100 無能な妹とスリッパと路地
砂漠の王のお相手って、こんなに大変なのだろうか?
ザフィール鋼盟国使節団の応接という名のお世話係を命じられて、四日目。
私の一日は、帝都の時計に正確に切り刻まれるようになった。
朝は星冠宮での打ち合わせから始まり、昼前には帝都の歴史や信仰制度についての説明、午後は工房街や学術区の視察同行、夕刻にはその日の報告と翌日の予定調整。夜は、飲み会ならぬ晩餐会が開かれる。
聖女というか、サラリーマンだ。しかも十分刻みで予定が入ってるやつ。栄養ドリンクがあれば、今頃絶対飲んでるな。
四日目となる今日は、使節団待望の帝都魔導院への視察だった。
「こちらが、帝都魔導院の院長リュシアン=オルフェウス様です」
私がそう紹介すると、ザフィール陛下は物珍しそうにリュシアンを見た。それもそのはず。リュシアンは白衣の袖にインクをつけたまま、器具と書類を抱えている。国外の賓客を迎え入れるのに、その恰好は……良いの?
しかし、ザフィール陛下は、白き魔導士の外に目を向けていたのではなかった。
「魔導院長殿、相当の手練れとお見受けする。一度、魔導戦の手合わせを願いたいものだ」
「私など、とても。砂竜の眷属にはかないません」
「ほう。そこまで見えているとは、さすがだな」
なんだか不穏な空気がする。いつの間にか、リュシアンのすぐ後ろにはイリヤ。彼の視線は、私とザフィール陛下をいったりきたりしている。愛しさと怒りが彼の眼に交互に現れ、怖い……。リュシアンの世話役のセレスは……あっ!リュシアンの袖のインクを必死に消そうと、その場で叩き洗いをしている……!
「これほどの魔力を持つ者が、そこかしこにいるとは。魔導院は、恐ろしいな」
ザフィール陛下の喉がごくりと鳴った。
やがて話は、魔導院の設備のことになった。魔導院の回廊には、幾何学的な魔導陣と、金属製の補助機構が混在している。星脈の流れを安定させるための導線がそこかしこに敷かれているのだ。
「エリドゥでは魔力を“流れ”として捉えているのだな」
ザフィール陛下は低く呟いた。
「我が国では、魔力は“力”だ。制御し、閉じ込め、必要な分だけ解放する」
陛下によると、ザフィール鋼盟国では魔力は純粋なエネルギーとして扱われているらしい。太陽光発電みたいな感じってことか。
「エリドゥ帝国では、魔力と人を切り離して考えません」
私は答えた。
「星脈は人の意志と呼応するもの。だからこそ、黎明星の乙女の祈りが星に届くのです」
◇◇◇
魔導院での視察を終え、次の予定までは小休憩が挟まる。
その間も、ザフィール殿下はエリドゥの文化や歴史について次々と質問してくる。振る舞いは上品で礼節を知り、気高い。……初対面でのあれは、一体何だったんだろう?もはや、別人としか思えない。
「エリドゥ帝国の織機は、糸に直接魔力を通しているのだな」
ザフィール陛下が言う。
「それにより、布そのものが微細な魔力を帯びる」
「はい。星灯布は我が国の名産として知られておりますわ。美しいだけでなく、呪いを防ぐ効果があるので、皇族や貴族の服に使われておりますの」
「なるほど……」
陛下は一歩近づき、私の手を取った。
「そなたの――」
声が、少し低くなる。
「その衣装にも、星灯布が使われているのかな。あまりに美しく、眼が眩んでしまいそ――」
ザフィール陛下が言い切る前に
スパンッ
という乾いた音が響いた。
「陛下」
従者の冷静な声。
「外交」
スパンッ。
「場」
スパンッ。
「立場」
スパンッ。
「あのですね、カディル様。何度も申し上げたでしょう。深窓の令嬢にそのように近づくなど!紳士の風上にも置けません。そもそも、初対面からして印象は最!悪!なのに、そんなことではますます心証は悪くなられるだけ……!母君もお嘆きになられます……少しは弟君のムスタファ様を見習いに――」
陛下の従者、本当に容赦がない。ナディーム=アル=サイードと名乗った彼は、物心ついてからザフィール殿下に仕えていると言った。陛下が、陛下らしくないふるまいをするたび、懐からつるりとしたスリッパを出し、頭をはたいているが、その光景を見るのは、これで十回目ぐらいだろうか。彼のおかげで、私は不用意な接触を避けられている。ある意味、心強い存在だ。しかし、なんでいつもスリッパなのか、もう少し仲良くなってから聞きたいと思っているが……。
ザフィール陛下は、頭を押さえると、何事もなかったかのように咳払いをした。
「……失礼。織機の話に戻ろう」
◇◇◇
夕方、市井の様子を知りたいというザフィール陛下の声で、帝都の街へ向かった。姿は見えなかったが、護衛責任者としてエルヴィンも、後ろをついてきているらしい。それを聞いて、どこかほっとした自分がいた。
石畳。露店。行き交う人々。
懐かしい~~。ここはエルヴィンと、帝都に来て初めて歩いた場所だ。あのときは、何も分からず、ただ街の賑わいに心躍らせていたんだった。まさか、砂漠の皇子様から求婚されるなんて、あのときの私に言っても信じないだろうな。
通りを外れ、日陰の一角に差しかかったときだった。
「アリア嬢、こちらへ」
ザフィール陛下に腕を引かれ、私は一瞬で路地裏へ連れ込まれた。陛下の護衛も見逃すほどの、素早い動きだった。
狭い路地に男女が二人。距離が、あまりにも近い。
「陛下……?何を?」
ザフィール陛下は私から手を離し、静かに言った。
「ここに見覚えは無いか?」
私は眉をひそめた。記憶を探るが、何も浮かばない。
「覚えていない、か」
陛下は苦く笑った。
「そなたはここで――瀕死の男を救ったことがあるだろう」
断片が、ようやく繋がる。帝都に来たばかりのとき、路地裏で倒れていた男性を助けたことがあった。頬はこけ、眼は見えず、今にも儚くなりそうな様子だったのに、黎明星の乙女の祈りで、呪いが解けたのだ。
「……そういえば……でも、あのときは混乱していましたから……」
「あのときの男が、私だ」
陛下は、眉を少しだけひそめた。
「……え……?」
黄金の眼が私を見据えていた。言われてみれば、確かに、あのとき倒れていた男性にも同じ強い輝きがあった気がしてきた。
陛下は、ゆっくり言葉を重ねた。
「私は国内の政敵に狙われ、死の呪いを受けた。解呪できる魔導士を探して、帝国にまで足を運んだが、見つからず……私の命はここで尽きるはずだった」
淡々とした声の響き。
「そのとき偶然、通りがかったそなたに救われた。私はそなたを探した。名も知らず、顔もはっきり覚えられぬほどの瀕死だったが――髪と瞳の色だけは忘れたことはなかった」
陛下の黄金の瞳が、まっすぐ私を射抜く。
「この国に黎明星の乙女が出現したと聞いたとき、もしやと思った。そして、一縷の望みをかけて縁談を申し入れたのだ」
……なるほど。急な縁談の申し込みは、そういうことだったのね。ってことはこの縁談は、アリア、あなたが自分自身で蒔いた種だったのね。うーむ。なんてこった。
「あの日、宮殿でそなたを初めて見たとき、逃したくないと、あのような真似を……そのことについては謝罪する」
「そんな、もう過ぎたことですわ。私のような者に頭を下げる必要など……」
陛下は、そこで初めて声の温度を変えた。
「過ぎたことではない。私は、そなたを忘れたことはなかったのだから」
そして私の両の手を、包み込んだ。
「アリア嬢、改めてお願いする。どうか私の妻になってほしい」
熱烈だった。声が大きいわけではない。言葉が飾られているわけでもない。ただ、真っ直ぐで、逃げ場がない。
「私は生涯そなた一人を愛し、守ると、ザフィールの鋼の心臓にかけて誓う」
「……そんな」
「私は、本気だ」
私は、できる限り落ち着いた声を選んだ。
「陛下が、あのとき助けた方だと知って驚きました。それから、今こうして元気でいらっしゃることに安心しました。ですが、結婚は――」
言いかけたところで、路地の外から足音が近づいた。護衛の足音。そして、その中に混じる、聞き慣れた歩調。エルヴィンだ。彼は私の元に近寄ると、私を守るように、ザフィール陛下の前に立ちはだかった。
「陛下、私の義妹が、なにか?」
落ち着き払った声のなかに、わずかの苛立ちが混じっていた。
「あのとき、そなたもいたな。義兄殿」
ザフィール陛下の眼差しが、ほんの少しだけ鋭くなる。
陛下は、私の言葉の続きを、待っている。簡単には退かない。理屈でも、礼節でも、情でも。すべてを武器にして、私を“選ばせ”ようとしてくるだろう。今、この場で、はっきりと、断らなくてはいけない。
「つらそうな人がいたら、助けるのは当然のことです。感謝していただくのはありがたいですが……恩を感じていただくほどのことではありません」
陛下は、言葉を失ったように立ち尽くす。
「……当然、だと?」
「はい。それが、陛下であっても、一人の帝国の民であっても、迷わず同じことをしたでしょう」
「……我が国では命を救われたら、その命は救った者のものとなる。私はそなたに救われた身。そなたの答えを尊重しよう」
無意識のうちに、安堵のため息がでた。諦めてもらえて良かった。恩返しのために結婚を申し込むだなんて、そんなのお互いにとって良くないものね。
しかし、次の瞬間。ザフィール陛下は、金の眼をぎらりと光らせた。
「――だが、そなたの事は、よけいに欲しくなった」
ついに100話です!
ここまで読んでくださった方に感謝を!




