魔物狩り(2)
――く……多い……。
エイファは切っても焼いても減ることのない魔物に押され始めていた。
彼女の体には無数の小さな切り傷や擦過傷が刻まれている。どんなに強くとも数が減らなければいずれジリ貧になる。数に加えて経験の浅さがエイファをジワリジワリと追い込んでいた。
「グルァァァ!」
「くっ!」
右から飛び掛かってきた魔物にエイファは一瞬判断が遅れた。生臭い息が鼻腔をつくほどまで迫るが、エイファはなんとか押し返し切り伏せる。
そして背中に感じる衝撃、次いで灼けるような痛みがエイファを襲った。
「かはっ……」
肺の中の空気が押し出される。不意打ちの激痛にエイファは生白い頤を上げ、耳を裂くほどに絶叫した。魔物の爪がエイファの背中を衣服ごと肌を裂いていた。雑に抉られた傷口からは血が絶えず流れ、見るも無残な裂傷が刻まれる。
エイファはがくりと膝をつく。剣を地面に突き刺して体が倒れるのだけは堪えた。
――動け動け動け!
言う事を聞かない自分の体にエイファは泣きそうになる。
魔物たちは笑うように牙を剥き、舌なめずりをするようにエイファへ近づいていく。
「ひっ!」
自分がこの後どうなるのか、その光景が脳裏に浮かび、エイファは引き攣った声を上げた。
魔物が口を開き迫ってくる。ぬらぬらと赤く光る口腔が奥まで見えた。
「やめて! 来ないで!」
腰が抜けたまま距離を取ろうとエイファは後ずさる。
もうだめだ、とエイファが目を瞑った時。
「ごめんね。エイファは休んでて」
優しい声音と共に風が吹いた。
「フィン……」
そこには風を体に纏ったフィンが立っていた。ドクン、とエイファの心臓が大きく脈打つ。
「どうして……魔法は使えないはずじゃ……」
「その話はまた後で」
フィンはそう言うと単身、魔物の群れに飛び込んだ。風を纏うことでフィンは素早く動けるようになり、短剣の切れ味を格段に上げる事ができる。今まで以上の速さでフィンは魔物を灰に変えていった。
その光景にエイファは熱い視線を送る。初めて目の当たりにするフィンの本気にエイファはすっかり見惚れてしまっていた。
「エイファ、魔法は使える?」
灰吹雪の中からフィンがエイファに声をかけた。
「大丈夫。数は?」
「残り十……四、五かな」
「なるべく一か所に集めて。私の合図で離れてね」
「わかった」
そう返事をしてフィンは再び戦闘に戻る。エイファ自分の内に意識を向け、魔力を焚いていく。
――想起するは一条の光。……準備完了。
「フィン!」
その声でフィンは戦闘から離脱し、エイファは魔力を凝縮して出来た特大の矢を放つ。それは魔物をまとめて貫き、跡形もなく消し去った。
*****
「エイファ、上を脱いでうつ伏せになって」
エイファの下に戻ってきたフィンが真剣な目で言った。
「はぁ?」
「あ、いや変な意味じゃなくて、背中の傷を治療しないと」
顔をしかめたエイファにフィンは慌てて追加の説明をする。
「そ、そう……だったらこっち見ないでよ!」
自分の勘違いが恥ずかしかったのか、エイファは声を荒げる。
「ご、ごめん!」
フィンは急いで後ろを向くと、布が擦れる音が耳に届いた。
「いいわよ」
フィンが振り向くとエイファは背中を出して地面に寝そべっていた。その白い背中には赤黒い三本の裂傷が刻まれており、そのどれもが深く抉られている。
予想以上の重傷に表情を曇らせたフィンだが、急いで腰のポーチから回復薬を取り出す。
「少し沁みると思うけど我慢してね」
それは細長いガラスの容器に入った、透明感のある青色の液体。体力の回復や怪我の治療に使われる回復薬は冒険者の標準装備である。フィンも冒険に出るときには必ず持ってきていた。
フィンは栓を開け、それをエイファの傷口にかける。すると傷はみるみる塞がり、傷跡も残さずに治っていった。
「っくぅ……」
やはり沁みるのか、エイファは耐えるように唇を噛みしめる。
「よし、これで大丈夫」
エイファは身を起こし女の子座りになって服を着るが、破けた衣服から白い背中が大胆に覗いている。フィンは頬を赤くしながらそっと目をそらした。
「その……ありがとう……。二回も助けてくれて……」
エイファはフィンに背を向けたまま、耳は赤く染めて言った。
「……何言ってるの、僕はエイファと組んでるんだから助けるのは当たり前でしょ?
ほら、早く帰ってソーサリーに換金しに行こう」
「そ、そうね……」
二人の間に微妙に気まずい空気が流れる。落ちている魔導石をせっせと拾う二人は終始無言だった。
*****
「あら二人とも、調子はどう……ってボロボロじゃないですか!?」
魔導石の山を換金するためにソーサリーへ赴いた二人だったが、さっそくシルビィに捕まった。シルビィは心配そうにエイファの体をペタペタと触る。
「何があったんですか! せ、背中が破れてますよ?」
「大したことないわ。ちょっと引っ掻かれただけよ」
シルビィは顔を青くして声を荒げるがエイファは涼しい顔で返す。
「フィンさん! 貴方がついていながら!」
「フィンは悪くない。私の実力不足と不注意よ。それより魔導石の換金をしてほしいんだけど」
「……わかりました。少し待っていてください」
やや不服そうな表情をするも、シルビィは魔導石を籠に入れて奥へ入っていく。
「エイファ、ありがとう」
「ふん、本当のことだしお礼を言われる筋合いはないわ」
エイファはツンとした様子でフィンをあしらう。
「私もまだまだ未熟ってことよ。だからフィン……その……改めてよろしく」
エイファはフィンの方へ体を向けるが顔は下にしてぼそぼそと呟いた。
「うん、こちらこそ」
「それとフィン、貴方、魔法が使えたの?」
「うん、まぁね。 最近は調子が悪かったんだけど土壇場で使えるようになってよかった」
「でも私が見たときは魔力が少なかったはずだけど」
「それはたぶん、魔力が減ったんじゃなくて魔力そのものが弱ってたからじゃないかな?」
「それまた何で?」
「うーん、それは僕にもわからない」
「お待たせしました。こちらが換金分となります」
二人が会話しているところにシルビィが硬貨の入った袋を持って戻ってきた。麻布でできた袋には効果がパンパンに詰まっている。
「ありがとうシルビィ。それじゃ宿舎に戻ってから山分けね」
「わかった。それじゃ僕たちはこれで失礼します」
「フィンさん、エイファにもしものことがないようお願いしますよ」
「シルビィ!」
「はい、わかっています」
しつこいほど苦言を呈するシルビィにエイファが鋭い声を飛ばす。
フィンはそんなエイファを宥めながらしっかりと頷いた。
*****
「まったく……大事には至らなくて良かったけど……」
「心配ない。いざとなれば私が手を出していた」
ソーサリーの階段をのぼりながらシルビィが言う。
「そう……それならいいのだけれど」
「引き続き監視でいいのか?」
「そうしてちょうだい。それにしても認識阻害って便利ねぇ。私には見えているけれど他の人からは見えないんでしょう?」
「そうだな。正確には『その人』が『その人』だとわからなくなる魔法だ。阻害先の変更もできるから有用性は高い。
では私は監視に戻る」
シルビィは独り言を言っている訳ではない。見えないように施した誰かと会話していたのだ。
その誰かの気配も遠く消え去る。
「それじゃ私も仕事に取り掛かりますか」
そう言ってシルビィは重い扉を押し開けた。その部屋には大小様々な魔導石が両壁に備え付けられた棚に隙間なく並べられて保管されている。
薄暗い部屋の中、仄かに光る魔導石はとても幻想的だった。
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