5、解放
いずれにせよ、一刻も早くこの星から抜け出さなければならない。身体が焼かれる前に。
寝ることが本当に戻れる方法かどうかもやはり試す必要がある。
同時進行で名前を思い出す。さらにそれがだめだったときのことも頭の片隅にとどめておこう。
そう決意したことを周りの大ぜいに知られないようにしないと。
僕は少しうつむきながら、椅子の向きを元に戻す。
そうして壇上の星井が読み上げる聖書に耳を傾ける。
僕の名前を言いやしないかと思って。
でもものの数秒でこのやりかたは違うと思った。だって星井が読む聖書の文は一人称で書かれているから。『十一歳の誕生日の日、私は……』というように。
あるいはそのエピソードがきっかけで名前を思い出すこともあるかもしれないが。
ゴゴゴ
地面が少し揺れる。僕の微かないらだちが、地震を起こした。
でもみんな、それに気づかなかったように食事やおしゃべりや居眠りを続けている。給仕だけが、食器や天井のロウソクを気にしている。
星井もよどみなく聖書を読んでいる。
僕にはこの力がある。
これを使って、このバカみたいな建物をぶっ壊せないだろうか。
だけど、すぐにそれもだめだと気づく。
建物が倒れたら、僕はおろかここにいるみんなも無事では済まないだろう。
隣のソフィアを見る。
「ソフィア」
「なんでしょう?」
「君が持っている聖書には、僕の名前は載っていないの?」
彼女は首を横に振る。
「私たちの持っている聖書は、今ステージ上の彼が読んでいるものと同じです」
まあそうなのだろう。仮に無理に聖書を見せろと言っても、それが危険なものなら周囲に止められるだろう。
「ねえソフィア」
「はい」
僕は皿の上ですっかり冷めたハンバーグを指さす。
「これは、なんて言うの?」
「ハンバーグ、でしょうか」
「なんで名前が言える?」
「ハンバーグはハンバーグです」
そう言う彼女の表情をじっと見ていたけど、何かを隠した様子はなかった。
僕は頭の中で五十音を言ってみる。
あいうえお
かきくけこ
さしすせそ……
その言葉に何か引っ掛かりはないか。
そのひっかかりを集めてつなぎ合わせれば自分の名前になるのではないか。
けれど結局言葉は何の意味も表してはくれない。
それに、僕の名前が『たろう』だったとして、例えば誰かからそう言われたとしても、それを自分の名前をして認められるだろうか。
実感としてまったくない。
「ねえソフィア」
「なんです?」
「僕の名前はどんなだと思う?」
彼女は困ったような笑みを浮かべ、黙っている。
「僕の名前を知っていそうな人は、この中には?」
初めに紹介された賢者とか博士なんてどうだろう。
「いるかどうかと問われたら、いないと思います。みんな自分の名前すら知らないのです」
「だって、みんな僕の生活を何年も夢で見ているのだろう。家族から僕がなんて呼ばれていたか分からないわけがない」
そう言っても彼女は困った顔をするばかりだった。周りの人を見る。でも誰も目を合わせてはくれない。
知っていて教えてくれないということも考えられる。けど、少なくともソフィアに限っては違う気がする。いずれにせよ、こんな聞き方では駄目だ。
かといって、これ以上強く問い詰めることもできない。
「じゃあソフィア」
「なんでしょう」
半ばあきらめて言ったことだった。
「今度は僕に、名前を付けてくれないか」
「だめだ!!!」
ステージ上から叫び声が聞こえた。
星井だ。
なんだかわからないけど、強烈な視線をこちらに向けている。
「その子に、名前をつけさせるな!!!」
再び星井が叫ぶ。
いや、彼が見ているのは、ソフィアだ。
静まり返る場内。
「……名前を、つけられるのか?」
すぐ背後、僕の頭上からそんな男の声が聞こえた。
一番初めに握手した市長だ。
「名前?」
「……なまえ?」
ガヤガヤ
その言葉は波紋のように周りに広がっていく。
僕とソフィアをのぞく会場全員のみんなが立ち上がってこっちを見ている。
いや、
みんなが見ているのは、
僕ではなくて、ソフィアだ。
「おれに!!!
おれに、
私に、
わたしにも!
俺だ!」
「ひきはなすんだ!!」
星井が叫ぶ。でも誰も聞いていない。
場内の全員がソフィアに群がる。
彼女の近くの者は顔の前で何かを必死に言い立てる。
さらにそれを囲む、何重もの人垣。群衆、その一人ひとりが一歩でも彼女の近くへ行こうと、どんどん人を踏み越え、這い上がり、手を伸ばし、覆いかぶさってくる。
いたるところで食器が割れ、食べ物の匂いが混ざり合う。
そんな集団にソフィアはあっという間に飲みこまれてしまう。
僕が見たのはそこまでだ。
人の波に押され弾かれ、もみくちゃにされ飛ばされてしまった。
ただ大勢から踏みつけられる前に、給仕たちが素早く僕の脇を抱え救い出してくれた。
辺りはもう蠢く人しかいなかった。数百人という人間が、たった一人の少女に群がっているのである。
給仕たちが僕を守るように立っていてくれなかったらそのまま立ち上がれず、正直死んでいてもおかしくなかった。
ごごごご
地面が揺れる。
床の石畳が入口の方からゆっくりと波のように浮き上がり、沈む。
後方から悲鳴が上がっていく。どんどん人の群れが盛り上がる。みんな例外なく倒れていく。テーブルはひっくり返され、皿やグラスが割れ、料理が盛大に床や人にぶちまけられる。
僕は地震を起こした。
たぶんこの星の物を食べたからだろう。天変地異を操作しやすくなっている。
そして再び場内は静まり返る。
「火を消せ!」
誰かが叫ぶ。
ロウソクの火が、テーブルクロスや誰かの服なんかに燃え移ったらしい。みんなが慌てて火消しを行う。
ところどころから、「テーブルに挟まれた」、「地面の石に挟まれた」なんて声も聞こえてくる。
「ソフィア!」
僕は立ち上がって彼女の名前を呼ぶ。
「ソフィア!」
もう一度地震で人をバラけさせるか?
いや駄目だ。焦るな。
「ソフィア!!」
倒れた人を踏まないよう、僕らそちらに近づきながら、もう一度力の限り叫ぶ。
彼女を中心とする人垣があった場所が、少しずつ開かれていく。
中には立ち上がれない者もいる。
その中に、青いドレスが見える。
金色の髪。
「ソフィア!!」
僕は走る。
人が道を開ける。
額から血が出ている。
僕は彼女に駆け寄って上体を起き上がらせる。
「星主様!」
彼女はそう言うなり、僕の首に抱き着いてくる。
僕の耳に彼女の息がかかる。
「あなたの名前は……」
僕は確かにその名前を聞いた。
でもその瞬間、視界は真っ暗になる。ペンキでも塗られたように絶望的に何も見えない。
…
……
…………
あんなに騒がしかったのに、今は誰の声もきこえてこない。
ここは、夢の中?
確かにずっと寝てなかったものな。それほど深い眠りに落っこちてしまったのだろう。
「いやあ、まったく」
なんて思っていると、そんな声が聞こえてきた。星井だ。
「君が彼女に名前を付けたときからやばいって思ってたんだよね」
なんておどけて見せる。
怒りとともに薄れかけた記憶が一気に蘇ってきた。
「君の身体はまだセーフだよ。戻りたいならばだけど」
「僕は、戻れるの?」
「それは君次第だ」
「戻るよ。でも、その前に質問をさせて欲しい」
どうぞと彼は言う。
「星を脱出する条件についてだけど」
「君が考えている通りだよ」
彼は言う。
「この星の住人の誰かに名前を付けてもらうってことが?」
「そう。その通り」
「嘘だね」
それくらいなら声を聞いただけで分かる。そして多分彼は、最後の悪あがきとしてそういうことをしたわけではない。
これはきっと、星に関する重要な情報なのだろう。
「誰にも言わないから、教えてほしい」
彼は静かに息をつく。
「……」
言わないつもりなのがわかった。
「僕が彼女に名前を付けたときは、周りは無反応だった。でも彼女が僕に名前を付けようとしたときは大騒ぎになった」
そう状況を確認する。
僕がさらに考えをのべようとすると、彼は短く息を吐く。
「星主というのは、常に求められる存在なんだ。その星主自らが、ただの一住民に自分の名前を求めた」
「でも僕だって、お腹がすけば、その辺の人にご飯を求めると思うけど」
「そういうことじゃない。あの星の、神の存在条件に関わることだよ。僕に言えるのはそこまでだ」
彼はそう言って話を打ち切った。
「それで、どうするんだい?」
「戻るよ」
「一応、理由を聞いてもいいかな」
「家に帰るのに理由なんてないと思う」
「君の奥さんはいいの? いい子だよ。それにすごくいい感じだったと思うけど」
「彼女もさっきのことでやり方は分かったと思うから。近いうちみんなあの星からいなくなると思うよ」
星井はそれを聞いて少しだけうなる。
「たとえば、たとえばだよ」
「ああ」
「君があそこに戻って、平和に星をやり直すっていうのはできない? 綺麗な奥さんもいるし、望みは何だって叶い放題。一方で現世へ戻れば、」
しつこいな。
と、思ったことが伝わったらしい。
「ちょっと考えてみてくれ。たぶんこのままでは星は失くなってしまう。それに君は、」
「少なくも星は、王族がいるからそれはないと思う」
「いいや、彼らだって彼女に名前を付けてもらおうと群がったのを君は見ただろう」
まあそれはそうだ。でも残る者だっているだろう。
と思っても面倒くさいから黙っている。
「続けるよ。もし星が無くなってしまったら、星が今まで食べてくれていた君の不運は全部君のところに行く。それは、いいの?」
よくない。
ただでさえも、15年、ひどい思いをしてきたのだ。
しかも実は、それが抑制されていたものだったなんて。こんなひどい話はないだろう。
でも僕は首を横に振る。
「それはしょうがない。僕はそういう運命だったのだし」
大半が諦めである。でも自分でもよくわからないが、少しだけわくわくしている所もないではない。怖いモノ見たさなのだろうか。
星井はめげない。
「まあ今は、君が元居た世界に戻ってもいい」
「ああ、戻るよ」
星井の話は終わっていない。
「君が元の世界で暮らして、それで不慮の事故で死んでしまったとする。
普通の人間ならそれで終わる。でも君が死んだらあそこの星へ戻って星主をやれる。死後の人生も約束されているっていうのは、ちょっといいものだと思うけど」
「まあ誘惑はないかといえば嘘になる」
今度は星井が黙る。
「でもあそこに住む人たちの顔を見ただろう。あんなところに人を住まわせて、まずいご飯を食べさせて、名前を奪われ、同じ夢を見て……」
僕は黙る。
星井も黙っている。最後まで言わせたいのだ。
「あんな世界、壊れていいと思う」
まあだいたい言いたいことは言えた。
分かったよ。
という言葉が聞こえたような気がした。
目が開く。
真っ先に感じたのは、新鮮な花の香りだ。すごくおいしそうな匂い。花の香りに食欲を覚えるなんて。
中は暗い。何も見えない。
自分が寝ていることは分かる。そして身体は石膏で固められたみたいに硬い。
そして海の底みたいに冷たい。
たぶんだけど、というかまず間違いなく、ここは棺桶の中だ。
ガタ
と上から音がする。
目の前の天井が開く。
「……」
何処かの高校の制服をきた、見知らぬ女の子が僕を見ている。
僕と目が合うと彼女はにこりと微笑む。
でもすぐ顔をひっこめる。
ええと。
もう見つかった。
どうしよう。
身体が動かない。
なんて思っていると、またさっきの彼女が再び顔を出す。
人差し指を唇にあてがっている。
しっ
それから微かにうなづいてみせる。
また視界から消えた。棺桶の顔窓が閉じられる。
そのあと、部屋が人で騒がしくなりはじめる。
僕は自分の身体をざっと確認してみた。
冷たかった身体に、熱がだいぶ戻っている。指は何とか動かせるようになった。やがて腕や脚もいうことを聞き始める。
起き上がることもできそうだ。
そんなことをしてる間に、再び棺桶の外は静かになっていった。
物音一つない。
それからまた窓が開かれる。
三度同じ女の子。
「人払いはしておきました」
「……君は」
彼女は一度微笑んでうなづく。
「さっきの星井とあなた様とのやり取りは、全員が夢で見ました」
「……星は?」
「あれはまだ動いております」
崩壊はずっと先になりそうだと彼女は告げる。少なくとも僕の寿命よりながく。
そう言い残して彼女は視界から消えた。
棺桶が開けられる。
まぶしい。
僕はゆっくり起き上がる。
小さな葬儀会場だった。二人の人物がいる。一人は今蓋を開けてくれた彼女。
もう一人は義兄だ。
「よ、よお」
普段明るい彼だったけど、その笑顔はやはり強張っている。
僕が喋ろうとすると、彼が話をし始める。
「一応葬式の手筈は、お前の遺言通り遂行しておいたんだけどな……」
僕はうなづく。
どうしようもない死に方をしたら、僕の死は極力誰にも知られないようにしてくれと、以前から義兄や姉に頼んでいたのだ。
つまり、今回の僕の死因がしょうもないものだったらしい。
「お前はガムを喉に詰まらせて死んだことになっている」
星井の工作だろうか。ガムはティシュに包んで捨てたのに。せめて心臓麻痺とかにしてもらいたい。
いずれにせよ僕の遺言は無事発動された。
その場合クラスには転校ということになっている。葬式は地元から離れたところで、家族だけでひっそりと行われる手はずだ。
これならなんとか被害を最小限で抑えられるかも知れない。
「身体はその、大丈夫か?」
「たぶん」
僕は彼女を見る。
彼女は持っていた棺桶の蓋をゆっくり床に置く。
「私も、そろそろでます」
僕は彼女の名前を呼ぼうとする。でもどういうわけか思い出すことができない。
顔も髪の色もまったく違う。けれど目の前にいる彼女があの女性であることは分かる。
そして別れを告げようとしている。
こっちに近づいてくる。
頭の怪我は大丈夫?
他に痛めたところは?
どうやってここに?
いろんな言葉が溢れてくる。でも何を口にしていいか分からない。
彼女が口を開く。
「でも、ほんとによかったです」
それから微笑む。
「あなた様が星の王になるだなんて言わないで」
僕は黙っている。
「……」
本来ならそれを最後に彼女はここを去るつもりでいたようだ。
じっとしている僕の様子を見て、少しだけ驚いたような表情を見せる。
彼女の表情が少しだけ歪んだような気がした。
「やっぱり、気づいていたのですね」
「時間はたっぷりあったから」
「どうして」
「タイミングが良すぎた。僕が来たと同時に戦争が起こったり、王族が仲良く並んで握手しに来たのも変だって思ってた」
つまり、彼らは僕が星主にならない決断をするようよう仕向けたかったわけだ。
確かに彼らからしてみれば、僕はあの世界では全能であり、少々の問題はあるけど、この現実世界よりずっといいだろうと思うのは当然だろう。
「そうじゃなくて」
「?」
「それに気づいていて、どうしてこの世に戻ってきたの?」
「僕のことは君たちがよく知っていると思うけど」
でも彼女の顔は曇ったままだ。
「あの星のご飯はまずい。正直、こんな星いたくなんてないと思った。本人が思ったならみんなもそう思って当然だと思う」
彼女は息を吐く。
「お礼は言いませんよ」
僕はうなづく。彼女もまた僕の不運の被害者だったのだ。
「おいしいごはん、食べてみる?」
そう誘ってみた。
「また今度」
オーケーなのかはわからないけど、次はあるみたいだ。
今度こそ彼女は背中を向ける。
そうしてそのまま振り向かず、出口の方へ歩いていく。
ちょっと待って。
その背中をそう呼び止めたくなった。もっと話したい。けど、まだ大きな声が出せない。
どうしたらいい。
「あのな」
と、義兄が口を挟んでくる。
いや、今、話しかけるところじゃないと思うんだけど。
義兄にしてはタイミングが悪い。
そうこうしているうちに彼女がドアを開ける。
「あの子を呼び止めて」
僕はとっさにそう言う。
「きゃっ」
彼女が声を上げたと同時に一瞬の強い光。
開いたドアに、カメラを構えた男が立っている。
彼はレンズを棺桶から身体を起こした僕に向ける。シャッターの連射音。
まぶしい。
その間に彼女はするりと身を屈め、男の横をするりと抜け出ていった。
義兄が走って行って、手でカメラに蓋をする。そのまま男を外へ押していき、ドアを閉める。
なんだ、これ。
「俺は黙ってたんだが、お前の姉貴がな」
ドアを背中で抑えながら兄が言う。
「あいつはなんだか分からないくせに、俺たちが興奮しているものだから、うっかり友だちに言っちまったんだよ。宇宙ガムが当たったって」
え?
「せめてネットで調べるかしてもらいたかったよな。で、そんな大ニュースのあとで、宇宙ガムが当たった当人が死んだなんてことになっちまっただろ」
ドンドン! ドンドン!
ドアが叩かれている。
義兄が親指で後ろを示す。
「それだけでこうなってだな」
「はい」
「で、今その当人が生き返ったわけだ。うおっ」
弾かれたようにドアが開かれ、吹っ飛ぶ義兄。
雪崩を打って、カメラを構えた見知らぬ大人たちが踏み込んでくる。宣教師みたいな人もいる。あとそれから、白衣を着た人。おそらく医者、科学者かもしれない。お坊さんも何人か。親戚一同。義兄の友だちだろう。テレビや動画で見る人たちもいる。
フラッシュに次ぐフラッシュ。
目の前は真っ白だ。
星に帰れないかな。
なんて思いが一瞬よぎる。




