泥濘の包囲網――茶臼山、執念の援軍
家康の喉元まであと数メートル。秀頼の大太刀が熱風を切り裂き、幸村の十文字槍が、床几から転げ落ちて無様に這いずり回る家康の背中を捉えようとしたその瞬間でした。
「逃がさぬと言ったはずだ、秀頼!」
戦場に、鼓膜を震わせるほどの地響きが轟きます。毛利勝永の修羅の如き奮戦によって藤堂高虎の軍勢は文字通り壊滅しましたが、その空白を埋めるように、徳川方の巨大な予備兵力が「家康を死なせてなるか」という狂気とともに次々と殺到しました。
家康の歓喜:生への執着
死の刃を突きつけられ、土を噛んでいた家康が、地響きとともに顔を上げました。視界の端に、風に棚引く「伊達」の旗印と、続々と詰めかける徳川の赤い旗群が映り込みます。
「……おお、おおお! 来たか! 遅いぞ、政宗! 忠直ッ!」
家康の顔に、恐怖で歪んでいた醜い表情から一転、生への凄まじい執念が混じった、獣のような笑みが浮かびました。
「天はまだ、この家康を見捨ててはおらぬ! 秀頼よ、真田よ、貴様らの正義など所詮は数に押し潰される砂の城よ! 見ろ、この十五万の海を! 貴様らは今、地獄の淵で波に呑まれるのだッ! ハハハ、ハハハハハ!」
1. 伊達・松平の「二万の牙」
茶臼山の西側、天王寺の背後に潜んでいた伊達政宗・秀宗の軍勢、そして藤堂隊の瓦解を埋めるべく泥を蹴立てて突進した松平忠直の越前勢。合わせて二万人近い大軍が、豊臣勢の側面に容赦なく食らいつきます。 「狙え、秀頼の首だ!」 政宗の号令とともに、漆黒の騎馬鉄砲隊から一斉射撃が放たれました。鉛玉が雨あられと降り注ぎ、秀頼を護衛する松島源内の足元を、そして命を削るように大地を穿ちます。
2. 本多・井伊の「鉄壁の肉壁」
正面からは、茶臼山の手前で防波堤となっていた井伊直孝の「赤備え」に加え、岡山方面から血相を変えて急行した本多忠朝、さらに寺沢広高らの軍勢。合わせて一万五千以上の大軍が、物理的な「壁」となって秀頼と幸村の前に立ちはだかりました。 彼らはもはや陣形など無視し、ただ数に任せて押し潰そうと、血走った眼で槍を突き出します。幸村の十文字槍が家康に届く寸前、この新たな肉の壁がその進路を無慈悲に遮りました。
3. 平野・勝山方面からの「三万の波濤」
さらに絶望的なことに、東の平野口付近にいた榊原康勝や、北東の木野村・勝山方面に布陣していた南部利直、戸川達安、さらには加賀百万石の威信を懸けた前田利常の大軍。総勢三万人規模の巨大な波が、家康の危機を察知して一斉に茶臼山へと進路を転じました。
「……くそっ! 壊滅させた端から、赤い旗印が地平線を埋め尽くす津波のように湧いてきやがる……!」
松島源内は、背後から迫る数千の新たな敵兵を槍一本で食い止めようと、喉が焼けるほど吠えながら槍を振るいます。しかし、絶え間なく注ぎ込まれる新鮮な援軍の重圧に、豊臣の精鋭たちも一人、また一人と泥濘の中に沈んでいきました。
毛利秀元と立花宗茂が、背後から迫る福島正勝や毛利秀秋らの執拗な追撃を必死に押し戻していますが、その数、あまりにも膨大。家康は、この数万の援軍が作る安全な影に逃げ込み、再びその狡猾な瞳に「王」の余裕を取り戻し始めていました。




