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■7-2 アルト編:主席研究官は、恋を計算できない

****


最終演目が終わると、中央広場には大きな拍手が起きた。

観客たちは、危険に気づいていない。


ただ、美しい星の道を見たと思っている。

それでいいのだろう。


星図演算祭は成功した。

研究者たちは興奮した様子でアルトを囲む。


「主席、あの演算修正は記録すべきです」

「感情反応を観測項目に入れるとは……」


「完全星詠み装置の新しい段階です」


アルトは研究者たちの声を聞いていた。

だが、視線は別の場所に向いている。


先ほどの子どもが、星図模型の前で笑っていた。

親に手を引かれながら、空の星の道を真似して、小さな青い星を動かしている。


アルトは、それを見ていた。

数値ではなく。


顔を。


「アルト」


俺が呼ぶと、彼はゆっくりこちらを見る。


「何でしょう」

「見てるな」


「はい」


短い返事。

でも、少しだけ柔らかかった。


アルトは眼鏡を押し上げる。


「晴人」

「何」


「なぜ、分かったのですか」

「何が」


「私が、見ないようにしていたと」


そんなふうに聞かれるとは思っていなかった。

俺は少し考える。


「お前を見てれば分かるさ」


アルトの指が、眼鏡の縁で止まった。


「人の流れは見てた。でも顔は見てなかった。拍手されても嬉しそうじゃなかった。誤差って言うたび、目が冷たくなってた」

「……」


「見えたからな」


アルトは何も言わなかった。

眼鏡の奥の目が、少しだけ揺れている。


「あなたは」

「うん」


「観測対象として、非常に危険です」

「何でだよ」


「観測者側を見返してくる」

「研究者っぽい言い方でごまかすな」


「ごまかしているつもりはありません」

「本当か?」


「……少し」


認めた。

俺が少し驚くと、アルトは視線を逸らした。


耳が、ほんの少し赤い。

魔導灯の色かもしれない。


いや、たぶん違う。

星図ホールの光が、ゆっくり変わる。


巨大な星図スクリーンが、青白い光を放ちながら回転し始めた。

空中に表示が浮かぶ。


【星図演算祭:成功】

【完全星詠み装置:演算式更新】

【群衆パニック:未発生】

【感情反応観測項目:追加】


アルトは、自分の魔導端末を見ていた。


確かめていたのだろう。

誤差として切り捨てていたものが、初めて演算式の中に戻ってきたことを。


ホールの歓声が遠ざかる。

研究者たちの声も。

観客の拍手も。


星図スクリーンの光が、俺とアルトの周りを丸く囲む。

アルトは、端末を静かに閉じた。


「晴人」

「何」


「感情は、不安定です」

「だろうな」


「ですが、不安定であるからこそ、変化の最初に現れるのかもしれません」

「うん」


「私は、それを誤差として捨てていた」

「今日は拾っただろ」


アルトは、少しだけ目を伏せる。


「はい」


その返事と同時に、空中に新しい表示が浮かぶ。


【ナイトステイが発生しました】

対象プリンス:アルト・セレスティア

帰還条件:対象プリンスとのキス

※条件達成後、現実世界への帰還選択が可能になります


アルトは俺をじっと見ていた。


「帰還条件、対象プリンスとのキス」

「知っているのか」


「確認です」

「確認しなくていい」


「条件達成後、現実世界への帰還選択が可能。なるほど。契約終了のための接触行為ですね」

「言い方が研究発表なんだよ」


アルトは少しだけ首を傾げる。


「では、どう表現すれば?」

「普通にキスでいいだろ」


「キス」

「繰り返すな」


「発音確認です」

「必要ない」


アルトは眼鏡を押し上げた。

照れているのかと思ったが、表情は真面目だった。


真面目だから余計にやりづらい。


周囲の星図ホールが、ゆっくり遠ざかっていく。

青白い光が、床の演算紋をほどいていく。


気づけば、俺たちは別の部屋にいた。

星図観測室。


高い天井。

半球状のガラス窓。


その向こうには、蒸都アルカディアの夜空が広がっている。


壁一面には星図の記録棚。

中央には、大きな円形の観測台。


机の上には、魔導端末オービット・グラスと、細かな観測紙が積まれていた。

観測室全体に、青白い星光が満ちている。


さっきまでの歓声は遠い。


ここは静かだった。

けれど、さっきまでの静けさとは違う。

息を止めるような静けさではなく、星を見るための静けさだった。


アルトは観測台の前に立ち、端末を置いた。


「ここは?」

「星図観測室です。演算祭で使用した星図データの補正と記録を行う場所です」


「仕事場か」

「はい」


「ナイトステイって仕事場でも発生するんだな」

「私の感情反応と関係するなら、ここが最も妥当なのでしょう」


「自分で感情反応って言うな」

「他に適切な語が?」


「気持ちとか」


アルトは一瞬、止まった。


「気持ち」

「そう」


「……非定量的ですね」

「すぐそういうこと言う」


アルトは目を伏せた。

少しだけ、困ったように見える。


「すみません。癖です」

「謝るほどじゃない」


「ですが、今は修正したい」


その言い方が、少し意外だった。

アルトは眼鏡に触れる。


そして、ゆっくり外した。

細い眼鏡が外れると、印象が変わった。


遠かった目が、少し近くなる。

表情の細かい揺れが、隠れなくなる。


アルト自身も、それを自覚しているのか、眼鏡を持つ指がわずかに緊張していた。


「外すんだな」

「観測補助を切りました」


「眼鏡って観測補助なのか」

「視力補正も兼ねています」


「急に普通」

「普通、ですか」


アルトは少しだけ笑った。

本当に薄い笑みだった。


でも、ちゃんと笑っていた。


「晴人」

「何」


「私は、感情を扱うのが下手です」

「見れば分かる」


「はい。おそらく、非常に分かりやすい」

「自覚あるんだな」


「今日、できました」


アルトは観測台に手を置く。

星図の光が、彼の指先を照らす。


「測れるものは、安心できます。数値になれば、比較できる。予測できる。修正できる」

「うん」


「測れないものは、怖い」


その言葉は、思ったより真っ直ぐだった。

アルトは、眼鏡を外したまま俺を見る。


「感情を誤差として扱えば、怖くありません。排除すれば、演算は安定する。けれど」

「けれど?」


「今日、捨てた誤差の中に、人がいました」


俺は黙った。

アルトの声は静かだった。


「泣きそうな子ども。出口を探す観客。足を止める人。顔に出ていたもの」

「見えただろ」


「はい」

「なら、次は拾えばいい」


「簡単にいいますね……でも」


アルトは少し考える。


「難しくして、見ない理由にしていただけかも」

「自分で言うのか」


「言語化すると、かなり不格好ですね」

「まあな」


「そこは否定してください」

「嘘はよくない」


アルトは、少しだけ目を丸くした。

それから、小さく笑った。


眼鏡なしで笑うと、さっきより幼く見えた。

空中に表示が浮かんでいる。


【帰還条件:対象プリンスとのキス】


その文字が、青白い星図の中で静かに光っている。


俺は、アルトを見る。


「条件を満たす必要があります」


「また研究っぽい」

「努力します」


「何を」

「普通に言います」


アルトは少しだけ息を吸った。


「……あなたと、キスをする必要があります」

「必要って言うな」


「では」


また考える。

真面目に考える。


「あなたと、キスをしたい」


言った瞬間、アルト自身が固まった。

俺も少し固まった。


観測室の星明かりが、やけに静かだった。

アルトは視線を逸らす。


「今の表現は、適切でしたか」

「破壊力はあった」


「破壊?」

「そういう意味じゃない」


「では、どういう意味で」

「掘るな」


「気になります」

「気にするな」


アルトは、眼鏡をかけ直そうとして、手を止めた。

少し迷って、机に置いたままにする。


「嫌なら言えよ」


俺が言うと、アルトはまっすぐこちらを見た。


「私が?」

「お前が」


「嫌ではありません」


早かった。

すぐに答えた。


そのあとで、少しだけ耳が赤くなる。


「回答が早いな」

「そこは、迷う必要がありません」


「そうか」

「あなたは?」


「嫌じゃない」


アルトは小さく息を吐いた。

安堵したように見えた。


「それは、よかった」

「数値化するなよ」


「していません」

「本当か?」


「……したい気持ちはあります」

「するな」


「はい」


素直だった。

妙に素直で、少し困る。


アルトは一歩近づいた。

その距離の取り方が慎重だった。


まるで、実験器具に触れる時みたいに、壊さないように、余計な力を入れないように。


「近づき方まで慎重だな」

「不快値を上げたくないので」


「だから数値っぽく言うな」

「では、不快にさせたくないので」


「そっちの方がいい」

「学習しました」


「真面目だな」

「今は、真面目でいたい」


その声が、少しだけ柔らかかった。

アルトは俺の前で止まる。


近い。

眼鏡がないせいで、目がそのまま見える。


青白い星図の光が、彼の瞳に映っている。


「晴人」

「何」


「心拍が上がっています」

「自分の?」


「私の」

「言わなくていい」


「言わない方が?」

「いや、まあ……言ってもいいけど」


「あなたの心拍も、おそらく上昇しています」

「測るな」


「見えました」

「仕返しか」


「少し」


認めるな。

けれど、そのやり取りで少しだけ空気が緩んだ。


アルトの手が、俺の袖に触れる。

触れたあと、すぐ離れようとして、止まる。


「触れても?」

「今触っただろ」


「確認前でした」

「じゃあ、いい」


「ありがとうございます」

「礼を言うところか?」


「言うところです」


アルトは俺の袖をそっと掴んだ。

強くはない。


本当に、確認するように。

でも、その指先には、確かに迷いと熱があった。


キスは、最初からぎこちなかった。

アルトが近づく。


角度を測るように、少し首を傾ける。


「計算するなよ」

「していません」


「本当か?」

「少しだけ」


「するな」

「はい」


アルトは目を伏せた。

そして、計算をやめるみたいに、ほんの少しだけ息を吐いた。


唇が触れる。

冷たそうに見えたのに、触れると温かかった。


短く終わると思った。

けれど、アルトは離れなかった。


袖を掴む指に、少しだけ力が入る。


数値にならないものを確かめるみたいに。

不安定なものを、捨てずに拾うみたいに。


唇が一度離れ、また少しだけ触れる。


二度目は、さっきより柔らかかった。

離れると、アルトはしばらく黙っていた。


眼鏡のない目で、俺を見ている。


「……測定不能です」

「何が」


「今の反応が」

「測るなって言っただろ」


「測ろうとして、できませんでした」

「じゃあ、いいんじゃないか」


アルトは少しだけ目を見開く。


「測れないのに?」

「全部測れる必要ないだろ」


「研究者としては、少し困ります」

「人としては?」


アルトは黙った。

それから、ゆっくり答えた。


「……悪くありません」

「ならいいだろ」


「はい」


【帰還条件を満たしました】

現実世界へ戻りますか? YES/NO


アルトは、まだ眼鏡をかけていない。

机の上に置かれた細い眼鏡。


閉じた魔導端末。

星図の光を浴びた観測台。


そして、俺の袖を掴んだままのアルトの指。

その指が、表示を見てから、少しだけ緩んだ。


「戻るのですか」

「戻る」


「そうですか」

「眼鏡、かけないのか」


アルトは机の上の眼鏡を見る。

それから、少し考える。


「今は、このままで」

「いいのか」


「はい」


アルトは俺を見る。


「あなたが戻るまで、観測補助なしで見ていたい」

「そういうことを普通に言うな」


「普通ではありませんか」

「普通じゃない」


「では、記録します」

「何を」


「普通ではない言葉を、私は言った」

「記録するな」


「重要です」


アルトは少しだけ笑った。

その笑顔は、もう数値ではなかった。


俺はYESを押そうとして、ふと聞いた。


「次から、顔も見るのか」


アルトは即答しなかった。

でも、逃げなかった。


「見ます」

「誤差でも?」


「誤差ではありません」


アルトは静かに言った。


「変化の最初です」


その答えなら、十分だった。

俺はYESを押した。


星図の光が広がる。

最後に見えたのは、眼鏡を外したまま、測定不能なものを見るように俺を見送るアルトの顔だった。


****


現実に戻ると、俺はリビングのソファに座っていた。

タブレットの画面には、星図演算祭の結果が表示されている。


【期間限定イベント】

星図演算祭と完全星詠み装置

【イベント評価:最大】

【限定スチル:獲得】

【追加ボイス:保存】

【ナイトステイ記録:保存】


画面には、星図観測室が映っていた。

半球状のガラス窓。


夜空に広がる星図。

机に置かれた細い眼鏡。


閉じられた魔導端末オービット・グラス

そして、眼鏡を外したアルトが、こちらの袖を掴んでいる。


タイトルが表示される。


【限定スチル:測れない星】


「……測定不能、ね」


呟いてから、少しだけ画面を見続けた。

アルトは相変わらず静かな顔をしている。


でも、最初よりずっと人間らしい顔に見えた。

姉からメッセージが飛んできた。


【姉:通知来た】

【姉:限定スチル取れてる!?】

【姉:星図観測室!?】

【姉:眼鏡外してる!?】

【姉:袖掴んでる!?】


俺はに、追加ボイスを押した。


『測定不能な感情を、誤差とは呼びません。晴人、あなたがそう教えた』


静かな声が流れる。

俺は画面を見た。


眼鏡。

星図。


掴まれた袖。


「理屈っぽいくせに、そういうところは素直だな」


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