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39話

怒濤の新型艦艇登場

1958年4月29日

横須賀港

この日、最後の砲搭載防空駆逐艦である紫陽花型駆逐艦の後継艦として酒匂型の船体を母体に米国製のターターミサイルを搭載したミサイル巡洋艦天津風が就役し、利根型航空重巡にテリア搭載改修を施したミサイル航巡利根が再就役したのである。

「総員乗艦開始!!」

天津風の艦長である檜村健大佐がそう言うとラッパの音が鳴り響く中、整列していた多数の水兵が乗り込み始めた。

それと同時に向こうの岸壁に停泊していたヘリ巡利根でも水兵たちが乗艦を始めていたが、同時に横須賀の上空では6式垂直離着陸機とその後継機である57式対潜ヘリが飛び回り、天津風の就役と利根の再就役を祝福していた。

それはさておき、今回就役した天津風はミサイル以外にも米国製の最新鋭艦砲である12.7㌢砲Mk-42型や短魚雷発射管、ASROC発射装置を備えた嚮導駆逐艦と公表されたものの事実上は装甲を有しており、軽巡洋艦と言えた。

一方、利根は1番砲塔の20.3㌢55口径砲1基と1、2番魚雷発射管2基を残して主砲及び高角砲、魚雷発射管を全て取り外し、主砲の後ろにテリア兼ASROC用の連装発射機とその弾薬庫を備え、旧高角砲台には新たに長10㌢砲を単装化し、発射速度を向上させた長10㌢速射砲を装備していた。他にもマスト上部のレーダーなどを取っ払い、3次元レーダーを最上部に装備し、更にその上にTACANと呼ばれる航空機誘導アンテナを装備し、煙突の後方にあった戦後にフルフラット化された飛行甲板上に増設されたヘリ格納庫を新調して更に搭載能力を向上させていた。

そしてそのヘリ格納庫の上に棒状のマストが装備され、その上には長距離探知用に新開発された45号レーダーが装備されていた。

この改修は筑摩にも施され、一方では大淀にもヘリ搭載施設増設および2基の15.5㌢砲撤去とその部分への長射程誘導弾タロスの搭載がなされ、旧10㌢高角砲部に米国製の12.7㌢砲Mk-33が装備されていた。


他にも帝国海軍は戦艦信濃に対してターターミサイル及び12.7㌢速射砲Mk-42の搭載を行い、6年タームで現役→保管→即応予備→現役を繰り返す中で全大和型戦艦への搭載を画策していた。

そして蒼龍に続いて飛龍及び雲竜型の対潜空母化も終わり、翔鶴型空母と共にしばらくは洋上航空戦力の支える事が可能になり、その戦力の中枢たる琉球型も小改修を施し、第一線に配置されていた。

一方、水上機母艦は日進が試験艦へ、前級の千歳型は機雷敷設及び掃海母艦へ改修され、陰ながら日本の海防を支えていた。


それはともかく、1962年11月、遂にインドシナ半島で、独ソ及び日ソ戦以来の長く激しい死闘への入り口となる戦火が上がるのであった


そしてそれはカンボジアとタイの国境紛争では無く、タイ駐屯の米軍艦艇が南ベトナム親善訪問後、北ベトナムに対する哨戒を実施していた際に発生した北越軍魚雷艇による駆逐艦マドックスに対する魚雷攻撃で幕を開けたのである。


発生した年次こそ違うものの後にトンキン湾事件と名付けられたこの攻撃でマドックスは史実と異なり大破し、隣にいたギアリングも大きな被害を蒙ったのである。

ハワイ、太平洋艦隊司令部

「………そうか、わかった。いますぐ大統領に連絡と許可を取る」

電話先の東京駐在の海軍武官からの報告を聞いた太平洋司令長官のウォルソン大将がそう言うと、すぐに彼は部下に大統領へ連絡するように命じたのである。


そして1963年1月、インドシナ大戦の幕が切って落とされたのである。

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