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宇宙ガム  作者: 森の手
4/5

4、ソフィア

 「君の名前は?」


 僕は話を変える。ずっと聞きたいことでもあった。紹介のときに名乗られた覚えがない。

  彼女だけではない。

  執事長も料理長も、それからさっき紹介された王子だとか将軍だとか。とにかく、全員から名乗られたことがないのだ。

 星井星くらいだろう。でもこれは明らかに偽名だ。


「私たちには、名前がないのです」


 僕の手を握る彼女の手に、また違った力がこもる。


「この儀式を終え、あなた様が正式に星主になったとき、我々には名前が与えられるのだそうです。名前と、それから私たち自身が見る本物の夢も」


 かなり握る力が強い。


「と、トイレってどこかな?」


「それは、会場の正面の両隅にあります」


 確かに、僕の彫像がある壁の両端にそれぞれ入り口がある。左端が男性で、右端が女性とのことだ。


「ご案内しましょうか?」


「いえ、まだ大丈夫」


 眠気の限界までじっと我慢して、その上でトイレの個室に入って倒れるように眠る必要がある。

 それ以外に道はなさそうだ。

 そんなシミュレーションをしていると、握られていた手がゆっくりと引っ張られた。

 彼女は、胸のところに僕の手を引き寄せた。


「できれば、私の名前は、あなた様が直接お与えになってくれませんか」


 ゲームのキャラじゃないんだから。

 だが断れるような雰囲気ではなかった。

 それに彼女のこれまでの人生を思うと、僕が拒んだりはできないだろう。


「ソフィア」


 僕の中で、彼女に似合いそうな名前といったらとっさにそれくらいしか思い浮かばなかった。

 彼女、いやソフィアは雷に撃たれたようにハッと天を仰いだ。

 そのまましばらく動かなかった。


 再びこちらを見た彼女は何とも言えない優しげな表情を浮かべ、僕の手を胸に抱きしめる。

 彼女は泣いていた。


 ステージ上では星井星が、道で倒れていた老人を見つけた僕が、呼んだ救急車にはねられた話をしている。


 多分この三日三晩というのは、僕の身体が火葬されるまでの時間のことなのだろう。

 それまでこうやってずっと釘付けにしておくつもりなのだ。

 僕の身体はすでに第三者に見つかったのだろう。まあ家にいたのだから、きっと母だ。

 そうして救急車で運ばれるかなんかして死亡が認められ、葬式の日取りまで決まった。

 最悪のシナリオの一歩か二歩手前というところだ。

 だがそれでかえって腹が据わったみたいだ。


 ソフィアは、自分の椅子を僕のすぐ隣に持ってきた。そして嬉々として目の前に並ぶ料理の説明をしてくれた。


「一口、いかがです?」


 でも僕はそれを口にしない。結局水も一切口にしなかった。喉はカラカラだった。

  段々と鼻がきくようになってきた。

 もしかしたらここの空気を吸っているせいかもしれない。


  料理の香りは、どんなに気を付けても鼻に入り込んできた。

  肉や魚、それから魚介スープ!

  不意に鼻の奥へ香りが入ると、くっと喉が動く。乾いているためか、かすかに痛い。

  死人なんだからその辺の融通はつきそうなものなのだけど、細胞がもうどうしようもなく食物を求めている。


 僕はこれまで無人島に流されたり、雪山で遭難したこともある。飢餓状態も何度かなった。

 でもごちそうを前に、それを食べないというシチュエーションは初めてだった。


「どうしてお食べにならないのです?」


 ソフィアが尋ねる。


「安心してください。毒などは入っておりませんよ」


 などと言いながら、彼女はわざと僕に見えるようにコクリと水を飲む。


 ゴク


 と、僕の喉も鳴る。痛い。

 それを彼女が見逃さない。


「もちろん、あなた様が何もお食べにならないかも知れないとは聞き及んでおりました。この世界から抜け出そうとお考え中であることも」


 動揺を誤魔化すために手前のコップを手に取る。でも慌ててそれを引っ込める。


「あなた様はとても鋭いお方です。ここの食べ物を食べると、星との結びつきを強めるのは本当です」


 そう言って彼女は僕の目の前に、さっき飲みかけたコップを置いた。


「だから、生かされるとも言えます。つまり早々にこの水を身に取り込まなければ、あなた様は遠からず消えます」


 僕はさり気なく自分の手を見る。透けたりとかはしていない。


「消えればどうなるの?」


「分かりません。そのまま死んでしまうのだとおもいます。ここにはいられません。普通の世界ではないですから。今あなた様は、ガムを食べたわずかなエネルギーの力でここに留まれているに過ぎないのです」


「君は何が言いたいの?」


「それは最後の手段にした方がよい、ということです」


「それというのは?」


「死ぬことや消えることです」


 少なくとも彼女は自分の言葉で僕に語り掛けてくれたのは分かった。

 でもだからといって、彼女がこの星の全貌を知っているというわけでもないだろう。

 僕はコップを手に取る。

  一瞬、彼女の目が大きく見開かれるのが分かる。でも僕はそれを遠ざける。


「あなた様はこの星の星主様です」


 ソフィアが言う。


「こういう風にこの星に来ていただいたことを不本意に感じているのは分かっております。でも私たち全員は、どんなことがあっても無理やり料理をお口に持っていったりなどは致しません」


「それで僕が死んでも?」


「あなた様の死は、我々全員の死を意味します。しかしみんな星主様のご意志に従います」


「じゃあ、僕が元の世界に戻ったら、君たちは?」


「戻るなんてことはあり得ません」


 会話の流れを断ち切るように彼女はそう言う。

 彼女も知っているのだ。この儀式にどういう意味があるのかを。だからやはり、僕に何かを気づかせまいとしている。


「じゃあ君はどうなの?」


「どう、とは?」


「この暮らしを本当に望んで―――」


 僕はそこで口をつぐんでしまう。僕の不運を夢に見続けながらいつまでも暮らすなんて、そんなのどう考えても嫌だ。


  それで、周囲の様子にハッと気がついた。

  僕らの話をみんなが耳をそばだてて聞いているのだ。

  真空になったみたいな空気だ。


 グラッ


  地面が揺れた。近くにいた給仕が慌ててロウソクやスープの皿を守る。聴衆は微動だにしない。


 彼らだって、何も好きでこうやって暮らしているわけではないのだ。

  そんなの聞くまでもない。

  そして中には、そんな思いのままこの世界で死んだ人だっていたのだ。


 僕はコップを手に取る。

 一気に水を飲み干す。

 うま、

  いや、

  まずい。


 にがい。不運の味だ。

 それでも 喉は潤った。

 僕の曇った顔を見て、ソフィアが笑う。


「ええ、美味しくないです」


「僕は家に帰るよ」


 彼女はなにもこたえない。

 フォークを手に取り、近くのハンバーグを食べてみる。

 これも美味しくない。にがいのだ。想像通りの肉の味はする。でもコールタールのふりかけでもかかっているみたいに、喉元にしつこい苦みが残る。


 一日が過ぎた。

  とりあえず、早くトイレに寝に行かなければ。

 そうは思うものの、眠気は一向にやってこない。

目は冴えている。料理にカフェインでも入っているのか。


  トイレには一度だけ行った。個室でちゃんと水洗式だった。

  そのときわかった。どこかへ行こうと僕が席から立ち上がっただけで大勢の目が集まる。

  しょうがないところもある。夢にも聖書にも出てくる人物が目の前にいるのだから。

  でも監視には違いない。

 ただ、僕が料理に手を伸ばしたことで、明らかに周りの緊張感が和らいだ。

 気を使ってもらっているような感じも受ける。


  ステージ上では相変わらず星井が、僕の汲めども尽きぬ不運の記録を朗読し続けている。

  今は殺人事件の共犯者に間違われた話だ。


  ただ、これがそんなに嫌ではない。

  僕がどんな失態を犯しても、周りの彼らはうんうんと我がことのようにうなづいてくれる。

  不快を露わにしたり、汚い言葉や、睨みつけられたりするようなこともなかった。みんな僕の話に我が事のように一体になっている。

  中にはトラウマになっていることもあった。

  それをこんな形で大勢で共有すると、霞が晴れるように心がすっきりしてくることも少なくはなかった。


 テーブルにはどんどん次々新しい苦い料理が運ばれてくる。

  休んでいる者もいれば、忙しなく口を動かしている者もいる。それでも全員が星井の話に耳を傾け、うなづいている。

「星主様が森の中で拾った鉈が殺人事件の凶器だったときは、思わず私も肝を冷やしましたよ」なんて、僕の近くで仲間と盛り上がっている人もいる。


 ソフィアはハンカチを手に泣いている。

 犯人か関係者にしか見つからないよう隠した凶器を見つけた僕が、何故無罪になったのか。

  警察に問われたとき、そこまでの行動を録画しておいたのを証拠として見せたのだ。

 そうして見事逮捕を回避した周到さに感動しているらしい。たぶん。


 何か身の回りで変わったことがあると、常に何らかの記録を残しておくのが日頃の癖なのだ。

 自分が死んだときの保険だってかけてある。


 確かにそういう目で見ると、星井が話す僕の物語は、何かしら見えない魔の手から知恵を絞って逃げるような要素もある。

 教訓めいたものも引き出せるとこもないではない。とくに子どもなんかは純粋に楽しめるのかも知れない。


 さらに半日が過ぎ去った。

 その頃から、客の中には机に突っ伏し眠る者が出始めた。

 子供たちなんて特にそうだ。つなげた椅子に寝ていたけど、今では大半が床に転がっている。

 眠れないんじゃなかったっけ?

 もちろん僕もそうやりたくなってくる。

 というかしてもいいのではないのか?

 それにちょっと眠くなってきたりもしていた。


 ……少しだけなら。


「いけません」


 ゆっくり立ち上がりかけたとき、すぐに何かを察したソフィアが僕の手首をつかんでそう言った。


「だめなんです」


 言いながら椅子に引き戻そうとしてくる。


「どうして?」


「残念ですけど、あなた様が眠るのは、この儀式が終ったあとです」


「つまり、僕の身体が燃えたあと、ということだね」


 彼女は何も言わず、僕を綺麗な瞳でじっと見ている。


「どうしてソフィアは僕の奥さんに選ばれたの?」


 そう話を変える。ちょっと気になっていたことでもあった。王族たちの子供の中から選ばれてもいいはずなのに。

 彼女の両親だって、僕は紹介されていない。たぶんそういうのは変なことだと思う。


「それは、私があなた様と同じ日、そしてまったく同じ時間に生まれたからでございます。そしてそれは、この星があなた様を次の星主とお決めになった日でもあります」


 この星の人たちは、血筋などよりそんな運命を大事にしたらしい。


「ご両親は?」


 ちょっとだけ言いよどんだが、彼女は話してくれた。


「まだ生きているんです。外の世界で」


 なるほど。


「私たちは移民と言われています」


 現世で死んで、この世界に迷い込んできた人ということだ。


「ただ、この世界でもちゃんと子供は授かります」


 それが王族たちということだ。


「あなた様が現れるまで、この星は王族たちが支配していました」


 僕の出現と同時に、この星の勢力図が一遍してしまったらしい。


「教会は大喜びです」


「どうして?」


「教会が移民のお世話を受け持つんです。あなた様も移民ですから」


 つまりもしどこかの国が勝っていれば、僕はここでこうしていなかったということだ。


「その」


 僕はソフィアに言う。


「なんでしょう」


「僕のことを『あなた様』っていうのはちょっと恥ずかしいんだけど」


 ちょっと前から気になっていた。


「では星主様、でしょうか?」


「名前で呼んでもらえると助かる」


「そんな、滅相もありません」


「でもソフィアは、僕のお嫁さんになるんでしょ」


 と、ついそう言ってしまった。

  彼女の顔がさっと赤らむ。

 僕もさっきまでの眠気や疲れが吹っ飛んでしまう。

  それで、ちょっと押し問答のすえ、結局こういう私的な会話のときだけ、僕は彼女に自分の名前で呼んでもらうということに落ち着いた。


「では、お聞かせください」


 彼女は椅子ごと僕に向き合い、居住まいを正す。

 僕もそれにならう。

 僕は自分の名前を彼女に伝える。


 ?

 ??

 ??????!!


 なんだ。


 出ない。


 自分の名前だぞ。


 ソフィアは身じろぎせず、まっすぐ僕を見ている。

 でも、だめだ。

 まったく思い出せない。

 喉元まで出かかっているというような気配すらない。


「やはり、そうなんですか」


 と、しばらくして彼女は言った。


「分からないのですね」


 僕は弱弱しくうなづく。


「私もそうだったんです」


 そのとき、一つの予感が頭に生まれる。

 もしかしたら、僕は自分の名前を言うことができたら、元の世界に戻れるのではないか。

 夢を見たら戻れるなんてことは誰も言っていないのだ。


 すると次の疑問。


 じゃあなんで僕一人だけ、眠ることが許されないのだろう。


 可能性としては二つある。一つは名前ではなく、それが本当に戻れる手段だから。

 そしてもう一つ。そう思わせたほうが時間稼ぎになる。


 星井たちは僕がどんな考えや行動を取るか、予測を何通りも立てていたに違いない。

 眠れば帰れるなんて僕が思いつくことも、容易に想像できる。

 そしたらそれを本当らしくするために、眠ることを禁止しておく。すると僕はさらに躍起になって眠ろうとする。

 

 彼らの目的はただ一つ。三日三晩、僕をこの星に留めることなのだから。




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