転じ生まれ変わる為に我此処に在り
「ふうん、その力もレイジ・アベから受け継いだものなのかな……!」
吹き飛ばされた獣がすぐ隣に落下しても、身じろぎひとつする事なく佇み、光の中心部を見つめ続ける。
……いや、見惚れている、と言った方が正しいのかもしれない。
仄暗く濁った相貌が、どこか、ほんの少しだけ輝きを取り戻したかのようにかすかに揺らぐ。
二人に残された物は確かに少ない。
この世に生を受けてから、得たものよりも失ったものの方が圧倒的に多いだろう。
だが、その事実を突きつけたところで、二人の意志が潰えることはない。
「あは、はは……! なんだよその姿!」
そこにいたのは青年と鎧騎士ではない。
淡い白光を纏った……二匹の獣だった。
ライトは東方に住まう細身の龍の姿を形どり、バリューは頭部に大角を有する虎の姿へと変貌している。
また、剣や鎧に至るまで、彼らの一部であるかのように一体となっていた。
「はは! 東方の秘術、それも艮と巽かあ! こうも完全な形態の変身……いや、転身の術は初めて見たよ!!」
片時も目を離さず子供のようにはしゃいでいるが、二人を見つめるのは相変わらず薄汚れた死んだ瞳で、キラキラとした輝きを微塵たりとも感じさせない。
そう、興奮している声色のエンデッドが言った通り、『在我為転生変』は所謂『変化の術』にあたるものだった。
自身の前世、もしくは守護獣や土地に住まう獣神の姿に変貌し、その力を一時的に宿すその効果はあまりにも絶大だ。体に受けていた傷を癒し、精霊に等しき力を揮うことすら可能にするのだから。
だが、活動限界はたったの十分が限度、そして最も重要な事として一度使ったら二度と使うことが出来ない使い切りの術と言う事。
まさに命の危機が迫った時の緊急回避としてしか使えない、秘義中の秘義だった。
おまけに消耗資産として十年分の寿命を持っていかれる。
後から引かれるだけなので見た目に変化が起こることはないが、扱う者の年によってはそのまま絶命してもおかしくはない。
一度聞いた限り……それも実際に力が備わっているかすらも不明な術。
神獣の姿に転身したところで元に戻れる保証もないと言うのに、疑うことも臆することもなく彼らは進んで使用した。
それは、決して現状の打開だけではなく……。
「ああ、そうか! キミたちが抱いていた憧憬は、最早、人間に向けるものじゃなくて神様を信仰しているのと同意義なのか! 道理で理解できなかったわけだよ!!」
二人の人生を変えた救いの手は、彼らにとっては家族や友人以上の……それこそ、天恵だと感じ取ってしまったのだろう。
だから、二人はレイジを慕い続ける。
だから、二人は一向に離れることが出来ていない。
阿倍零士というただ一人の男を、彼らはそこまで信仰しきってしまっていた。
饒舌に語り掛けるエンデッドだが、言語中枢が全く異なる二匹の獣は、一切の反応を示すことなく視界にすらも写さない。
ただ一点、体勢を立て直し飛びかかろうと身構え始めた霊長合成獣のみに、意識は向けられている。
「…………」
「…………」
二匹は何も語らず、一声も……唸り声や吠えることすらしない。
獣となった彼らに言葉は必要ない。そもそも、脳の構造そのものが違うのだから当然ではあるが。
理性、思想、価値観、信仰、心象、自意識ですら、人という枠組みから外れただけであやふやとなる。
……つまるところ、それこそが自然を生きる声明としての在り方であり、明鏡止水を体現せしめん姿ともとることもできる。
そうなること全てを加味したうえで、レイジは逃げる事に向いた技だと語っていた。
余計なことを考えなくて済む点において、獣の姿はこれほどまでにないほど、捻くれ者の二人にちょうど良いものはないから。
オオ、オオオオ、グルオオオオォォォォォオオオォォォォ!!
人間のうめき声が幾重も折りかさなり、大気を揺らし腸を握られるような圧倒的な轟の咆哮。
炎上する体を顧みず、三度飛びかからんと、体制を低く
だから、一切の合図すら行うことなく、彼らは同時に共通の選択を行った。
――――――グォォォ!!?
巽の直方体状の尾が、今にも前方へ伸ばそうとしていた前足第二右関節を強く叩きつけ、剣のように研ぎ澄まされた艮の大角が、跳躍の為に力む後足大腿部を深々と切り裂いた。
これには、反撃されるとは予想だにしなかったのか、驚きの感情などない霊長合成獣ですら、怯み、その場で往生せざるを得ない。
その隙に、二匹の神獣は比較的安全な背中付近にて、滅多打ちの如く異形の獣へと手傷を負わせ続けていた。
二匹の選択。それは決して逃避することなく、一切の躊躇をも感じさせない真紅の怪物への追撃。
安息を得るための逃避ではなく、脅威を退けるための対峙を選択した。
彼らの心が複雑怪奇に捻じ曲がっていたとしても、その鉾先は常に一方へと向かっていたように。
ギャアアアアァァァァアアアァァァ! アアアァァァ、ガアアァァグギアアァァァ!!
右半身を蹂躙され悶絶する霊長合成獣は、それでいてもなお、自らを害した敵に仇なすものを仕留めるためにその場で暴れ狂うが、標準など、とうの昔に見失っている。
エンデッドは気付いていなかったが、この獣に残された感覚神経……痛覚こそが五感の全てを補っている代物である。
早い段階で消し去られていた味覚はともかく、嗅覚、聴覚、視覚、そして触覚。その全てを全身から感じる微細な痛覚反応の強弱で判断していたからこそ、霊長合成獣は的確に二人の事を追い詰められていた。
その優秀な感覚器もこうして焼け爛れ、半身に致命的な傷を負ってしまい今はただの弱点としかなっていない。
――だが、霊長合成獣の性質を二匹の神獣たちは忘れ去っていた。
「仕方がないなあ……。『蠢動根回・九頭人竜』」
ため息交じりのその言葉がエンデッドの口から発せられると同時に、霊長合成獣の右半身が、どろり、と崩れた。
キャアアァァァァァアアァァアッァァッァアアアァ!!
「――――!」
頭部、左前足、左後足、そして二つに分岐した尾が、ぎゅるり、と逆巻き、巽の獣神へと襲い掛かった。
しなやかな体を巧みに移動させ空中を闊歩するも、伸ばされた五頭の人面蛇は自らを網のように絡ませながら、細身の肉体を噛み砕かんと大口を開き追従し続ける。
だが、艮はそれを黙ってみているだけではない。
キアアアアァッァァァァッァァ!! キアッ―――――
ブツッ! と、頭の内一つがだらりと垂れ下がる。
地上付近に頭部が一切存在しないこともあり、艮は斧をふるうかのように、大角で九頭人竜の首一つを切り落としていた。
クルルゥゥゥゥゥゥゥ! オアアアアァァァァァ!!
邪魔はさせまいと、切られた首と合体し巨大化した一本の女性頭部が艮を飲み込まんと大口を開ける。
「――――!」
だが、三頭の蛇が巽の肉体にとぐろを巻きつけた状況を見つけた艮は、それに気付くことなく。
――――さもあっけなく、女人面蛇に一飲みにされた。
「あれ? もう決着がついちゃった? 神獣の姿になってでも、ボクの霊長合成獣は倒せないってことだよね。うん! これはこれでいい結果が残せてとても嬉しい―――――」
ガアッ!!?
「…………んんん?」
視界に写らない上方向から低い唸り声が聞こえた。
巽が捻り潰される断末魔にしては低俗で音が大きいなあ、と思ったエンデッドが上空を見上げると……。
「うわぉ! 我が身を疑っちゃうぐらい信じられないなあ!」
そこには、ドーム状になった有刺鉄線に貼り付けにされ、穢れと錆びと石化の状態異常に罹った老人面蛇と、それを必死に引きはがそうとする狂人面蛇。そして、巽から左眼球に喰らいつかれるのみならず、右眼球に直方体状の尾が突き立てられ、もがき苦しむ強面々蛇の姿があった。
「あ、この様子だったらもしかして……」
ギイイイイィィィイイイッィィイィィッ!! ギャアアアアァッァァァアアアッァ!!
艮を丸のみにしたはずの女人面蛇も地べたでのたうち回っている。
体の奥深く、未だ炎上し形を変えられていない肉体の一部から、ぬらり、と紅く濡れた大角が顔を覗かせていた。
ありとあらゆる生物や力には核が存在する。
“源点”とも呼ばれるその部位がないものは、この世に留まる事が出来ない。だから、艮は霊長合成獣の核をずっと狙い続けていた。
半身を狙ったのち、背中を集中的に狙い続けていたのはそれが大きな要因だった。
「……まあ、そうなるよねぇ。あーあ折角の玩具が台無しだよ」
力全てを失ない絶命した霊長合成獣は、有刺鉄線に貼り付けにされた老人面蛇を残したまま、ゆっくりと大地に倒れた。
「じゃあ、見た目もアレだったし、散り際は華やかにしようかな」
どこか哀愁あるような声色で呟き、指をはじくと。
――――霊長合成獣の体から薄桃色の花が咲き乱れた。
「ソメイヨシノ、だったかな。東方にしかない珍しい花らしくて、春の訪れを教えてくれるそうだよ。……まあ、ボクだけ楽しんでばかりじゃ良くないし、せっかく代わりに戦ってくれたんだ、こういう手向けもいいかなって」
誰に告げることもなくポツリと呟いたその言葉と共に、有刺鉄線のドームを開け放ったエンデッドの背後から、強い季節風が吹き荒れる。
咲き乱れていた花は一斉に散り、花びらだけが辺り一帯を覆いつくす。
その中、元の姿に戻ったのか壁剣を両手で掲げ、荒い息を吐きながら辺りを見回すバリューの姿があった。
「……でもお見事! いやぁ、流石だね! ここまで楽しんだのはいつ以来だろう! 時間は無駄にしちゃったけど、終わりを目指して色々と弄ることよりも面白かったから大満足だよ!!」
「……そうか、それは良かった。だったら、そのまま安心して無に堕ちていけ」
「――――ん?」
空高く舞い上がる花吹雪の一部に、一際大きな紅い色がちらつく。
一際花びらが固まっていた空中から飛び降りてきたライトは、服を鮮血で染めたまま足元の雪をもろともせず、鍔を指に抱え一瞬にしてエンデッドとの距離を詰め……。
油断しきっているその胸元に、破剣の強烈な突きを打ち込んだ。




