その9
どれほどの時が流れたであろうか。
実のところはそれほど長い時間ではなかったのかもしれない。
しかし対峙する二人にとっては一分が十倍の長さにも感じられただろうか。
剣と牙が噛みあい、ソアックの爪がロウを掠めれば、
ロウの剣がソアックに浅手を負わせる。
お互い致命傷には程遠い、浅い傷ばかりが増えていった。
この遅い展開を望んだのはロウであった。
浅いキズであればロウは意に介さない。それはソアックも同じであっただろうが、
ロウの剣には龍殺しの液体が塗りこめてある。
いくらキズが浅かろうと、そこから液体が浸透する度に、傷口を抉るような痛みがソアックを襲う。
時間が経てば経つほどに戦況はロウに傾く。
そのことはソアックも解ってはいたが、勝負を決めようと大振りになったところに、後の先を取ったロウの剣撃が滑りこんで来る。
自らの攻めにより戦局をコントロールし、硬直させる。その為に取られた、ロウの上段構えであった。
ソアックは考えていた。
(このままでは私は倒されてしまうかもしれない。もし私が倒されたとして、残された姫は……
そして世の中から棄てられた同志たちはどうなるというのだ……?)
ロウは考えていた。
(このまま戦えば勝つのは俺だ。しかしこいつを倒したとして、王女様にかけられた催眠術をどう解いたものか。
もしこいつ自身が術者だとしたら……こいつをこのまま殺してしまうのは少しまずいかもしれない)
ロウは戦いの前こそ激昂していたが、身体から流れる血と、薄い痛みとが彼に冷静さを取り戻させていた。
ロウは聞いたことがあった。洗脳術・催眠術の類は、かけた術者でないと解けない種類のものがあり、
それを術者が解く前に死んでしまったりすると、解くのが非常に難しくなってしまう種類のもある、という話であった。
もちろん術者を殺せば解けるような術もあったが、それは外から判別出来ることではなかった。
ロウは、「解くのが非常に難しい」術であることを危惧したのである。
「おい、竜。王女様の催眠を解け。そうすれば貴様の命だけは助けてやる」
ソアックは意表を突かれた。
かけてもいない催眠を解け、と言われたのだ。
そんなことは出来るはずが無い。ソアックが口を開こうとすると、ロウが続けて言った。
「催眠を解かぬというのであれば、貴様を動けなくした後、ここの異形共を一匹ずつ尋問する。
手を落とし、足を落とし、ずっとだ。俺は、王女様のためなら、なんだってする」
ソアックは、
(自分たちが姫に催眠をかけた)
とロウが思い込んでいる、と気付いた。
(かけてもいないものは解けぬ。しかし狂乱したこの男は、同志たちをも傷付けようとしている……どうすれば良いのだ!?)
その時であった。
戦場に、影が一つ舞い降りた。
先ほどロウが切り捨てたゴンザと種族を同じくする、アーリマンである。
その大きな瞳は血走り、憎しみの色を湛えていた。
「ソアック様……あっしの弟が……ゴンザが殺られやした。やりゃあがったのはおそらく……その野郎で!!」
「何!? ゴンザが!? 姫様のよき友であり、我等の家族だというのに……!」
自らに憎しみを向ける異形二つを前に、ロウは不敵に笑った。
「王女様をさらった異形共の分際で王女様の庇護を語る愚か者を成敗しただけだ。
嘘で塗り固められた偽物の愛にまみれて、何を語るか!!」
「て前ぇが弟をっ!!」
「よせ、サンザ!」
サンザと呼ばれたアーリマンは怒りに任せてロウに襲いかかった。
しかし、ロウは冷静にその動きを見切ると、襲い来るサンザの足を掴み取り、
地面に叩きつけ、こう言った。
「お前、姫様に催眠術をかけたか?」
「……っ、はぁ? 何をわけのわからねぇことを言いやが」
言葉は途中までしか発せられなかった。
ロウは、サンザが術に関係ないと見切ると、即座にその瞳へと剣を突き立てた。
血飛沫が舞う。
ソアックは怒りに打ち震え、アン・トレールは両手で顔を覆った。
そして少しして、アン・トレールの嗚咽が場を包んだ。
止めをさしたことを確認したロウは剣を引き抜き、
新たに龍殺しの液体を刀身に塗りつけた。
「お前が催眠術を解くまで、異形を殺す。
お前がかけたのでなければ、術者にあたるまで異形を殺す。
よしんば貴様らが最後まで催眠術を解かなかったとしても、俺は解く方法を探すまで旅を続ける。
南の方はそういった黒の術法が盛んだと聞くしな……そもそも、真実が偽物に負けるはずはない。
つまり術が解けないはずはないのだ。しかし、解くまでに時間がかかってしまえば、それは王女様にとって良いこととは言えん。
さあ、どうする? 竜よ。解くか、死ぬか」




