その10
怒りに震えるソアック。
剣を突きつけ、問いかけるロウ。
ソアックがロウに向かって襲いかかろうとしたその時。
「ソアック……私の術を解いてください」
思わぬ声がかかり、二人の動きが止まる。
何を言っているんだ、という表情を浮かべるソアック。
「姫……一体何を」
「もう一度言います……ソアック、私にかかっている術を、解いてください」
アン・トレールは、ソアックに一瞬だけ目配せをして、言った。
「剣士よ、あなたの目的は私を連れ帰ることでしょう? ならば、私は帰ります。それで終わりにして下さい。
これ以上、この山のものを傷付けないで下さい。そう約束していただけるのでしたら、私がソアックを説得します」
ロウは一瞬考えるそぶりを見せると、構えを解かないまま後退する。
「もとより、俺の目的は王女様だけです。竜や異形らを殺すのが目的ではありません。
それに、そこの竜も、その翼では二度と悪さは出来ないでしょうから」
「それならば良いのです。さあ、ソアック、こちらへ」
ソアックはロウを警戒しながらアン・トレールに近づく。
二人はロウに聞こえないように小声で話し始めた。
「私は必ず帰ります……いまは彼を……」
「ですが……危険では……」
「しかし……このままではあなたや皆が……」
「我等……姫様の為なら死など……」
「やめてソアック。私は……!」
「それ以上はいけません。あなたは“我等”の姫なのです」
「……そうね。ごめんなさい。でも、“あなたたち”がいなくなったら、私は」
「……わかりました。仕方ありません……」
すると、ソアックは竜から人へと変身した。
ロウの三倍はあったかと思われた体躯は、みるみるうちに人の大きさへと縮んでいった。
「わかった……姫様の術を解く。そうしたら……姫様を連れて……帰れ!!」
その言葉を聞いたロウは、大きく頷き、刀身を一拭いすると、鞘に収めた。
「うむ。それで良い。本来貴様の罪は死んでも償えるものではないが、
真実の加護と我が名において貴様を赦そう。その翼と腕で償ったことにしてやる」
馬鹿め、とソアックが呟いたが、それはロウに聞こえることは無かった。
「それでは始めます……姫、こちらへ」
そう言うとソアックは足元に文字を書き始めた。
古い言葉であろうか、内容は読み取れない。
文字を書き終わると、その上に血液を垂らしていく。
一言二言ソアックが呟くと、弾けるような音を立てて血液がかき消えた。
すると、文字の周りの地面が血液の色に染まっていた。
「それでは……目を閉じて下さい……っ!」
アン・トレールは首元と背に手を回し、そっとソアックと唇で触れる。
それは一瞬であっただろうか……。
「すぐ、戻ります、ソアック」
「お待ちしております、姫」
言葉が漏れる。
ロウには聞こえないように、僅かな吐息に乗せただけの言葉が。
その様子を見ていたロウが叫ぶ。
「貴様! 竜の分際で、けがれ無き王女様と何をしている!!」
アン・トレールは冷たい視線をロウに向け、吐き捨てるように言う。
「ただの、儀式です。さあ、ソアック、続きを」
身体を文字の上に横たえると、目を閉じ、胸の上で手を組む。
ソアックは、ロウには聞き取ることの出来ない言葉を唱え、懐から取り出した白い粉を振りまく。
その粉は輝き、アン・トレールを包み込む。
ソアックはロウに向き直って言った。
「これで終わりだ……少しすれば目を覚ますだろう。
そうしたら連れて行くが良い。もう貴様の顔は……見たくない」
言って、ソアックは腕をかばいながら扉の向こうへと消えて行った。
ロウはこれ以上ない達成感を全身で味わっていた。
十八年間探し続けた人が目の前にいるのである。
ロウには目を覚ますまでの時間が永遠にも思えた。
初めて城から旅立った日のこと。
凶暴なけものと戦った日のこと。
自然の脅威に打ち負かされそうになった日のこと。
月に映る竜を見つけた日のこと。
今までの十八年間を、思い出していた。
そして、ついにその時は訪れる。
アン・トレールは、ゆっくりと目を開けた。
「助けていただいてありがとうございます、ロウ」
夢にまで見た一言を耳に出来たロウの両眼から、
全ての感情の入り混じった涙が溢れた。
それはとどまることを知らず、体中の水分が流れ尽くしてしまうのではないか……
と思えるほどの量であった。
ロウは両手で顔を覆い、泣いた。ただ泣いた。
言いたいことは言い切れないほどあった。
しかしそれを言葉として伝えることが今のロウには出来なかった。
ただ泣き、ただ叫んだ。
「私は……!! ずっと……!!」
そういった断片的な言葉しか伝えることは出来なかった。
しかし、アン・トレールはそんなロウを見つめ、優しく言った。
「言わずとも解っております。催眠術にかかっている間のことは、覚えております。
ありがとう、ロウ。さあ、帰りましょう」
ロウは泣きながら笑い、また泣いた。
ひとしきり泣き終わると、照れくさそうに鼻をすすり、言った。
「はい……! 王女様、帰りましょう!! あなたのほんとうの場所へ!!」
「ここの仕組みは解っています。山道への出口があります。
案内しましょう。さあ、こちらです」
アン・トレールは歩き出した。
まるで急いででもいるかのような足取りで。
ロウは慌てて後を追う。その顔には眩しいほどの笑みが浮かんでいた。




