↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
親友に「婚約者を譲って」と言われました。婚約を解消した私に求婚したのは、兄の友人の侯爵様でした  作者: 黒咲かぐら


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/2

第2話 そのお返事は、まだ

 ジュリアンが両親を伴って訪ねてきたのは、三日後だった。


 ロゼッタは父の隣に座り、向かいの三人に挨拶した。


 ジュリアンの母親は、いつもなら笑顔で両手を取ってくれる。今日は目が合うと、深く頭を下げた。


「ロゼッタさん。本当に、申し訳ありません」


 息子より先に謝られ、用意していた言葉を失った。


 子爵が膝に置いた手を握る。


「息子から話を聞きました。ですが、こちらに都合のよい説明になっているかもしれません。ご息女からも、経緯を伺えますか」


 父がロゼッタを見る。


 頷いて、話した。


 二人に呼び出されたこと。リュシーヌと結婚したいと言われたこと。三か月前から二人で会っていたこと。


 誕生日の芝居の話になったところで、子爵夫人が息子を振り向いた。


「あなた、それは言わなかったわね」


「婚約の解消とは、直接関係がないと思って」


「私との約束を断って、リュシーヌをお誘いになったのです」


 ロゼッタが言うと、ジュリアンは口を閉じた。


「私には、関係があります」


 父が卓上の書面を、子爵の前へ滑らせる。


「娘の意思は確認しました。この縁談は解消しましょう。理由についても、認識を揃えておきたい」


「もちろんです」


 子爵が書面に目を落とす。


 ジュリアンが慌てて口を挟んだ。


「ですが、僕たちにも、合わないところがあったんです。最近は会うたびに、約束の話や、いつ来られるのかという話ばかりで」


「来ると言った日に来なかったからでしょう」


 父の声は静かだった。


「君は約束を守ったのかね」


「……事情があった日も、あります」


「では、その事情に別の女性との外出が含まれていたことも、解消の理由として記す。それでよろしいですな」


 最後は子爵に向けられた言葉だった。


 子爵は息子を見ず、頷いた。


「異存ありません」


 贈答品の返却や、両家から親族への連絡についても話が進んだ。すでに手配していた品の取り消しにかかる費用は、子爵家が負担するという。


 父はその場で決められない細部を残し、最後にロゼッタを見た。


「ほかに、伝えておきたいことはあるか」


 ジュリアンもこちらを向く。


 ロゼッタは、二年間を思い返した。


 最初にもらった花も、雨に降られて二人で笑った日も、覚えている。全部が嫌な思い出になったわけではなかった。


 けれど、それを今、この場で話したいとは思わなかった。


「ありません」


 差し出された書面に署名した。


 ジュリアンも、両家の父親も署名する。


 ペンが置かれた音を聞いて、ようやく息が楽になった。


     *


「父上が、あんなに静かに怒るのは久しぶりに見た」


 その夜、兄のマルセルが、居間の隣の椅子に座った。


 話し合いの間は別室に控えていた兄も、経緯は聞いている。


「お兄様が、あちらに行かないか心配だったわ」


「父上に釘を刺されたからな。娘の婚約を解消する日に、息子の不始末まで増やすなと」


 ロゼッタは少し笑った。


 兄はその顔を確かめてから、一通の封書を差し出した。


「ヴィクトルからだ」


 封蝋には、見覚えのある侯爵家の紋章があった。


「私に?」


「面会を申し込みたいそうだ。婚約が正式に解消されたあとで、お前に渡してほしいと預かっていた」


 ヴィクトルは兄の友人で、家の食事にも何度か招かれている。最後に会ったのは、二か月ほど前だ。


 ジュリアンの来訪が急に取りやめになり、家族と彼だけで夕食を取った。


 あの日は気落ちしていたはずなのに、食後に兄と彼が始めた盤上遊戯を見ているうち、ずいぶん笑ったことを覚えている。


「お慰めのお言葉なら、いらないとお伝えして」


「そういう用件ではない」


 兄は妙に慎重な口調だった。


「ただ、お前が今、人に会いたくないなら断っていい。そこは本人からも念を押されている」


 ロゼッタは封を切った。


 短い挨拶と、都合のよい日に話す時間をもらえないかという申し出。返事を急がないことも添えられている。


 最後まで読んでも、用件は分からなかった。


「……お兄様は、何のお話か知っているのね?」


「知っている。だが、俺が先に話すのは違うだろう」


 その返答に、少しだけ嫌な予感がした。


「次の縁談を、もう用意したの?」


 兄はすぐ首を振った。


「俺も父上も、お前を急いで嫁がせるつもりはない。それだけは信じてくれ」


 ロゼッタは兄の顔と手紙を見比べた。


 ヴィクトルなら、会えない相手ではない。


「明後日の午後なら、とお返事を書いてもいい?」


「もちろんだ」


「何だか、お兄様のほうが緊張していらっしゃるみたい」


「そう見えるか」


「ええ」


 兄は答えず、冷めかけたお茶を飲んだ。


     *


 二日後、ヴィクトルは約束の時刻ちょうどに訪ねてきた。


 兄と並んで応接室へ入ってきた彼は、いつもより服装が改まっていた。ロゼッタが挨拶すると、丁寧に礼を返す。


 茶が用意され、扉際に侍女が控える。兄は少し離れた椅子に腰を下ろした。


「お時間をいただき、ありがとうございます」


「こちらこそ。お久しぶりです、ヴィクトル様」


 話しながら、彼の前の茶器を見る。


 砂糖を入れないのは、変わっていなかった。


 その小さな見覚えに、肩の力が少し抜ける。


「今日は、あなたにお伝えしたいことがあって参りました」


「はい」


「私との結婚を、考えていただけないでしょうか」


 ロゼッタは、彼の顔を見た。


 それから兄を見る。


 兄は口を閉じたまま、真面目な顔で頷いた。


「……どなたとの?」


「私との結婚です」


「私が、ですか」


「はい」


 聞き直しても、答えは同じだった。


 侯爵家当主のヴィクトル。独身であることは知っている。母の知人たちが、彼の縁談について話しているのも聞いたことがあった。


 その彼が、なぜここで、自分に。


「兄に、何か頼まれたのではありませんか」


「ロゼッタ」


 兄が困った声を出す。


 ヴィクトルはそちらを一度見た。


「私から頼みました。あなたに面会を申し込むことを、許してほしいと」


「でも、婚約がなくなったばかりです」


「承知しています。時期が早すぎると感じられることも」


 彼はそこで、膝の上の手を組み直した。


「お待ちするべきか、迷いました。ただ、あなたのご両親に別の縁談が持ち込まれてからでは、また申し上げられなくなるかもしれないと思ったのです」


 また、という言葉が引っかかった。


 けれど、それを尋ねる前に、別の疑問が口をついた。


「同情では、ありませんか」


 隣の兄が動きかけたが、ヴィクトルは目を逸らさなかった。


「あなたが傷ついていると聞いて、心配しました。それは確かです」


 否定されると思っていたので、ロゼッタは黙って続きを待った。


「ですが、心配している相手なら、誰にでも結婚を申し込むわけではありません」


 胸が、妙な跳ね方をした。


「……私たち、二人でお話ししたことも、あまりありません」


「ええ。ですから、その機会をいただきたい」


 ヴィクトルが少しだけ身を乗り出す。


「今日、お返事をいただこうとは思っていません。食事でも、散歩でも。あなたが負担に感じない形で、何度か会っていただけませんか」


「お会いしたあと、お断りするかもしれません」


「はい」


「それでも?」


「結婚を決めてから会うのでは、遅いでしょう」


 自然に返されて、ロゼッタは言葉に詰まった。


 断っていい。


 そう言われても、相手は侯爵だ。兄の大切な友人でもある。


 迷っていると、ヴィクトルが続けた。


「マルセルには、断られたからといって妹を困らせるなと、すでに言われています」


「そこまでは言っていない」


「ほぼ同じことを言っただろう」


 兄が咳払いした。


 二人のやり取りに、ロゼッタの口元が緩む。


 ヴィクトルも、ようやく少し笑った。


 その表情を見て気づく。


 緊張しているのは、自分だけではなかった。


「……まずは、お話をするところからでしたら」


「ありがとうございます」


「結婚のお返事では、ありませんよ」


「分かっています」


 彼は嬉しそうだった。


 思わず、こちらまで笑いそうになるほど。


 そこへ、兄が声をかけた。


「では今度、一緒に夕食でもどうだ。母上も喜ぶ」


「お兄様」


 ロゼッタは考えてから言った。


「お天気がよければ、庭のお茶にしませんか。夕食より、気楽にお話しできそうだから」


 ヴィクトルが頷いた。


「ぜひ。いつがよろしいでしょう」


 卓上の小さな暦を引き寄せる。


 次に会う日の相談をするのが、こんなに簡単だったことを、ロゼッタは少し不思議に思った。


 窓の外では庭師が薔薇の枝を整えている。


 あの庭へ、この人と出る。


 まだ結婚など考えられない。


 けれど、次に会う日は晴れてほしいと思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。