4話:金槌と炉
ルシェンの手つきを、ドラガンは見ていた。
鍛冶場の炉の前で、ルシェンが鉄の棒を加工している。赤く熱した棒を鉗で挟み、金床の上に据える。金槌を振り下ろす。一打、二打、三打。打つたびに火花が散り、鉄が少しずつ形を変えていく。
力ではない。
ルシェンの打ち方には力がほとんど入っていない。手首の返し、金槌の角度、打つ位置の微妙なずらし。あいつの腕力で鉄が形になるのは、力ではなく道理によってだ。金属がどこを叩かれたがっているかを、指先で読み取っているかのようだった。
父ボグダンが横に立ち、腕を組んでルシェンの手元を見ている。無言だった。ボグダンが無言で見ているのは、文句がないという意味だ。
やがて、ボグダンが口を開いた。
「いい。均一に伸びている」
たった一言。だが、父の口からその一言が出ることが、どれほど稀かをドラガンは知っている。親父は出来の悪い仕事には何も言わない。黙ってやり直しを命じるだけだ。声に出して褒めるのは、本当に認めたときだけだ。
ドラガンは革のエプロンの紐を弄りながら、視線を鍛冶場の隅に逸らした。
(あいつはヒューマンだ。ドワーフじゃない。それなのに)
口には出さない。出すわけにはいかない。ルシェンは友達だ。悔しいとか妬ましいとか、そんなことは思っていない。思っていないはずだ。
「ドラガン。次はお前だ」
父の声で我に返った。
「おう」
返事だけは威勢がいい。ドラガンは金床の前に立ち、鉗で鉄の棒を挟んだ。赤く熱した金属の重みが腕に伝わる。ずっしりとした手応え。この重さだけは、ドラガンの方が上手く扱える。ルシェンの細い腕では、大型の素材を保持し続けることすらできない。
金槌を振り下ろした。
一打。鉄が潰れる。
二打。ずれた。
力を入れすぎたのはわかっていた。鉄が歪み、片側だけが厚くなっている。ボグダンの目が、一瞬だけ細くなったのをドラガンは見逃さなかった。
「力に頼るな。鉄の声を聞け」
鉄の声。父はいつもそう言う。だが、ドラガンには聞こえない。鉄は喋らない。目の前にあるのは赤い塊で、それを殴って形を作るだけだ。ルシェンのように金属の「望み」を読み取る感覚は、ドラガンにはなかった。
三打目。今度は慎重に打った。力を抑え、手首を意識する。マシにはなった。だが「マシ」だ。ルシェンの仕上がりには遠い。
ボグダンは何も言わなかった。認めたのではなく、言うほどのことがないのだ。その沈黙の違いを、ドラガンはわかりすぎるほどわかっていた。
***
昼休み。
ルシェンが「山に行こう」と言い出したのは、ドラガンが鍛冶場の裏で黙って水を飲んでいるときだった。
「山?」
「裏山。前に見つけた岩場のところ。ティセラも来るって」
断る理由はない。鍛冶場にいれば親父の視線を感じる。外に出たかった。
「おう。行くか」
ティセラは村の広場で待っていた。銀がかった黒髪を一本の紐で束ね、歩きやすい革の短靴を履いている。エルフの少女は長身で、ドラガンより頭半分は背が高い。ドワーフの体格はこういうとき不便だった。
「今日も短いね、ドラガン」
「うるさい。ドワーフは縦より横に成長するんだ」
「それ、太ってるのと同じでは」
「筋肉だ!」
ルシェンが笑い、ティセラが口元を押さえて肩を震わせた。腹が立たないわけではないが、この二人に怒っても仕方がない。ドラガンは無言で先頭に立ち、裏山への道を歩き始めた。
メシャラ村の裏山は、中央盆地領の丘陵地帯の一部で、標高はそれほど高くない。だが、南の斜面に灰色の岩が露出した一角があり、十メートルほどの岩壁が垂直にそそり立っている。ドラガンが三ヶ月前に見つけた場所だった。
岩壁の前に立つと、ルシェンが見上げて首を傾げた。
「これ、登れるのか」
「登れる。手掛かりがある」
ドラガンは答えるより先に岩壁に取りついた。
指先が岩の割れ目を探り当て、つま先が小さな凹みを捉える。ドワーフの短い手足は、岩場では不利に見える。だが、指の力が違う。握力はルシェンの倍以上ある。片手で全体重を支え、もう一方の手で次の手掛かりを探す。足も同じだ。つま先の踏ん張りだけで体を岩に貼り付かせる。
三メートル、五メートル。風が強くなった。髪が乱れ、視界の下に村と交易路が広がり始める。
振り返らない。ここでは誰にも負けない。金槌の扱いでルシェンに劣っても、この岩壁ではドラガンが一番だ。身体が覚えている。岩の声なら聞こえる。
十メートル。岩の縁に手を掛け、身体を引き上げた。
頂に立った。風が正面から吹きつける。眼下にメシャラ村が広がっていた。交易路が白い線となって南北に走り、日干し煉瓦の家々が交易路の両側に散らばっている。鍛冶場の煙突から細い煙が上がり、バザールの天幕が色とりどりに並んでいる。東の畑で農夫が鍬を振っているのが小さく見えた。
綺麗だった。
ドラガンはそういう言葉を口にしない性分だが、景色の中に言いようのない温度を感じた。ここが自分の村だ。エルフもドワーフもヒューマンも、あの小さな屋根の下で一緒に暮らしている。
「おーい!」
下から声がした。ルシェンが岩壁の下で見上げている。ティセラも隣にいる。二人とも登れずにいた。ルシェンは細身で握力が足りず、ティセラはそもそもこういう力仕事を好まない。
「まかせとけ!」
ドラガンは岩の縁に腹ばいになり、腕を下に伸ばした。
まずルシェン。手を掴む。ルシェンの手は細い。鍛冶で硬くなった指の腹と、それ以外の痩せた指の対比。ドラガンは片腕でルシェンの身体を引き上げた。
「お前、軽いな」
「ドワーフが重いんだ」
次にティセラ。ルシェンと二人がかりで腕を差し伸べた。ティセラの手は冷たく、滑らかだった。エルフの肌だ。エルフは汗をかきにくいと聞いたことがある。引き上げるとき、ティセラの目がドラガンの腕を見た。筋肉が盛り上がった腕を。
「すごい力ね」
「ドワーフだからな」
照れを隠すように鼻を鳴らした。褒められたのは鍛冶の腕ではなく力だったが、それでも悪い気はしない。
三人は岩の上に並んで座った。足を崖の向こうに投げ出し、風に吹かれながら眼下の村を見下ろす。
ルシェンが指さした。
「あれ、ヤスミンの店だろ。パンの焼ける匂いがここまで来そうだ」
「来ないわよ」
「来てほしいって話だ」
ドラガンは二人のやりとりを横で聞きながら、黙って景色を眺めていた。
何も変わらない村。朝、炉に火が入り、バザールが開き、畑に人が出て、夕方になれば家々から煙が立つ。ドラガンはこの村が好きだった。親父の鍛冶場があり、友達がいて、毎日が同じように巡ってくる場所。
ルシェンに鍛冶で負けることは、認めたくないが事実だ。だが、こうして岩を登り、二人を引き上げ、「まかせとけ」と言えることが、ドラガンの誇りだった。力は嘘をつかない。
***
夕方、家に帰ると、食卓に父が座っていた。
いつもと違う。
ボグダンは普段、夕食の時間まで鍛冶場にいる。日が暮れてから家に戻り、無言で母の作った食事を口に運び、無言で寝る。それが父の日常だった。
だが今日は、鍛冶場が早く閉まっていた。食卓の上に一枚の手紙が広げられ、ボグダンがそれを読んでいる。母は台所で鍋をかき回しながら、ちらちらと夫の方を窺っていた。
ドラガンは靴を脱ぎながら声をかけた。
「親父、今日は早いな」
返事はなかった。
ボグダンは手紙から目を離さない。灰色の瞳が文字の上を行き来している。手紙の紙は薄く、見慣れないドワーフ文字——西部山岳領の書体で書かれていた。
「親父?」
ボグダンが顔を上げた。一瞬だけ息子を見て、また手紙に目を落とした。
「何でもない」
何でもない。父がそう言うときは、何でもなくないときだ。ドラガンはそれを知っている。しかし、父の「何でもない」に食い下がったことは一度もなかった。
夕食は無言だった。母が作った根菜の煮込みと黒パン。いつもと同じ味のはずだが、食卓の空気が重い。ボグダンは食事を半分残して席を立ち、鍛冶場の方に消えた。
母がため息をついた。
「西部のお父さんの弟さんからの手紙よ」
「なんて?」
「……知らない方がいい」
母もまた、父に似た沈黙で息子を遮った。
ドラガンは食器を片付けながら、台所の窓から鍛冶場を見た。灯りはついていない。暗い鍛冶場の中に父がいる。何をしているのかはわからない。
手紙の内容は聞けなかった。だが、父の顔にあった表情だけは、ドラガンの記憶にはっきりと残った。
あれは、困惑ではなかった。
恐怖だった。




