理想
穏やかな陽光が窓から射し込む、あたたかな昼下がり。
神殿を訪れる人々もまばらになったこともあり、私は大扉の先の外を見つめながら、広間の中で紡がれる言葉たちに、静かに耳を傾けていました。
いくつかの話題の中で、ふいに感情が湧きあがる言葉が耳に届いた時。
私は思わず私自身はどうだろうかと、心へと問いかけました。
届いた言葉は――理想。
ご自身の思う姿や感情が、望むものではないのだと、そう嘆く言葉でした。
全ての生者を祝福する私たち《アクティース教》の神官としての言葉をおくるのであれば、そうむずかしいものではありません。
なぜなら、生きているだけで、あなたは素晴らしい存在なのですから。
しかし一方で、自らの理想を追い求める気持ちや行動は、私たち自身もなしていることだと感じたのです。
たとえば聖歌を歌うとき。
たとえば祝福をおくるとき。
たとえば言の葉をつむぐとき。
私たちもまた、みすえる理想のかたちでそれらをなせているのか、考えています。
ときには悩むこともあるでしょう。
ときには嘆くこともあるでしょう。
けれど、私たちだからこそ伝えられる言葉があることを、私は知っています。
遠く遠く、みすえた理想にいまだ届かずとも。
手を伸ばし続けるあなたに、祝福を。
立ち止まっているあなたにも、祝福を。
私たちの祝福は、いつも、いつまでも。
あなたへとかならず、おくり届けますから。
今を生きているあなたに、祝福を。




