そこに丁度いい物が転がっているじゃないか
「……死んだか?」
「いや、まだ生きてル。随分としぶといヤツダ」
ゴロルが棍棒の先で項垂れている頭をツンツン小突くと、僅かながら呻き声が返ってくる。
ちょっかいを出されたおかげで半覚醒状態にまで意識が戻ったのか、血で赤く染まった目を薄っすらと開いた。
かろうじて視界に映ったのは、ゴブリンたちの歪んだ笑み。
それは奇しくも、彼ね記憶に忌々しく刻まれた記憶の光景に似ていて――――。
「お前たちは、共存の道を模索しないのか? 考慮する程度に能はあるだろ……?」
あの時と同じような状況に置かれたからか、彼の口からは純粋な問いが漏れ出していた。
「共存? んなの知るかヨ。キサマらが家畜を自分と同様に見たことはあんのカ? 俺たちは俺たちが生きたいように生きるシ、邪魔になるものや危険なものは排除すル。当たり前だロ、そんなこト」
「――――ああ、そうだな。種族が何であれ、自らが正義であり、他を悪とする考え方は変わらないか。はは……」
「はははははははははは!!!」
「ナ――――」
何がおかしかったのか、唐突にライトは笑い始めた。
ケタケタとたかが外れたように体を震わせる。壊れ、鳴りやむことを忘れたオルゴールのように。
死にかけていた男が起こしたあまりの異常な行動に、ゴブリンたちもたじろいでいた。
「そうだ、そうだ! 何かを犠牲にすることで生命は昇華する。それが自己犠牲である必要なんてないんだからな!!」
「なんだァ、コイツ……!?」
ライトだってその事実自体は、とうの昔に理解も周知もしていることだった。
狡猾に知識を蓄えた生命体は、その自己中心的な思考のせいで多くの生命を絶滅に追いやっている。
そして、自分たちがその方へと回ったら逃げ回り、非難と罵倒の言葉を浴びせかけるのだろう。
だが……いや、だからだろうか、失血で頭が回っていない彼の瞳には、自らを追い詰めた気になっている二匹の生命体が酷く滑稽に映ったのは。
「やべェ、コイツとうとうおかしくなっちまっタ。気味悪ぃからさっさと殺して食べちまおうゼ……?」
「そ、そうだナ」
薪から聞こえた火の粉が爆ぜる音で我に返ったゴロルはゆっくりとライトに接近していく。
そして、片手で殺す事は不可能だと悟ったのだろう、棍棒を両手で固く握りしめ、高々と振り上げる。
少なくとも、当たってしまえば今度こそ、まず間違いなく死に至るに違いない。
……当たってしまえば、の話だが。
「――――俺が動けないと、いつから錯覚していた?」
「ん、なッ……!?」
手が届く範囲に転がっていた破剣の柄を左手で握ると、力一杯振り下ろされた棍棒を横から雑に叩く。
だが、たったそれだけでゴロルの手から棍棒がすっぽ抜け、あらぬ方向へと飛んでいった。
「力の方向が一方的すぎるからこうなる。焦る事なく最後まで慎重にいくべきだったな」
「ち、畜生、下調べをしておくべきだったカ! いつまで経ってもくたばらないだけでなくク、この期に及んで反撃とカ、コイツ人間じゃねェ!」
「……なんだ、今になって気づいたのか。俺はお前たちがどのような存在なのか、既に把握したというのに」
料理長が発した言葉を何の気もなく肯定し、怯ませるための脅しをかける。
たどたどしくなっていた言葉使いを何事もなかったかのように戻し、ふらつく体と声を虚勢でごまかしつつも、ライトはゆっくりと壁に寄りかかりながら立ち上がった。
「今更俺たちに抗う気かヨ! たった一人で何ができル!」
「一人、か。確かに、今この場にいるのは俺一人だけだ。……だが、それが諦める理由にはならない」
「さっきまで諦めかけていたくせ二、今更何だってんダ!」
「お前たちの話を聞いたら、居ても立っても居られなくなっただけだ」
「は、話ィ!?」
「お前たちは人間同様に、共存の道を模索しない。その傲慢さは多くの生命を絶滅に至らせる存在となりうる。だからこそ、このまま野放しにしておくわけにはいかない」
「――――そうだろ? バリュー」
カツン、と特定できない金属音が、外から僅かながら聞こえてくる。
扉の前から今まで感じていなかった気配を察知しゴブリンたちは慌てて距離をとるが、戦闘に向いていない料理長は少しだけ動くのが遅れてしまった。
そして、そのほんの少しの差が大きな明暗を分けることになった。
錠をされていた重厚な鉄の扉はいとも簡単に吹き飛び、その場にいた料理長を巻き込む。
そのすぐ背後には、水を熱していた大きな鍋があり――――。
「ギウッ!!?」
「り、料理長……ッ!」
扉が鍋に叩きつけられると同時に、鍋から溢れた熱湯が冷えた床に零れ落ち、白い湯気を噴き上げる。
鉄の塊に押し潰された料理長は、短い断末魔と水っぽい音を発し、蒸気の中に紛れて見えなくなった。
「アイツ…………!」
火傷しないよう注意し、鍋の陰からゴロルが顔をのぞかせると、入口から青い血しぶきで彩られた甲冑が、のそり、と姿を現した。
*
「もちろん、私が常に鎧を着ているのは色々と理由があるんだよ?」
なぜ普段から鎧を身に着けたままなのか、ライトはすぐ隣を歩くバリューへと何気なく聞いてみたことがあった。
「色々……? 奇襲に備えて身に着けているだけじゃないのか」
「まあ、それもあるけどさ。こうやって日頃から装着したまま活動すれば、自然とどうやって動いたらいいのかってわかるでしょ?」
「成程、鎧と肉体の同一化を図っているというわけか」
鎧は肉体を守る絶対的な防御手段として有名だが、着用することで大きな代償を必要とすることもまた、当然といえば当然の事実である。
動きは鈍重になり、体力は非武装時よりも格段に奪われやすい。
だが、非武装時と同様な動きを、鎧を纏った騎士が行えたならばどうだろうか。
……考えるまでもない。そのような業者がたった一人いるだけでも、敵としては厄介な脅威となる。
恐るべき力で不意打ちをかまし、圧倒的な存在感のままに隠密行動すらも行えてしまう。
矛盾を整合に、困難な行動を何不自由なく自然体のままで扱うために、彼女は常に鎧を身に纏っていた。
「かれこれ、もう八年ぐらいは着ていることになるのかな……?」
「八年もよく持つな……」
「私の体のこと?」
「いや、その鎧だ。エルフは長命で成長が遅いことは知ってる」
「なんだ、気遣ってくれたかと思ったのに……」
ライトはさらりと流していたが、八年ともなると、人間にとっては非常に長い期間鎧を着用していることとなる。
確かに、そこまで鎧を纏ったままの生活をしていれば、自然と甲冑を着た状態でどのようなことができるのか、体が勝手に動いてくれることだろう。
つまり、今の彼女にとって、鎧を着たまま物音一つたてることなく対象へ瞬時に接近することなど造作もなかった。
「どう? 結構いい考えだとは思わない?」
「いや、正直言って脱帽だ。そこまで考えているとは思ってもみなかった。精々寡黙な男性だと身分を偽り、他言語が話せないことを隠し通そうとしていたとばかり……」
「そ、そそそんなこと、考えるわけないじゃん! 私を何だと思っているわけ!?」
「――――――」
言わずもがな、やっぱりかと言わんばかりにライトは頭を抱えていた。
*
「…隠れても無駄だとわかっているだろう。すぐに楽に――――」
「くたばりやがれ!」
バリューはゴロルの存在を最初から知っていたかのように投降することを促すが、おとなしく従うはずもない。
湯気の中から飛び出したゴロルは低身長を生かし、鎧の死角となっている足元へ棍棒を薙ぐ。
叩きつけた棍棒はいい音を出して――――砕け散った。
「んな……!」
「…これで何度目だと思っている? 足元の対策はとうの昔に取っているぞ」
「ギイッ!」
バリューは叩かれた左足を軸に、右の回し蹴りを足元へと食らわせる。
軽々と吹き飛ばされたゴロルは、料理長の死骸付近に落下した。
脚を砕くはずだったのが、逆に足を砕かれる結果となってしまっていた。
「…さて、『未知案内』でどうにか居場所を割り出したが、こうもしてやられているとはな。……後で説教だ」
「わかってる。手間をかけさせて、済まない」
「………………はぁ」
ふらり、と前のめりになりつつあったライトの体を支えると、なるべく頭を揺らさないように横抱きの形で抱きかかえる。
固まりつつあった傷口が再び開いたのか、バリューの左腕に血がぽたぽたと滴った。
「グオオオオォォォォォォォ! き、キサマァァァァ……!」
盛大な喘ぎ声を聞き取り彼女が振り返ると、両足を潰されているにもかかわらず、ゴブリンの瞳は闘志を燃やしたままだった。
だが、継戦意思のあるゴロルとは真逆に、バリューは冷めきった蒼い目で地に這いつくばるゴロルを見下ろす。
「…命までは奪わない。だが、貴様らが行ってきた非道の報いは受けてもらう」
「ひ、非道……だとォ! 食物連鎖の何が非道だというんダ!!」
「…上で寝ていた奴らから全て聞いた。人の世を乱すのならば放置するわけにはいかない。人間がどれほど卑劣で愚かな生物だとしてもな」
「こノ……ッ!」
この地下室は空気穴があるものの、地上階の音を拾うことはできない場所だ。
とはいえ、青い血で鎧を染めている人物がこうして平然と地下に現れたのだ。上にいた奴らがどうなっているのか、察しがつかないほどゴロルは愚かではない。
「…それに、ライトを連れ去り食そうとした。何よりもそれだけは決して許さない」
「…………ッ!?」
「…これでも貴様らに譲歩したほうだ。ありがたく思え」
「くソ…………ッ!!」
ゴロルの体が縛り付けられたかのように硬直する。
それは彼にとって随分と懐かしい感覚――――天敵に睨まれ、怯え竦んでいる感覚だった。
「もう貴様らに用はない。私たちに危害を加えない限りはな」
「ま、待テ! そいつを置いてケ! どうせもう死ぬんダ! それならオレたちの腹に入れたっていいだロ!」
「…この期に及んで、まだそんなことを口にするか。いいだろう、そこまで死にたいのならば――――」
「――――そんなに腹が減っているのか」
「! ライト、お前はこれ以上話すな!」
既に意識を失っているものかと思っていたバリューは、ポツリと言葉を投げかけるライトを諫めるが、忠告を無視して言葉を続ける。
「聞いた限りだと、数日間食事をとっていない様子だったな」
「あ、ああ、そうダ! 腹が減って死にそうなんダ」
「安心しろよ。そこに丁度いい物が転がっているじゃないか」
「な、なんだト……?」
うっすらと瞼を開き、赤く染まった瞳をゴロルへと向ける。
血で真っ赤に染まったはずの光彩は、空虚とも思える暗澹をたたえていた。
「分かり難かったか? なら、もう一度端的に言ってやる。食べられるものなら、すぐ傍に転がっているだろ」
「ライトっ!!」
「…………キサマ」
いつも冷静に言葉を紡ぐ彼とは思えない、激情に任せたかのような、あまりにもらしくない言葉だった。
今の彼には、自分が何を言ったのかも、兜の下で今にも泣きそうな顔をしているバリューのことも、何一つ考えられていない。
ただじっと、横たわったままの醜い生き物を赤黒い双眸で見つめたままだった。
「キサマは何だってんダ……! 俺たちを外道だと罵ったキサマのほうがよっぽど外道じゃねえカ……!」
「だろうな。……ああ、知ってたさ。どうせ俺はお前らと同様かそれを超えるほどに異常な者だって、ことぐ、らい――――――」
ゴロルから浴びせかけられた罵倒を聞き取り、満足そうに自虐的な笑みを浮かべる。
そうして、とめどなく己の真意を吐き出そうとしていた口は次第に動かなくなり、意識は深い闇へと落ちていった。




