七話 陽光の謝儀
「随分と早いお目覚めだな。メグルマ……さん?」
皮肉の聞いた声に、メグルマは不平そうな顔をしている。
「そうかぁ、そうかオーブ! “覚醒”したんだなあ!? ようやくなあ!?」
「口封じに味方を殺すなんて。俺の尊敬した師匠も、甚だダサくなったもんだ」
「ははっ。あれはな、特定のワードを言えば自爆するようにしかけたんだ」
「奴らはそれを知らなかったのか」
「無論だ。知っていたら、誰も喋らんだろう?」
悪びれる様子もない彼の態度に、オーブは辟易した。
「特定のワードってのは、ミルヴィー、ってやつか?」
オーブがその名を口にした瞬間、メグルマの眉間にしわが寄り、笑顔が消えた。
「メグルマ……。何をしようとした?」
「…………」
「俺をどうしようとした?」
「…………」
「答えるつもりはないのか?」
メグルマが、ゆっくりと顔を上げる。
「……オーブ」
低い声だった。
「なんだ、その態度は」
「態度?」
「俺はお前のその舐め腐った態度に疑問を呈している。おい、オーブ。俺を誰か忘れたか?」
メグルマの、鬼のような形相。
オーブはその顔を見た瞬間、過去を想起した。
一度だけ、メグルマにこっぴどく叱られたことがあったのだ。
まだメグルマの弟子になって間もない頃だった。
仕事をしにメグルマの家へ向かっているとき、少女が品狩りに合っている場面に遭遇した。
路地裏から聞こえる怒鳴り声を何事かと思いのぞいてみると、か弱そうな少女一人が、大人の男三人に囲まれているではないか。
(──品狩りか!?)
品狩りは前世を持たない者に対してだけ行われるわけではなく、ただ前世の身分や強さの度合いで、上の者が格下の者にいたぶることもあったり、魔族や魔王軍に属していた者を集団で狙ったりする。
そのときの少女は、前世が魔族の一員だったらしい。
大した、それでいて特別な力は持ってなく、ただ魔族であったからという理由で、少女一人に対して屈強な大人の男三人で、品狩りを行っていたというのだ。
それを見かねたオーブは、無防備な格好で、少女の前に立ちはだかった。
「やめろ」
魔族の少女を庇ったという状況で、オーブも同じ魔族の一員であることを疑われるのも妥当だった。
「お前も魔族か?」
一人の男の発言が、攻撃という名の、袋叩きの合図だった。
物理攻撃。魔術。あらゆる手段、術による攻撃をくらい続けながら、オーブはただ少女を守ることだけに徹底した。
身体が焼け、膝をつきそうになるも、一方的な攻撃を耐え続け、なんとか少女を守りきったのだ。
品狩りとはいえ、命を奪うまで人を攻撃することはない。
気がつけば、男たちは舌打ちをしていた。
「つまんねえな」
「行こうぜ」
オーブがひたすら傷を流すも折れない様子でいるのを面白くないと思った品狩りたちは、足を揃えてどこかへ行ってしまったのだ。
何がそこまで自分を駆り立てのか未だに分かっていないが、守るという選択以外に何をすればいいのか分からなかっただけである。
──無力な者を、一方的に叩きのめす。その非道さは、オーブ自身も身を持って理解していたから。
しかし、どんなことも優しさが正解とは限らない。
メグルマが怒髪天を衝いたのは、その直後に報告した時だった。
──なぜ、勝てもしない相手に立ちはだかるのか。
──格好つけて、無駄な傷を増やしてだれが救われる?
──少女を守りたかったのなら、近くにいる者を呼べばよかっただけだろう、
──見栄を張ってまで、お前の大切な体を汚すな。
オーブは何も言えなかった。
彼の言っていることは正しかった。
自分が傷つけば、それだけで済む話とは限らない。少女も、自分も、死んでいた可能性だってある。
メグルマがオーブの無力さを知っていたからこその説教だった。
オーブはそれにひどく反省したが、同時に自分にあれ以外の選択肢は無かったとも思った。
確かに、無力なくせに人を守るなんて行動は、余計な血を増やすだけなのかもしれない。でも、だからといって少女が殴られるのを黙って見る、もしくは知らないふりをするという行動も、オーブにとっては理解しがたいものであった。
『お前のそれは優しさじゃない、単純なバカだ』
『お前が勝手に死んだら──許さんぞ』
その言葉たちを、何故か今でも鮮明に覚えている。
──。
ゆっくりと現実に目を向ける。
あれからも、オーブは特に変わっていない。
「俺はずっとバカだぜ、なあ師匠」
にやりと笑うオーブに、メグルマは耐え難いものを感じたのか、表情が一変した。
「改錬成──凶刃錬成!」
メグルマが叫んだ。
その瞬間。
地面に散らばったガラス片や金属片が、一瞬にして宙へ舞い上がる。
無数の破片が互いに引き寄せられ、絡み合い、一つの形を作っていく。
巨大な剣。
無数の刃を無理矢理ひとつに束ねたような、歪な剣だった。
「──死ねッ!」
メグルマが腕を振り下ろすと同時に、その剣がオーブへ目掛けて一直線で放たれた。
「…………」
パシンッ。
オーブはそれを、まるで飛んできた虫を払うかのごとく、片手で弾き飛ばしてみせた。
巨大な剣が方向を変えて壁へ突き刺さり、轟音を響かせる。
「なっ…………!?」
メグルマの目が見開かれる。
「俺を守ってくれたのは──」
オーブは静かに口を開く。
「素材として生かすためだったんだな」
「…………っ!」
「……悲しいな、師匠」
その声は怒りというより、ひどく寂しいものを感じさせた。
「……オーブっ!」
メグルマが懐へ手を入れた。
そして。
メグルマの手に握られた刃物の尖端が、ギラリと輝いた。
メグルマは、躊躇なくオーブへと向かってきた。
「……っ!!」
メグルマは刃物を上等に扱う。錬金術師とは思えない手さばきだ。
──しかし。
今は、相手が悪すぎる。
「俺があんたに覚えた尊敬も──」
口から、言葉が溢れる。
「畏怖も」
オーブの声に耳を貸さず、メグルマは刃物を握りしめて駆け寄ってくる。
「信頼も、羨望も」
一歩、また一歩。
「感謝も──」
やがて、オーブの元へたどり着いた。
「全部、無駄だったのか」
オーブはメグルマの攻撃を軽く躱す。
そして、拳がメグルマの顔面へめり込んだ。
「……がああっ!!!」
身体が吹き飛び、床を転がる。
「いや、無駄だったとは思ってない」
自分でも不思議だった。
あれだけ尽くしてくれた偉大なる人物との日々は、全て自分を素材として使うためのプロローグに過ぎなかった。
最大の裏切り、拒絶。
だとしても、過去の感情まで、全部嘘だったことにはしたくなかった。
「あんたがいなけりゃ生活はできなかったし、錬金術に対する向上心も芽生えなかった。俺はとっくに死んでいたかもしれないし。──まあ、どのみち殺されてたんだけどな」
メグルマは地に倒れ、俯いている。何か言いたそうだ。
「俺はな、メグルマ・オーヴィックと戦うことを心の底から望んでいない。それは恐れや不安からではなく、同情心からだ」
魔王として生きた記憶を取り戻し、力を得た。
人を殺すことに躊躇しない自分を知っているはずなのに、目の前のこの男には、なぜか殺意を持てない。
「オーブ……おまえ、一体」
「なあ。ひとつだけ教えてくれよ」
オーブは問いかけた。
「あんたは、“前世を持たない者”を求めて弟子を探していた。俺より前にも、たくさん弟子はいたが、どれも長くは続かなかった。弟子にしては、共に過ごし、見極めていた。“今世が初めての者”。そんな人間は、噂でしか聞いたことがない。あんたはその中で、今回の素材候補──俺を、如何にして見込んだ?」
メグルマは黙っている。
「俺の何を見て、素材にできると思った? ただ、前世自認覚醒が遅い者を無作為に選んだだけなのか?」
メグルマは、口を開かない。
答えるつもりがないわけでもなさそうだ。
その証拠に、唇がわずかに震えている。
「お前も、本当に『ミルヴィー』の一員なのか?」
「…………」
「あの日、抜け殻だった俺を──」
オーブの声が僅かに震える。
「国の一流錬金術師として……救ってくれたんじゃないのか?」
長い沈黙。
メグルマは俯いた。
答えたくないのではなく、答えられない。オーブにはそう見えた。
やがて。
「……………………うるせえ……うるせえよ」
メグルマはゆっくりと立ち上がった。
口元に滲んだ血を手の甲で拭いながら、オーブを見据えた。
その瞳に浮かんでいたのは、怒りだけではなかった。
「改錬成──歪空間靭」
メグルマが唱えた、その瞬間。
──時空がひしゃげた。
「……っ」
空間を歪ます錬金術だ。
視界に映るものすべてがふくらみ、へこみ、歪な形へと変形していく。
壁が膨らみ、床が沈み、天井が捻れる。まるで世界そのものもが、巨大な手によって握りつぶされているかのようだった。
そして、歪みが収束した。
オーブとメグルマの二人は“異空間”に立っていた。
壁も、床も、天井もなく、どこまでも白く、ほんのり薄暗い。
──これが、一流錬金術師、メグルマ・オーヴィックの空間錬金。
「オーブ」
「……なんだ」
白の世界に、メグルマはようやく居場所を見つけたかのように、堂々と君臨していた。
「俺はな、認めて、慕ってほしかったんだ」
メグルマは、自身の手を見つめていた。
まるで、その手に刻まれた過去を確かめるように。
「俺はずっと、人を突き放してきた。他人に興味が無く、研究だけが生きがいだったからな」
その声には先程までの怒気は無く、ただ自嘲気味に笑っていた。
「だが今世になり、人に認められることを欲すようになった。賞賛だけでいい。誰かが俺に対して、『すごい』と言ってほしかった。──だから、弟子を取ることにした」
オーブは黙って聞いていた。
「弟子といっても、錬金術師である必要は無かった。ただ俺のもとで働き、それを生業としてくれる。そういう、身近な存在が欲しかったんだ」
「……本心か?」
「ああ、本心だ」
驚くほど即答だった。
だからこそ、次の言葉が重かった。
「そして、それを──利用された」
オーブの眉が僅かに動いた。
「──利用だと?」
「そうだ」
諦めに近い表情だった。
「オーブ、お前はこの世界のことを何も知らなくていい。何も知らないまま、ここで朽ち果てるべきなんだ」
空間が、徐々に引き締まっていくように感じられた。世界が、ゆっくりと収縮していくようだった。
白い世界が、少しずつ狭くなる。
ただ歪めただけではなく、空間そのものを、錬金術によって別の性質へと変質させているのだ。
柔らかなものが硬く。
脆いものが強固に。
この異空間が、より強固で、鉄壁で、強靭なものへと作り変わっていくようだった。
メグルマ・オーヴィック。
これこそが、一流錬金術師としての力。
オーブに見せつけるかのように展開した技だが、オーブの心に、師匠への賞賛などはもう無かった。
「今度こそ、さよならだ。オーブ」
メグルマはそうつぶやき、開いていた右手を、力強く握りしめた。
それが、攻撃の合図だったのだろう。
歪んだ異空間そのものが、オーブに向かって吸収されていく。
空間を形成していた無数の“何か”。
まるで細く白い糸──いや、刃だった。
空間そのものが、数え切れない量の強靭な細い刃へと変わっている。
そして、刃の群れが、四方八方からオーブへ襲い掛かった。
速い。
目で終える速度ではない。逃げ場もない。
二、一。
──来る。
迫りくる無数の刃に対して、オーブは短剣を振った。
それだけだった。
「………………ッ!?!?」
世界が、止まった。
無数の刃が消え、存在を許されなくなった異空間が、崩壊しては、一瞬で元の形へ戻ってしまった。
メグルマの視界が反転する。
そこはもう、現実世界──元の部屋だった。
床に転ばるガラス片。錬金術の道具。鼻を刺すリアディファイルの匂い。
すべてが戻っている。
それだけではない。
「…………?」
メグルマが、自分の身体を見下ろした。
胸元から。
黒い刃が突き出ていた。
「…………が」
いつ? なぜ?
──いやそれより、自分の空間はどこへ──
「が……あぁあっっ!!」
何も理解できていない彼に対して、オーブは真正面からゆっくりと見つめた。
「こんなものでお前は死なない。それを分かった上で、終わりにしよう」
オーブは短剣を引き抜いた。
床へ、血が滴り落ちる。
「…………オー……ブ」
「お前を殺すことに、“俺”が邪魔している。これは同情でも道徳心でもない」
殺さなければならない理由は、いくらでもある。
それなのに。
どうしても、最後の一線だけを越えられない。
「仕方がないから、見逃してやる」
オーブはそれだけ言って、ゆっくりと彼に背中を向けた。
膝から崩れ落ちるメグルマに、もう戦う意志はなかった。
誰がどう見ても、勝負は終わっていた。
「………………お前……」
背後から、かすれた声が聞こえた。
「…………誰、だ」
オーブの足が止まる。
「お前は、オーブじゃ、ない」
メグルマは床に伏せたまま、必死に顔を上げていた。
「一体、何者だ……前世は…………なんだったんだ」
その問いに、オーブはしばらく黙っていた。
やがて。
小さく息を吐く。
「──シューク」
「……っ?」
メグルマの瞳が、大きく開かれた。
オーブは、ほんの少しだけ振り返った。
「前世、魔王」
メグルマの顔から、血の気が引いた。
「…………ば」
「…………」
「ばか、な……」
何かを否定するように、首を横に振る。
「オーブ……おまえ、が……?」
「………………」
「魔王……?」
オーブはそれに答えなかった。
だが、その横顔は、かつて魔王として生きていた男のものだった。
メグルマはそれを見て、何かを悟ったように、目を伏せた。
「…………そうか……だから──」
オーブはそれに反応して、振り返った。
メグルマは言葉を止めた。
何かを言おうとしている──だが、言えない。
その表情は、先ほどグレンツが見せたものと同じだった。
恐怖、そして躊躇。
(……まずい、こいつも消される)
オーブは覚悟を決めた。
「──メグルマ。あんたの記憶と人格を抹消する。それで終わりだ」
「…………わか、っ」
「何か言い残すことはないか」
メグルマは、震える口をなんとかして動かしている。
「オーブ…………」
「…………なんだ」
「勇者を、追え──」
はっきりと、メグルマはそれを口にした。
オーブは、唖然とした。
「…………っ!?」
メグルマの声に、迷いは無かった。
「俺に言えることは……それまで、だ……」
それ以上は何も語らず、オーブも聞き出そうとしなかった。いや、聞いたところで、この男が話すことは、もうない。
これ以上話すと、グレンツやシビのように、消されてしまう可能性がある。
オーブは背を向けた。
まだ鼓動がひどく高鳴っており、メグルマの発言が耳にこびりついて離れない。
「勇者……」
しかし、行かなくてはならない。
記憶と人格を抹消する術式魔法陣を展開し、彼は歩き出した。
ゆっくりと、メグルマの人生の記憶が消えてゆく。じわりじわりと、彼の偉大な知識や記憶全てが、塵となってゆく。
背後から、メグルマの息遣いだけが聞こえていた。
もう振り返らなかった。
しかし、扉の前でオーブは一度だけ足を止めた。
「……………………」
ほんの少しだけ、あの頃の記憶を思い出してしまった。
まだ何も知らなかった頃。
錬金術もなにも扱えなかった自分。
何も持たず、何もかも失い、そして何者でもなかった自分を、拾ってくれた、メグルマという男。
弟子が欲しかったとは言っていたが、最初から利用するつもりだったのかもしれない。
それでも──あの日々が、嘘だったとは思いたくなかった。
錬金が上達して、褒められたこと。
仕事をよくこなし、感謝されたこと。
無力なくせに人助けを計らい、怒鳴られたこと。
錬金術を教えられたり、食事をして、何気ない、くだらない話をしたり──。
その全てが、今となっては、ひどく遠いものに感じられる。
メグルマ・オーヴィックとの日々は、これで終わりだ。
朝焼けの近い空を見て、オーブは拳を握りしめた。
長かった夜が、ゆっくりと終わろうとしている。
「…………」
オーブは空を見つめたまま、静かに息を吐いた。
魔王としての記憶を取り戻し、自分が何者だったのかを知った。
そして今。
自分が、何者であるべきなのかは──まだ分からない。
ただ、一つだけ分かることがある。
この先には、自分の知らない何かが待っている。
そして、その中心には──勇者がいる。
オーブは歩き出した。
「……ありがとうございます」
誰にも聞こえないほど、小さな声。
「メグルマさん──」
第一章終了です!
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