13話:小さな諍い
祭りの翌朝は、広場の片付けから始まる。
夏至祭の夜が終わると、村の有志が自発的に集まり、出店の骨組みを解体し、各種族の飾りを回収し、広場を元の状態に戻していく。ルシェンも毎年この片付けに加わっていた。朝の早いうちに集まって、昼前には終わる。それが習わしだ。
今年は綱引きの縄が問題になった。
***
長さ十メートル、親指ほどの太さの麻縄。大人十人がかりで引き合う本縄だ。去年は鍛冶場の裏に保管されていた。今年もそのはずだった。
「この縄、ウチで保管してもいいか」
エディンが縄の束を肩に担いで言った。
昨日の力比べでドラガンと激戦を演じ、夜には麦酒で乾杯して別れたオークの青年だ。今朝も片付けに来ていた。広い肩に縄の束が乗っても小さく見える。
「それはうちの鍛冶場が管理するもんだ」
ドラガンが答えた。エディンより半頭低いが、声は引けを取らない。
「なんで鍛冶場なんだ。去年もそこに置いてたが、湿気で傷んだだろう。ウチの倉なら乾いている」
「鍛冶場の何が悪い。十年以上そこに置いてあった」
「だから傷んだんだろうが」
ルシェンは縄の端を持ったまま、二人の間に立っていた。片付け当番の調整をしたのはルシェンだ。縄の保管先については特に決まりを作っていなかった。盲点だった。
「ちょっと待て」
ルシェンが二人に声をかけた。
「縄の状態を確認してから決めよう。使えなくなっていたら話にならない」
***
縄を地面に伸ばした。十メートル全部を。三人で目視した。
傷んでいる。真ん中あたりに、摩耗で細くなっている箇所が三カ所ある。保管の問題というより、毎年引き合っているせいだろう。このまま来年も使えば、大会の途中で切れるかもしれない。
「修繕が必要だ」
ルシェンが言った。
「誰がやるんだ」
エディンが言った。
「縄の編みなおしはウチが得意だ。オークの縄細工は——」
「綱引きは元々ドワーフの祭りだ。修繕は鍛冶場で引き受ける。うちの親父は縄の結びも知っている」
ドラガンが遮った。
沈黙が落ちた。
縄の束の向こうで、片付けに来ていた他の者たちが足を止めていた。ドワーフの少年が二人、広場の端から見ている。オークの若者が一人、エディンの後ろに立っている。いつの間にか人が集まっていた。
誰も声を上げない。
(縄一本で)
ルシェンは縄を手に持ったまま、広場を見回した。縄一本の保管場所の話が、いつの間にか「ドワーフの祭り」と「オークの縄細工」の話になっている。縄の問題ではなくなりつつある。なのに、誰もそのことに気づいていないか、気づいていても言えずにいる。
「両方でやればいい」
ルシェンが言った。
「修繕はエディンの家でやる。保管は鍛冶場でいい。傷んだ箇所の補修にはオークの縄細工の技術が要る。安全な保管には鍛冶場の乾燥した石の部屋が向いている。どちらも必要だ」
しばらく誰も動かなかった。
エディンが縄を見た。ドラガンが縄を見た。
「……まあ、それでいいか」
エディンが先に言った。肩から力が抜けた。
「ああ」
ドラガンが短く答えた。
縄をエディンに手渡した。修繕が終わったら鍛冶場に持ってくることで話がついた。まわりで見ていた者たちが、また片付けに戻った。
***
片付けが終わった後。エディンが帰っていく背中を、ドラガンとルシェンが並んで見送った。
「昨日は一緒に飲んでたのに」
ルシェンが言った。
ドラガンは何も言わなかった。
「縄一本の話だったのに」
「わかってる」
「なんで」
「わかってる、と言ってる」
ドラガンの声は静かだった。怒ってはいない。むしろ、静かすぎた。自分でも理解しようとしているような、何かが噛み合っていないような静けさだった。
「エディンのことが嫌いになったわけじゃない。でも——縄の話をしているはずなのに、気がついたら別の話になっていた。それが、自分でも、よくわからない」
ルシェンは石畳の上に視線を落とした。
広場の隅に、昨日の綱引きの終点を示す白い線が残っていた。今日の片付けで消されるはずが、忘れられている。白い線が石畳の上に引かれたまま、夏の朝の光の中に残っている。
「縄は直るな」
ドラガンが言った。
「直る」
「来年も使えるな」
「使える。ちゃんと直せば」
ドラガンが頷いた。
それだけで、二人はそれぞれの方向に歩き出した。
ルシェンは次の片付け場所へ向かいながら、一度だけ後ろを振り返った。エディンの背中が交易路の向こうに見えた。縄の束を肩に担いだまま、普通に歩いている。怒ってはいない。怒っていないのに、何かが引っかかっている。
これが初めてではないかもしれない。だが、こんなにはっきり見えたのは、今日が初めてだった。
白い線は秋の雨が降るまで、広場の石畳の上に残り続けた。




