ガラスの灰皿④
我々は金本が上京後に勤めていた品川区の町工場に向かった。
品川区は京浜工業地帯発祥の地として、ものづくりが盛んだ。近年では製造業とIT企業が融合する町として、海外からも注目を浴びている。
金本が上京後に働いていた「有限会社ヤマケン」は西大井にある通信機や機械部品の製造、加工、販売を行っている会社だった。社長の山田健一は六十歳前後、町工場の社長と言うより、大企業の経理担当と言った感じの、お堅い雰囲気の男だった。工場の制服が似合わない。名前が山田健一なので、社名に「ヤマケン」とつけたようだ。山田のあだ名なのだろう。だが、そういう軽薄なところのある人間には見えなかった。
受付で刑事だと名乗ると、社長室に通された。社長室と言っても、飾り気の無い事務室で、執務机に書類保管用のキャビネット、応接用のソファーが置いてあるだけの質素な部屋だった。
「以前、こちらで働いていた金本信吾さんについて、お話をお伺いしたいのです」竹村が言うと、「金本信吾?」と心当たりが無い様子だった。
「二十年くらい前に、こちらをクビになっていると思います」と言うと、「ああ、それだと、ちょっと覚えていませんね」と冷たく言い、「雇用記録を調べてみましょう」と言って、キャビネットから分厚いファイルを持ってきた。
竹村と吉田の前で、暫くファイルをめくっていたが、「ああ、これだ」と言って、金本信吾の履歴書を見せてくれた。十代の金本信吾の顔写真に、すでに捜査が終わっている高校を中退するまでの金本の経歴が記されてあった。
「当時、金本さんと仲の良かった同僚の方をご存知ありませんか?」
自分の会社で働いていたことすら覚えていないのだ。仲の良かった同僚と言われても、何も思いつかない様子だった。山田は、「そうですねえ・・・うちで一番の古株の中島さんなら、何か覚えているかもしれません」と言うと、秘書に頼んで、中島を呼びに行ってもらった。
待つほどもなく、中島吉弘がやって来た。山田より年長に見える。
「中島さんです。うちで一番の工作技術の持ち主で、長年培った感覚だけで、コンマ何ミリといった精度で金属を加工することが出来ます」と山田が紹介した。定年間近の年齢だろうが、代わりが効かない人材のようだ。
頭頂部が綺麗に禿げ上がっており、耳の上に残った頭髪が真っ白だ。生粋の技術屋らしく、愛想がない。どっかりと腰を下ろすと、「どうも」と小さく頭を下げた。山田と違って、工場の制服が似合い過ぎるくらい似合っていた。
「以前、こちらにお勤めだった金本信吾さんについてお話をお伺いしたくて、お邪魔しました。金本信吾さん、ご記憶じゃあ、ありませんか?」
「金本?」中島が怪訝そうな顔をするので、「中島さん、この男です。覚えていませんか?」と横から山田が金本の履歴書を見せた。顔写真を見た途端、中島は「ああ、彼ね。覚えていますよ。もう十年以上、いや二十年くらい前じゃないですかね、うちで働いていたのは。ギャンブルにはまって、勤務態度が良くなったので、正直、よく覚えていないな」と答えた。
「金本さんは、ギャンブルにはまっていたのですか?」
「おうっ! 思い出した。そう言えば、うちの吉村が、あいつ、うちをクビになっていから、競馬場で何度か見かけたことがあると言っていた」中島が言うので、今度は、吉村を呼び出してもらった。




