放送された姫君
榊原家の落城場面を撮り終えてからも、大河ドラマの撮影は続いていた。
藤乃は城を脱出したあと、源吾たちとともに南方の領主を頼ることになる。撮影される場面も城内から旅の途中へ移り、玲奈は相変わらず多くの大人たちに囲まれながら、榊原家を失った藤乃を演じていた。
けれど撮影現場の外では、それとは別の意味で大きな日が近づいていた。
大河ドラマの放送開始である。
玲奈が出演する榊原家の物語は序盤の重要な一角を占めており、藤乃も第一話から登場する。落城までは数週をかけて描かれる予定なので、馬上から燃える城を振り返る場面がすぐに放送されるわけではない。それでも、これまで映画やドラマで小さな役を積み重ねてきた玲奈にとって、毎週放送される大河ドラマへの出演は初めてだった。
放送初日の日曜日、天城家では少しだけ夕食の時間が早くなった。
母が食器を片づけている間に、父が居間のテレビをつける。玲奈は自分が出演している作品を見ること自体には慣れてきていたものの、今日は両親が妙に落ち着かない様子だった。
「お父さん、さっきから番組表を三回くらい確認してない?」
玲奈がソファに座りながら尋ねると、父はリモコンをテーブルへ置いた。何でもないような顔をしているが、放送開始時刻は昨日から把握している。
「録画がちゃんとできてるか確認しただけだ。途中で何かあったら困るだろ」
「普通に見てるのに録画もするの?」
「玲奈が出てるんだから残すだろ」
父が当然のように答えると、台所から戻ってきた母が笑った。これまでの出演作もほとんど保存してあるため、今さら理由をつける必要などない。
玲奈は少し恥ずかしくなったが、嫌ではなかった。撮影中の自分がどんなふうに映像になっているのか、本人にも分からない部分は多い。特に大河ドラマでは、衣装や音楽、美術が合わさった完成映像をまだほとんど見ていなかった。
やがて放送が始まった。
重厚な音楽とともに物語が幕を開け、戦国の山間部に点在する国々が映し出される。主役となる武将の物語が進む一方、その周辺勢力の一つとして榊原家も登場した。
最初に映ったのは、真田演じる宗景だった。
近隣の領主から届いた書状を読み、重臣たちと情勢について話している。撮影現場で何度も見てきたはずなのに、編集された映像になると玲奈にはまったく違って見えた。
「真田さん、やっぱりすごいね」
玲奈が思わず呟くと、父が娘の横顔を見た。自分が出演している作品を見ているのに、最初に出てくる感想が共演者への称賛なのが、いかにも玲奈らしかった。
しばらくすると場面が切り替わり、榊原家の朝が映し出された。
宗景と志乃が座り、その近くには景親と藤乃がいる。玲奈が大河ドラマの撮影を始めたころに撮った、家族四人の日常場面だった。
画面の中の藤乃は、母から食事中の姿勢を軽く注意されながらも、兄の景親が昨日の弓の稽古で的を外したことを楽しそうに話している。景親が反論すると、藤乃は澄ました顔で受け流し、そのやり取りを見ていた宗景が笑う。
姫としての気品はある。
それでも、まだ八歳の少女だった。
玲奈の母は、画面と隣に座る娘を交互に見ていた。
「撮影の話は聞いてたけど、こうやって見ると本当に別人ね」
「そうかな?」
「今ここにいる玲奈とは全然違うわよ。話し方もだけど、座ってるだけで藤乃ちゃんに見えるもの」
玲奈は画面へ視線を戻した。本人にとっては藤乃として撮影していたのだから、そう見えることを特別だとは思っていない。むしろ気になったのは、自分よりも周囲の俳優たちの表情だった。
撮影中には気づかなかった宗景の視線。
娘を見守る志乃の小さな笑み。
藤乃へ言い返そうとして、結局父に止められる景親の悔しそうな顔。
それらが編集によって丁寧につながり、本当の家族の朝のように見えていた。
「ここ、相沢くん本当に悔しそうだったんだよ。撮影が終わったあと、次は絶対言い返すって言ってたの」
玲奈が楽しそうに撮影時の話を始めると、両親はそのまま耳を傾けた。
第一話で藤乃の出番は決して多くなかった。それでも、宗景が守ろうとしているものを視聴者へ伝える役割は十分に果たしている。政治や戦だけではなく、その背後に家族の日常が存在していることを示す人物の一人として、藤乃は自然に物語へ溶け込んでいた。
放送が終わると、玲奈は満足そうに息を吐いた。
「面白かった。次のお話も見たいな」
「撮影した本人が言う?」
母が笑うと、玲奈も笑った。
「だって全部は知らないもん。私がいないところの撮影もいっぱいあるし、音楽がついたら全然違って見えるよ」
父は頷きながら、録画がきちんと保存されていることを確認していた。娘が出演しているという理由を抜きにしても、作品として続きを見たいと思えたらしい。
その夜、玲奈はいつも通りの時間に眠った。
自分が登場した大河ドラマが放送されたからといって、翌日から何かが急激に変わるとは考えていなかった。
しかし、玲奈が眠っている間にも、放送を見た人々の感想は少しずつ広がっていた。
話題の中心は当然、主演俳優や物語そのものだった。その中に混じって、榊原家の家族場面を気に入ったという声が現れ始める。特に藤乃については、わずかな出番ながら印象に残ったという感想がいくつも投稿されていた。
子役なのに時代劇の所作が自然だった。
お姫様らしいのに、兄をからかうところは普通の女の子でかわいい。
座っている姿が妙に綺麗だった。
宗景の家族場面をもっと見たい。
それらはまだ、大きな熱狂と呼べるほどではなかった。玲奈の名前を以前から知っている視聴者もいれば、今回初めて知った人もいる。その程度の反応だった。
けれど制作側にとっては、十分に嬉しい滑り出しだった。
翌朝、撮影所へ入った玲奈は、いつもと変わらずスタッフへ挨拶をして回った。昨日の放送について声をかけられることは増えていたが、本人はそのたびに嬉しそうに礼を言うだけで、特別浮かれた様子はなかった。
「玲奈ちゃん、昨日見たよ。藤乃、評判いいみたいだね」
メイクを担当している女性からそう言われると、玲奈は椅子へ座りながら目を丸くした。
「本当ですか? よかったです。私も昨日見ましたけど、真田さんがすごく格好よかったです」
「玲奈ちゃん、自分の感想は?」
「髪型が撮影してるときより綺麗に見えました」
真剣に答えた玲奈を見て、メイク担当者が吹き出した。
本人にとって、自分の顔が大きく映ったことより、作品全体がどう仕上がっていたかのほうが気になるらしい。少なくとも、初回放送の反応だけで態度が変わる心配はなさそうだった。
その日の撮影は、城を失った藤乃たちが小さな寺へ身を寄せる場面だった。
落城前まで藤乃が着ていた衣装より質素なものが用意され、髪型も少し簡略化されている。それでも玲奈が衣装をまとい、背筋を伸ばして座ると、榊原家の姫としての雰囲気は失われなかった。
源吾たちも同じだった。
彼らは城を失い、主君とも離れた。それでも藤乃の前では家臣として振る舞う。落城によって身分が消えたのではなく、むしろ何もなくなったからこそ、互いの関係だけが強く残っているように見えた。
撮影するのは、寺の住職から食事を提供される場面だった。
用意された膳は質素で、以前の榊原家で藤乃が口にしていたものとは比べものにならない。それでも藤乃は不満を見せず、住職へ丁寧に頭を下げた。
「このような折に私どもを受け入れてくださり、心より感謝いたします」
住職役の俳優が穏やかに笑い、粗末なものしか用意できなかったと詫びる。藤乃は膳へ目を落としたあと、すぐに首を横へ振った。
「いいえ。温かいものをいただけるだけで十分にございます。それに、私たちより困っている方も大勢いらっしゃるのでしょう?」
源吾が藤乃へ視線を向けた。
城を失ったばかりの姫が、自分よりも領民を気にしている。以前なら、その姿を見て立派になったと思っただろう。
しかし今の源吾には、別の感情もあった。
藤乃はまだ八歳なのだ。
家臣としては誇らしい。それでも、幼い姫が自分の悲しみを押し込めて他人を案じる姿を、ただ称賛するだけでよいのか迷ってしまう。
「姫様」
源吾が声をかけると、藤乃が振り向いた。柴崎は台本にあった報告をすぐには口にせず、膳を一度見てから静かに続ける。
「まずは、お召し上がりください。姫様がお倒れになれば、我らが困りますゆえ」
藤乃は一瞬だけ目を丸くした。
それから、小さく笑った。
「そうですね。私が倒れては、父上との約束を守れません」
藤乃は箸を取り、改めて住職へ礼をした。
「ありがたく、いただきます」
その声を聞いて、源吾の表情が少し緩んだ。
藤乃も、以前のままではいられない。
それでも、何もかも一人で背負う必要はない。
父から藤乃を託された自分たちは、命を守るだけではなく、この少女がまだ少女でいられる場所も守らなければならないのだと、源吾は思い始めていた。
「カット。オーケーです」
監督の声がかかると、玲奈は箸を置いた。
今回も玲奈の演技による撮り直しはなかった。柴崎が台本から少し芝居を変えたものの、玲奈は藤乃として自然に受け取り、その場面を最後まで成立させている。
監督は映像を確認しながら、隣にいた脚本家へ視線を向けた。
「昨日話していた件、やっぱり進めましょう」
「藤乃の出番ですか?」
「ええ。ただ増やすだけじゃない。源吾たちとの関係を軸にすれば、榊原家が失われたあとも物語をつなげられる」
脚本家も同じことを考えていた。
落城前の藤乃は、父と母から学ぶ側だった。
だが城を失った今、その立場は変わる。
宗景から託された家臣たちは藤乃を守り、藤乃は彼らの主家の姫として生きる。その関係を描けば、後に榊原家の生き残りが再び歴史の表舞台へ現れる展開にも自然につながる。
「景親との再会まで、藤乃側の話を何本か入れられます。最初は守られる立場だけど、少しずつ家臣たちの心の支えにもなっていく形なら、落城前からの成長も切れません」
「それで考えてみてください。ただし、八歳です。急に政治を動かしたり、家臣へ軍略を指示したりはさせないでください」
「そこは大丈夫です。藤乃ができる範囲で動かします」
監督は頷いた。
玲奈の演技が優れているから、何でもさせればいいわけではない。藤乃という人物を壊してしまえば、これまで積み重ねてきたものまで失われる。
八歳には八歳の限界がある。
その限界の中でも、人の心を動かすことはできる。
今の玲奈なら、派手な台詞や大きな事件を与えなくても、それを画面の中で成立させられると監督は考えていた。
そんな制作側の動きを知らないまま、玲奈は次の撮影へ向かっていた。
大河ドラマの放送は、その後も毎週続いた。
第二話では、藤乃が母から客人を迎える作法を教わる場面が放送された。第三話では兄と馬の話をし、第四話では父の評定を遠くから見守る姿が描かれる。
放送を重ねるたびに、藤乃について触れる感想は少しずつ増えていった。
特に変化が大きかったのは、父や母との場面だった。
宗景が藤乃へ話しかけるときだけ表情が柔らかくなることや、志乃が娘の振る舞いを厳しく正しながらも、誰より大切に見守っていることに気づく視聴者が増えた。
藤乃だけが目立っているわけではない。
彼女がいることで、宗景が父親になり、志乃が母親になり、景親が兄になる。
家族四人が同じ画面にいるとき、それぞれの人物が一人で登場するときとは違う顔を見せる。その自然さが、榊原家の場面そのものへの人気につながっていった。
そして第五話の放送では、村の長たちが水害の被害を訴える場面が使われた。
宗景が蔵を開く決断を下し、藤乃へ「お前ならどうする」と尋ねる。撮影時に真田が即興で投げかけた問いと、玲奈が藤乃として返した言葉は、ほとんどそのまま本編へ残されていた。
放送翌日の撮影所で、真田は玲奈を見つけるなり笑いながら近づいてきた。
「玲奈ちゃん、昨日の放送見た?」
「見ました。父上、格好よかったです」
「またそれか。玲奈ちゃんのところも結構評判らしいよ」
真田から聞かされ、玲奈は素直に喜んだ。しかし自分の芝居が褒められたことより、あの場面が本編に残ったことのほうが嬉しそうだった。
「あそこ、全部使ってくれたんですね。撮影のとき、急に真田さんが聞いてきたからびっくりしました」
「よく普通に返したよなあ。俺のほうが、あとから台本を確認したくらいだよ」
「でも藤乃なら、ああ聞くかなって思ったので」
玲奈が当然のように答えると、真田は苦笑した。
以前なら「覚えるのが早い」「直すのが早い」と評価されていた少女が、今はもう違う。
役として相手の言葉を受け、役として考え、その場で答える。
しかも玲奈がそうすることで、相手役まで台本に書かれていない反応を返してしまう。
それが映像に残り、視聴者にも届き始めていた。
そして、放送開始から数週間が経った。
榊原家を取り巻く情勢は、画面の中でも明確に悪化していた。
次回予告には、城へ駆け込む伝令の姿が映った。
甲冑をまとった宗景。
険しい表情の志乃。
家臣たちの間に立つ景親。
そして最後に、父を見上げる藤乃の顔が大きく映し出される。
わずかな沈黙のあと、宗景の声だけが重なった。
『藤乃。お前には、これから源吾とともに城を出てもらう』
そこで予告は終わった。
その夜、それまで藤乃を「かわいい姫君」として見ていた視聴者たちの間にも、次回への緊張が広がっていった。
玲奈は自宅のテレビでその予告を見終えると、隣に座っていた母へ顔を向けた。
「来週、あそこなんだね」
「そうみたいね。玲奈、大丈夫? 自分で見て泣いたりしない?」
母が冗談交じりに尋ねると、玲奈は少し考えてから笑った。
「分かんない。でも、水城さんが泣いてるところを見たら、また悲しくなるかも」
自分がどんな顔で映っているかではなく、母を演じた水城のことを気にしている。
母はそんな娘を見て笑いながらも、次週の放送を楽しみにしていた。
撮影現場ではすでに終わった、榊原家の落城。
けれど視聴者にとっては、これから始まる。
そしてその放送を境に、榊原藤乃という姫君と、天城玲奈という子役への注目は、それまでとは明らかに違うものへ変わろうとしていた。




