでもない。私が作りたかったのは、人を癒し、平和に導く道具でした。しかし、手を組んだヴァンデル商会のジラルドが、この技術を戦争と金儲けの道具にしようとしたのです。私の知らないところで、工房を騙して暗器を作らせていた」
彼は、本当に知らなかったんだ。この技術が、暗器に使われたのは、ジラルドの独断だったんだ。どこかでほっとする自分がいた。しかし。
「ですから、ジラルドには消えてもらいました」
マリウス所長が、事も無げに言った。
「そんな!!あなたは一体、ご自分が何をしたか分かっているのですか!?」
マリウス所長は、片眼鏡をくい、と上げた。
「あなたこそ、私が何をしているか分かっているんですか。私は、あなたを助けようとしたんですよ?」
「……私を?助ける?」
「あなたは、おかしいと思いませんでしたか?この国は、星脈にあまりにも支配されすぎている。すべての魔力が星脈に依存しており、ひとたび星脈が乱れると厄災が起こる。しかも、その星脈の安定を守れるのは、黎明星の乙女のみ。そのため、帝国は古き世から乙女を囲い込み、その身を帝国に捧げさせることで繁栄してきたのです。あなたたち聖女を、犠牲にしてね」
マリウス所長の言うことは、三百年前のセレスティアで私が強く感じたことだった。この帝国で、黎明星の乙女に課せられた責任は、あまりに重く、一方的だ。
マリウスが、私の反応を満足げに見る。
「“聖女機関説批判”。――聖女が国の機関の一つとして扱われていることを批判した論です。あなたの守護星であるリュシアンが、数年前から唱えてきた」
「リュシアンが……?」
「ええ。私は、彼の理論を実践したに過ぎない。物体に直接、星脈が宿せるようになり、人々が黎明星の乙女に頼らなくてよくなれば、世はもっと便利になる。あなたも、役目から解放される」
マリウス所長の言うことは、一理、あるような気がした。でも、一理はあっても、そこに大切な視点が欠けているような気味の悪い予感。
「アリア、あなたは本当に良い時に来てくれました。ちょうど、星脈の力を石に定着させる方法が分かったのですよ。定着させるには、芯が必要だったのです。乙女という、芯が」
マリウス所長は、先ほどの匣を私に向けて開いた。その目は狂気に満ちている。
「さぁ、あなたのことは、しっかりと私が役立ててあげますからね」
箱の表面が青く光ると、強い磁石のような力で匣に引きつけられる。その力は急速に勢いを増してゆく。
だめだ!!このままじゃ、吸い込まれる!!
「アリア!!」
エルヴィンがとっさに私を掴んだ。
私たちはそのまま、二人して匣の中へと吸い込まれていった。




