一章8 勇気ある覚悟
どのくらいの時間が経過したのだろうか。
体感では数時間が経ったようにも思えるが、実際には数分程度だったに違いない。それほどまでに、サリエルが淡々と語った過去は、耳を塞ぎたくなるほど濃密で、あまりに衝撃的だった。
「ね? つまらない話でしょ」
サリエルは、さも今日食べた夕食の話でもするかのように、小首を傾げて微笑んだ。
だが、今の話が真実だとするならば、それは想像を絶するほどに過酷な記憶のはずだ。レイがこの屋敷で味わっている恐怖など足元にも及ばない。それにも拘らず、彼女はひび割れた人形のような笑顔で自分を取り繕っている。
先ほど、レイを死の淵まで追い詰めた彼女の「左目」。その狂気の理由が、過去の出来事に起因しているのだとすれば、あまりにも救いがない。いや、手遅れなのかもしれない。彼女の心は完全に壊れているかもしれない。だからこそ、俺は乾いた唾を飲み込み、彼女と向き合う。
「……俺の名前は、ササキ・レイ」
レイは肺に溜まった重苦しい空気を吐き出し、震える声を絞り出した。膝の上の拳が白くなるまで握りしめ、溢れ出る過去の苦々しい記憶を必死に押さえつける。
自分自身が馬鹿馬鹿しく、そして情けなくなった。相手の背景など何も知らず、ただ「怪物だ」と決めつけて勝手に怯え、拒絶した。あまつさえ、その恐怖を剥き出しの言葉にして彼女にぶつけてしまった。最初に出会った時に、命の恩人に怯えるはずもないと言ったのにも関わらず、それを自分で反故してしまった。
今だってそうだ。知ろうとすることから逃げ、ただうずくまって、運命を呪う言い訳を無意識に積み上げていただけではないのか。
「そっか。レイって言うんだ。よろしくね」
サリエルは「レイ」という響きを確かめるように、何度か口の中で繰り返した。その瞳にどこか悲しげな色が垣間見えた。
「綺麗な名前。……わたしの名前はね、分からないんだ。サリエルって名前はミカエルが付けた名前なんだ」
彼女は自嘲気味に笑い、細い指先で自分の青白い頬をなぞった。そして、どこか遠くを見つめるように焦点が合っていなかった。
「皮肉だよね。わたしの人生を狂わせたやつが、両親が付けてくれた名前と同じ音の名前を付けるなんて」
屈託のない、それでいてどこか虚ろな声。壊れかけた人形を無理やり直したかのような表情。
レイは膝の上で硬く握りしめた拳を見つめ、ごくりと喉を鳴らした。
この呪われた屋敷から脱出するには、各階層の「謎」を解き明かし、クリアしていく必要がある。だが、管理者であるサリエルと接触した今、単なるパズルを解くだけでは終われないことを直感していた。おそらく、各階層には彼女のような存在が潜んでいる。
ならば、ここで彼女と敵対したままでは先はない。恐怖をねじ伏せ、友好関係――あるいは、対等な「対話」を築く必要がある。それが攻略の要となるだろう。
レイは意を決し、顔を上げた。
「……サリエル、その……さ」
「なあに、レイ? わたしに聞きたいことって、脱出のヒント? それとも……この屋敷の壊し方?」
彼女の問いかけは、鋭いナイフのようにレイの喉元に突きつけられた。試すような、冷ややかな視線。赤い瞳がこちらの考えを探るかのようにじっと見つめてくる。自分のまばたきをする音さえ聞こえるほど、世界が止まっていた。
凍りついた沈黙を叩き割るかのように、唇を動かした。
「……どっちも違う。俺は、君とちゃんと向き合いたいだけだ」
彼女の瞳から視線を逸らさずに唾を飲み込む。乾いた口で無理やり出した唾が喉元を過ぎ去っていくのが感じた。
「向き合う? わたしみたいな『化け物』と?」
彼女が自嘲するのを遮るように、レイは声を絞り出す。喉の渇きさえも忘れるほどに真剣な瞳で彼女に訴えかけるように割り込んだ。
「ああ。隠し事はなしだ。もう、逃げたくないんだ」
唇が渇き、心臓が肋骨を内側から叩く。最悪の結末を想像させる一回目の死に際の感覚が脳裏をよぎるが、それを必死に振り払った。
ほんのりと冷たい風がこの暗くて狭い通路を通ってゆき、肌を撫でるように通り過ぎてゆく。
「左目……見せて、くれないか」
――言った。
その瞬間、周囲の空気が凍りついた。
先ほどまでの穏やかな微笑みが消え、肌に突き刺さるような鋭い視線がレイを射抜いた。
※第二回 役に立つ?ちょっとしたメモ
「さりえる」と「サリエル」ではこの世界では意味が変わるらしい(°ー°〃)
次回の更新日は4月28日火曜日!!
~お知らせ~
いつも『ホラーゲームの世界に転移したけど、怖すぎて攻略出来ないんだが?』をお読みいただきありがとうございます。
来週あたりに一話から文章校正していく予定です。
主に表現の訂正を行うつもりです。
その際、内容に大きな変化があったり、今後の展開に影響するようなことはありません。




