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深緑の罠迷路

「それじゃぁゴート、行ってくるね」

「行ってきます」


 太陽が隠れるほどの曇天。これから外に出るフィンとエイファがゴートに挨拶をした。


「……おう。気ぃ付けてな……」


 ゴートは眠たげな眼をして言った。どうにもいまいち反応が鈍い。


「どうしたの? シャキッとしてよね」

「うるせぇ……今日は陽が出てねぇから寒いんだよ……」


 ゴートが体をさすりながら言う。

 爬虫類人族の体の造りは爬虫類に近い。つまりは変温動物である。朝から厚い雲が空を覆っている今日などは体温を十分に上げることができず、テンションもいつもより数段低いものになっていた。


「それじゃ」

「おう」


 二人は寒さに震えるゴートに見送られながら外に出た。


「ねぇフィン、今日から実戦だって言ってたけどどこでやるの?」

「この先に森があるんだけど、今日はそこに行ってみようと思ってる。ちゃんと装備は整えてきた?」

「抜かりはないわ」


 エイファは、身に着けた防具を確認しながら言った。白銀色の光沢を放つそれは、エイファの胸、腕、脚に着けられている。

 魔物との戦闘において過度な防具は必要ない。それよりも機動力を重視して作られた物が多く、エイファとフィンもその類の防具であった。


「よし、やっと見えてきたね」


 門を出て北に向かって草原を歩き、丘を登りきったところでフィンが言った。

 今までよりも深い緑、鬱蒼とした森が二人の眼前に現れた。幾重にも重なった高木によって日光が遮られ、地面には一日を通して陰が落ちている。


「あれが……」

「そう、あれが僕の言ってた森。さぁ、気を引き締めていこう」


*****


「……」


 見たことの無い光景に緊張と興奮を覚えているのか、エイファは森に入ってから口数が格段に減っていた。


「薄暗くて死角が多いから気を緩めないように。あと足元にも気をつけて」

「わかってるわ」


 そう返す言葉はやや硬い。

 外からでは確認できなかったが、森の中は樹の根で埋め尽くされていた。それはなにも地面に留まるものではない。

 根同士が複雑に絡み合って三次元的な高低差を生み出し、地面を歩いているつもりが、いつの間にか宙空に張られた根の上を歩いているという事も珍しくなかった。眼前に立ちふさがる根の壁やぽっかりと空いた落とし穴。なにも冒険者にとっての脅威が魔物だけという事はない。

 魔物ばかりに気を取られ森に殺される冒険者は後を絶たなかった。

 

 そのことからこの森は冒険者の間では『深緑の罠迷路ウィリデ・メイズ』とも呼ばれていた。

 フィンが樹根に足を掛けて登っていく。エイファもそれに続いて自分の背丈の倍ほどの高さを登り切った。


「エイファ、開けた場所に出るよ」


 フィンが言ってすぐ、森の中に剥き出しの地面が現れた。落雷でもあったのか、そこに木々は生えておらず、わずかな草花が静かに揺れる場所。

 そしてここは森の中で自分の立ち位置を確認できる数少ない場所でもあった。自分の立っている場所が地なのか宙なのか迷った時には一旦ここに戻って感覚をリセットするのがセオリーである。


「エイファ、二匹」

「えぇわかってるわ」


 そしてそこにいたのは獣型の魔物ベスティア。紫がかった黒の体毛が禍々しさを思わせる。低く唸ると見える牙は一本一本が逞しい。紅く光る眼に映る二人を餌として認識した魔物はゆっくりと、しかし真っ直ぐに二人に近づく。


「どうする? 二匹は厳しい?」

「ふん、私一人で十分よ」


 エイファは臆することなく一歩前に出て目を閉じ、魔法を発動させるために集中する。


「想起するは紅蓮の炎弾」


 エイファは、頭の中の光景をより具体的なものにするために口を小さく動かして言葉を紡いだ。魔法の威力、射程、効果、持続時間、全ては術者のイメージによって決定されるため、言葉として表現することは重要な過程でもある。


「グルァアア!」


 微動だにしないエイファに痺れを切らしたのか、魔物は大口を開けて飛び掛かってくる。


「その身の全てを焼き尽くせ」


 エイファの眼が見開かれる。彼女の瞳は標的を捉え、同時に掌から炎弾が射出された。

 炎弾が魔物に触れると、炎はたちまち魔物を呑みこみ断末魔さえ焼き焦がしていく。しかし燃えるのは二匹の魔物のみ。周りの樹には燃え移らなかった。エイファは魔法の効果が及ぶ対象を魔物だけに絞ったのだろう。

 しばらくして炎と魔物は消え、焦げの一つもない森の風景に戻った。


「ふふん、どうよフィン。少しは私のすごさがわかった?」

「う、うん……」


 驚きのあまりフィンは気の抜けた返事しかできない

 ――やっぱりこの子はすごい。純粋な魔法の勝負だったら僕よりずっと強い。


「なによ、もうちょっと反応してくれてもいいじゃない」

「あ、あぁいや、本当にすごいなと思って」

「そ、そう……ってあれ?」


 フィンの賞賛に目を逸らしたエイファの視線の先には紫紺の輝きが地面に落ちていた。


「フィン、あれは何?」

「うん? あぁあれが魔導石だよ。実物を見るのは初めて?」


 フィンがその紫紺の鉱石を拾い上げてエイファの前に差し出した。


「えぇ」

「これをソーサリーに持っていけば換金してもらえる」


 エイファは興味津々な様子で手に持って観察する。それは掌に収まるほどの紫紺の鉱石で淡い光を放っていた。


「エイファ、その石に魔力を込めてさっきの魔法を想起してごらん」

「えっと、こうかしら……ってうわ!」


 エイファは言われた通り魔導石に魔力を込め、先ほどの炎弾の魔法を思い浮かべた。すると魔導石の光が強さを増し、石の中心部では炎の様に魔力が揺らめいている。


「これが魔法の保存……」

「そう、それがあれば誰でも魔法が使える。だから僕たち冒険者もいざという時のためにあらかじめ魔法を保存しておいて持ち歩くことが多いんだ」


 フィンはそう言って腰のポーチから魔導石を二つほど取り出した。


「魔力を温存したいとき、魔法を発動する余裕がないとき、外では何があるかわからないから持っていて損はないよ」


 フィンの説明にエイファがほぅっと息を漏らす。それはフィンの言葉に感銘を受けたからでも、感動したからでもない。彼女の視線は終始魔導石に注がれていた。


*****


「ねぇフィン、なんか物足りないからまた打ち合いしましょうよ」


 草原まで戻ってきてエイファはそんなことを言った。どうやら魔物との戦いでは満足がいかないようで、腕を回して不完全燃焼ぶりをアピールする。


「うーん、まぁ僕も今日は何もしてないしちょっとくらいならいいかな」

「それじゃ、えいっ!」


 気合が入った割には存外可愛らしい掛け声とともに投げられたのは二つの魔導石。それはゆっくりと放物線を描き、フィンのもとへ飛んでくる。


「え、ちょっと。この距離はまずいって……」


 そこまで言ったところで魔導石が一際大きな光を放ち、魔法が発動した。紫紺の中から生まれた炎は瞬く間に大きなものとなり、フィンの手前で地に落ちた。

 爆発。

 草の生えた地面を抉り飛ばして炎が爆ぜた。

 フィンはほとんど反射的に両腕で顔を守り後ろへ飛ぶ。直撃は免れたが衝撃で大きく後方に飛ばされた。

 背中で受け身を取りそのまま後転するようにしてフィンが立ち上がる。視線を上げたフィンの先には「どうせ大丈夫なんでしょ?」と言わんばかりに口角を上げたエイファがいた。

 ――これまた高く買ってくれたなぁ……。

 打ち合いと自ら提案しておいて魔法で奇襲したエイファにフィンは苦笑いをこぼす。

 ――でもまぁいい機会だし、僕も試してみようかな。

 フィンは愛用の短剣を取り出して魔法の発動を試みる。


「風よ(アネモス)」


 自分の体と武器を風が覆う様子を頭に描いて呟く。しかし何も起こらない。

 ――なんで……。特に調子が悪い感じはしないのに。


「ハァッ!」


 フィンの目の前にエイファがいきなり現れたかと思うと、エイファは剣を振り下ろした。エイファがいた場所には踏み込みで削がれた地面がある。得意の身体強化を使ったのだろう。

 振り下ろされた剣をフィンは体を横にずらして避ける。剣は空を切ったが、エイファはそのままフィンを追撃する。

 切り上げ、刺突、手首を返して水平に斬る。しかしそのどれもフィンには当たらなかった。


「なんで! 一つも! 当たらないのよ!」


 剣を振るのに合わせてエイファが怒鳴る。そのあともエイファは攻撃の手を緩めなかったが、終いには疲れ果てて地面にへたり込んでしまった。


「あぁ! もうっ! なんでフィンはそんなに強いの!」

「あはは……。まぁ教えてくれた人が良かったんだよ」


 少しも息を乱さずにフィンが言う。


「でもエイファも十分強いでしょ。どこでそんな実力を身に着けたの?」

「剣術は小さい頃から教えられていたわ。魔法は冒険者になる前にシルビィに教えてもらった」


 なるほど、とフィンは得心する。

 エルフの血を引く彼女ならば魔法の扱いにも慣れているだろう。才能のある者が彼女に教わったとなれば桁外れの実力を持ち合わせているのも頷けた。


「それよりもう一回よもう一回! 剣が当たるまで帰さないんだから!」


 我儘を言う子供のようにエイファが言う。柳眉は吊り上り頬は仄かに朱い。よほど悔し買ったのだろう。

 結局二人は日が暮れるまで剣戟を交わしていた。

今回もお読みいただきありがとうございます。


なんか駆け足になってしまったような気が……。まぁいいでしょう()


それでは次回もよろしくお願いします。

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