外伝2
紫陽花型DDがダナン沖合で戦います
1973年2月3日
ダナン沖合
駆逐艦紫陽花は太平洋相互防衛機構軍の要請を受け、3隻の同型艦を率いてこのダナンで苦戦する米豪両地上軍の撤退を支援していた。
紫陽花戦闘指揮所
「こちら砲雷長、レーダーに複数の魚雷艇が表示されている!先制攻撃の許可を願いたい!」
『艦長より砲雷長、先制攻撃を許可する』
「了解、これよりレーダー照準装置による射撃準備を行う!」
砲雷長がそう言うと前後甲板の計2基の12.7㌢Mk-42速射砲が進行方向から10時の方角へ旋回して仰角を上げて、射撃態勢を整える。
そして1分後、主砲は傲全と火を噴き、 砲口径に対して54倍の長さを持つ砲身から射出された徹甲弾が目標へと飛翔する。
「目標!進路を変更しました」
砲術員がそう言うと砲雷長はすぐに12時の方角へ主砲を向かい、レーダー射撃装置もそれに追随して、その方角に向けられる。
「撃てぇええー!」
砲雷長がそう言うと前方の主砲が火を噴き、魚雷艇の進路は再び遠ざかったが、突如として対空レーダーに航空目標の表示され、CICに緊張が走る。
「目標判別完了、MiG-19戦闘機だ!対空戦闘急げ」砲雷長がそう言うと受話器を片手にシースパローミサイル管制室へ電話を繋ぎ、スコープに表示された情報を元に管制員に対して様々な指示をし、射撃準備をする。
この頃のシースパローは弾体は空中発射型と同じで、航空機からに比べ低速な艦上発射は加速性が低い上、発射機はも形の簡易発射機であり、射撃統制も搭載機用の照射装置をそのまま手動で旋回させる人力管制にしたもので厄介な代物であった。
そして発射命令が下ると箱形発射機からミサイルが飛翔し、目標に向けて飛翔していく。
『こちら射撃管制班。レーダーには異常ありません』そう有人式誘導装置の装置運用長が無線で伝えると「了解。そのままその方角へ向け照射を続けよ」と砲雷長が言うと『了解』と運用長が続き、ミサイル誘導電波が照射され続ける。
そして管制室運用長は戦闘指揮所と同じ様に設置された機器であるF-4用のテレスコープをのぞき、電波の照射角度などを調整する。
そしてその数秒後、ミサイルと目標は衝突したのである。
だが撃墜は1機のみで依然として残り5機はこちらへ接近し続け、最終的に米海軍のアレン・M・サムナー級駆逐艦に対地制圧用のロケットが命中。同艦は大きく燃え上がり、傾斜する。
そして警戒中の我がフリゲート艦萱にもロケットが炸裂。艦橋を破壊され、漂流していく。
本艦や米豪のミサイル駆逐艦も危うく被弾しそうになるが、何とかこれを至近弾で回避する。
そして揚陸艦も被弾するも、母体が欧州大戦中に米国が対独や最悪我が国との戦闘も考慮した正規空母エセックス級空母だったので被害は軽微で済んだが。
数日後、3ヶ国合同軍の兵を収容中の米揚陸艦レキシントンを援護すべく日本の戦艦大和、多目的重巡愛宕及び軽巡四万十、米戦艦ニュージャージー、重巡デ・モイン、ミサイル重巡ボストンが艦砲射撃を実施し、陸で退却支援中の日米豪軍の兵士を勇気付け、収容中の兵士を安堵させた。
無論、この紫陽花と豪ミサイル駆逐艦シドニーも砲撃に加わる。
そして上空のヘリは村に向かい、大和に乗ってきた我が軍の医療班と海兵隊一個分隊が現地民へも医療を提供し、軟硬両用戦術によりベトコンの隠れ場所を探り当て、米陸軍と共に一時的にダナンの奪還と同地の米国人技術者の脱出に尽力した。
日米豪軍の援軍の支援で比島へ退却した孤立していた南ベトナム中流の日米豪軍は態勢を立て直しサイゴン防衛作戦を練り始めていた。
だが、史実通り、ソ連の強大な支援を受けたハノイ政権軍の猛攻の前に3か国軍と南ベトナム軍による乾坤一擲の作戦であった”ストーム・ハリケーン作戦”ことサイゴン防衛作戦に失敗。1975年7月1日南政府崩壊に伴いベトナム戦争は終了したが、この時も紫陽花は駐南越大使を救助する対潜空母蒼龍を支援すべく撤退作戦に参加、大使含む大使館職員及び在留邦人の救助に成功したのである。
帝国はこの戦争で国防3軍と海兵隊、国境警備局を派遣、陸で3451名、海で98名、空で71名、海上警備局27名の戦死者を出し、67機の航空機と23台の車両。1隻のフリゲートを喪失し、更に駆逐艦紫陽花が中破の被害を蒙っている。
因みに駆逐艦紫陽花の損傷はサイゴン脱出作戦時に後部主砲塔へRPG-7が命中し、砲塔が大きく破壊されて5名が死傷するも、それに屈せず前部砲塔による射撃は続き、それにより米国人や豪州人、そして日本人が自分たちの国に帰国する事が出来たのである。後年、これは米海軍太平洋艦隊の司令部に大きく称えられ、勇敢なシーマンたちだと称され、ベトコン軍も敵ながらその敢闘精神を大きく称えた。




