エピローグ
1991年、大和、武蔵、信濃、伊豆は米戦艦モンタナ、フロリダ、ミズーリ、ウィスコンシンと並んでクウェートに侵攻したイラク軍を撃破すべく湾岸戦争に参戦、イラク陸軍は8隻の巨大戦艦が並んだ姿を見て大統領親衛隊含むほとんどの部隊が白旗を掲げ、戦争の終結に一役買ったが、一方で不況が続く国内においては日米ともにこれら戦艦の維持に対する批判がなされ、伊豆の退役を皮切りに日米10隻の戦時設計型戦艦は次々と現役を退き、割かし新しい原子力戦艦扶桑、三笠とデラウェア、ロードアイランドのみが現役に残る事となったのである。
むろん、ソ連崩壊に伴いロシアはモスクワ級原子力戦艦を全て退役させ、栄光を誇ったソ連の最強戦艦群は浮かぶ鉄くずへ変わってしまったが、イワノフ・シャロフスキー大統領が2002年に就任した際にモスクワをロシアと名を変えて、レニングラードを彼の出身地で現在の名であるサンクトペテルブルグに名を変えて復活させるがそれも日韓戦争編に出て来ると思われる。
1996年2月1日
この日、東京は快晴と言わんばかりに青く晴れ渡っていた。
そして羽田空港の上空を3機のF-15戦闘機が通り過ぎ様とした瞬間、1機が急上昇していく。
これはミッシング・マン・フォーメーション(※1)と言い、戦死者に敬意を払うモノだ。
東京湾では原子力戦艦扶桑や新鋭イージス巡洋艦金剛や汎用巡洋艦村雨を始めとした多くの艦艇から弔鐘が鳴り響き、陸海軍の儀仗兵がそれぞれ弔砲を三八歩兵銃改良型の儀礼銃を用いて放つ。
F-15は羽田空港の展望デッキから見える様に上昇し、やがて同空港へ降り立った。
この日は日ソ戦争終結から約半世紀たった日で、ロシア軍もこの式典へ招待されていた。
三沢経由で到着したロシアのSu-27戦闘機は日本のF-15の誘導を受けて羽田へ着陸し、更に津軽海峡を抜けて到着した同巡洋艦ワリヤーグは日米豪に英独仏、南東中華国や南西中華国の艦艇と共に羽田沖に停泊したのである。
日露両空軍機が集合すると再び戦死者を弔い、長きに渡る両国間の友好を願うべく、ミッシング・マン・フォーメーシン(※1)を実施した。
いつもなら国防軍週間に合わせて実施される羽田エアショーにより一時的に旅客機の発着枠が減るが、今年はロシア軍機及び米仏軍の試作機(※)の飛来もあって非常に大規模なものであり空港は発着を取り止め、エアショーのみとなっていた。
式典週間が終わると小松基地所属の3機のF-15は同数のSu-27を佐渡島まで随伴と称する監視を行いつつ、同地上空で別れたのである。互いの安全なフライトを願いつつ。そしてワリヤーグも駆逐艦朝霧、海霧と共に津軽海峡を抜け、そこで互いの無事を願いつつも、名残惜しく別れたのである。
その10年後、日ソ戦争から半世紀以上たった日本に、今度も隣国が原因で再び戦火に覆われる日が訪れたのである………
※1 ミッシング・マン・フォーメーション
3~4機で構成された編隊の内、1機が急上昇し、上空へと去っていくフォーメーションの事で、Wikipediaや各種航空雑誌の記事によると、その際に去っていく機体は戦死者の魂を指す。
参考までに隕石を破壊しに行く某米映画の最後のシーンでサンダーバーズに所属するF-16戦闘機が1機、他の方向へ飛んでいくのにご留意いただきたい。
※2 ロシアと米仏の試作機
ロシア軍試作機
Mi-35強襲ヘリ+Ka-50攻撃ヘリをAN-224で輸送。
米国試作機
F/A-18Eの及びF-22のプロトタイプ。
仏国試作機
欧州戦闘機ラファルMoD2型(艦載モデル)