眠れる猫はドリームを見る1
こことは違う世界。
その世界の夢を見た―――ある男の子の物語だ。
ミーはその男の子になっていた。
その男の子は両親と兄の4人家族だった。
覗いた記憶の中で一番印象に残っているのは、その子の父親が母親の髪を引っ張り、部屋中を暴れ回っている光景だ。
その所為なのか、その子の兄の壮絶な反抗期をよく見てきたからなのか、その子自身に反抗期というものはなかった。父親と兄はとんでもない人間だったが、母親だけは違った。だから、手伝いをしたり母親の為にできることは自ら進んでするようになっていった。
生まれは田舎、小学校時代は裸足でどこまでも走るような元気な男の子だったが、中学、高校という場所に進むにつれ、外に出たくないと思うようになっていく。
高校は公立へと進み、2年生で理系を選択。
理由は数学が少し得意だったからという安易な考えで決めてしまい後悔。難しくなるにつれ努力することさえも諦めてしまった。
その子の家は貧乏だった。と、いうよりはその父親は自営業の土木関係の仕事だったのだが、お金を全く家に入れなかったのである。
そのおかげで、お小遣いというものを人生で一度も貰ったことはなく、クリスマスプレゼントなんてのもなかった。だけど、それが悲しいと思ったことはない。友達に何をもらったかを聞かれて返答に困りはしたが、母親が必死に頑張っていることを知っていたし、正直父親の暴力や兄の反抗期でそれどころではなかった。
その子は常に母親の味方であった。
それにその時すでに、お金の入手方法はあった。
『働くこと』である。
その子は中学生の時から父親の仕事を手伝っていた。
土嚢袋に土を詰めることも仕事とカウントするのなら、小学生からだが・・・
それに対してその子の父親は家にお金を一切入れず、ギャンブルに浪費していたのである。
そんな家計事情なので、一般世間のような学生生活は送らなかった。
学校の授業が終わったらいち早く父親の仕事先へ着くために、部活動なんてしなかった。
中学を卒業してすぐに原付の免許、高2で単車の免許をとり、あとはパソコンを1台買って、残りは母親に渡していた。
そんな男の子・・・いや、これは同化と言えばいいのか、まるでミーの事のように、目線は完全にその男の子目線で、物事が進んでいく・・・その男の子のその時の感情が、流れ込んで来る。
ミーは、いや、俺はそんな人間だった。
だけど、友達だけは人並みにいたと思う。学校を休んでの父親を手伝うことに関しては、だるいとか風邪だとか誤魔化して内緒にはしていたが…
そういえば、大人になるまで遠出もしたことがなかった。家族旅行なんてのも全くなかった。とにかくお金は使わない奴だったと思う。
外食せず、服もずっと着まわしていたし、靴もブランド品にちょっと似た、500円の靴を愛用していた。
手伝いは夜8時には必ず終わっていたが、勉強は両立出来なかった。
ここは人生において反省しているところである。
そうして高3になり、進路を決めなくてはならなくなる。
進学か、就職か。
適当な大学なら進学することは可能だろう。
だが、その間の家のことやその先の自分に何が残るのか、そして四年間という長い時間とそれにかかる費用を思うと、とても大学へ進むなど考えられなかった。
だから俺は、就職という道を選んだのである。
では、『どこに就職するのか』・・・それが問題だった。
その当時、何故か俺は自衛隊と警察官を候補にしていた。
自衛隊は、父の兄達と祖父が自衛隊の幹部であったことから勧められた。警察官は、なんとなく面白そうだと思ったからだ。
警察官が面白そうだと思う人はあまりいないと思う。
だが当時の俺は、裏社会や裏事情、色々な物事の知識を知ることに興味があった。
そして、『面白そう』というそれだけで試験を受けたのである。
結果は合格だった。
自衛隊も受かっていたのだが、俺は警察官になる道を選んだ。
正直受かると思っていなかった。
奇跡の合格だったと思う。
そうして警察官という職業を良く調べぬまま、警察学校へと入校することとなる。
一言で言おう。辛かった。
何が?全てである。
入校初日に全員講堂へ集められた。何事かと思ったら、背筋が伸びてないだけで怒鳴られ、首根っこ掴まれて講堂から引きずり出されていく人がいる。それを見て俺は後悔した。
なんて所に来てしまったんだと・・・
さらに加えて携帯禁止、外出禁止である。
当時18歳の、子供の考え方も抜けきらなかった俺にとっては、これは相当辛いものだった。
自衛隊よりは、厳しくなかったと思うが、それでも辛かったのである。
1ヶ月間学校から出ることが出来ない。
そして土日は休日ではない。休むことなくひたすらに、がむしゃらに走った。いや、走らされた。
俺は全く心の準備が出来ていなかったおかげで何度も挫折しそうになった。
警察官といえば、こ〇かめのイメージしかなかったからだ。
毎日顔を真っ青にして、教官に声を出せと怒られながら、とにかく足を動かすことしかできなかった。
それでも部活をしてこなかった俺が付いて行けたのは、団体で行っていたから、というのが非常に強いと思われる。
警察学校は全て団体行動である。
生活も運動も勉強も、1人になれるのはトイレの中だけであり、全ての行動は連帯責任が付いて回る。
自分の失敗が全員の失敗、責任へとなるのである。
それ故に互いに厳しく、高め合う仲となる。
なので、一日中敬礼の練習だけなんてのも乗り越えられたのだと思う。
その辛く苦しい外出禁止の1ヶ月を終えると、携帯が返され、GWという休日が待っていた。
携帯が懐かしく、また、本当に外出していいのかと不安にすらなったのを覚えている。
そうして、休日が始まるのだが、誰もが『もう学校に戻って来たくない』、と思っただろう。
案の定戻ってこない者がいる。
むしろそれが正常なのかもしれない。
入校初日に辞めた人や、入校式前日、月半ばに辞めた人もごろごろいた。
親に連れてかれたなんてのもあったらしい。こんなところいれるかって全くその通りだとも思う。
連帯責任の重要性を認識できない奴は必ずいる。
GW最終日の門限に遅れて帰ってくる奴はやはりいるのだ。
教官から放送が入る。
「全員体育館に集合。」
それを聞いた瞬間、全速力で体育館へ向かう。
そして光速で隊列を組む。
腕立てとスクワットの始まりである。
教官は女性に蹴り等はいれなかったが、俺みたいなやつには、へばっていると容赦なく腹に蹴りを入れた。
そんなに強くはなかったが、当時はそれが当たり前だった。
そんなこんなを10ヶ月こなす。
そこで、自分にも才能があったことに驚いた。
逮捕術と剣道である。
身長は割と高く、手も足も長かったことが幸いだったのか、やり方さえ覚えてしまえばメキメキと上達していった。
最初は足の皮がベロンとむけたり、痛い思いを沢山したが、この二つと、ついでに柔道は、配属してからもずっと続けた。
他にも、ガチガチの重い装備品を身体につけて、盾を持って走ったり、拳銃の射撃練習をしたり・・・怒られて、怒鳴られて、そうして警察官が誕生したのだ。
俺がいたところは田舎だったが、その中でも、一番忙しい警察署へ配属となってしまった。
そしてそのお膝元の県庁前の交番である。
警察官になって一番辛いことが何かときかれたら、それは相勤者が合わない場合・・・である。
俺はとにかく合わなかった。
神経質で自己中、何もやらせてもらえず、休みの日も無意味に付き合わされた。
パワハラ以外の何物でもなかったわけだが、その言葉が流行る前の出来事であり、問題になることもなかった。
俺にとって幸運だったのは、その相手が3ヶ月で転勤したことである。
そうして次にきたのは、ただ優しいだけのおじさんだった。とにかく優しいのだが、仕事は出来ないといった感じで、俺が全てやらなければならず、だがしかし、ポジティブに考えるならば、そのお陰で仕事はそつなくこなせるように成長したのである。
そうして仕事に慣れ始めていた頃、剣道で両足を手術する羽目になってしまう。
そうしてそれをきっかけにして、衝撃の事実が発覚する。
それは、手術を終え退院となり、久しぶりに実家に帰った時だった。
父親が財産をもって消えていた。
結果的に俺が8歳の頃から浮気していたことが判明・・・その相手といなくなったというものだった。
そう、父は失踪してしまったのだ。
それは相手の女も同様に失踪したのである。
だが色々なツテを辿って、何とか連絡を取ることに成功し、俺の両親は離婚手続きを終えられた。
女の旦那が鉈を持って家にカチコミに来るもなどのトラブルも発生し、目まぐるしく過ぎていく日々の中で、母親はうつ病になってしまった。
私は上司に相談し、転勤希望を実家の近くにしたところ、県内で2番目に忙しいとされる実家の隣の市へと転勤が決定した。
兄については、壮絶な反抗期を終えると、外面だけは良かったことが功を奏し、とある会社に就職。
外国を転々とし、日本に帰ってくることは無くなった。
家族のことは取り敢えず、これくらいにしておこう。
お読みいただきありがとうございました。
ブクマ、評価は非常に励みになります。お手数ですが、していただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。




