第83話 冷たい感情
車は、希子の実家から50m程離れた駐車場に停める。しかし、乱子は車を停め終わった後もすぐに動こうとしなかった。俯いて目を瞑り、これから起こるであろう出来事を頭の中でシミュレートする。
望や、希子の父親である健吾から向けられるであろう敵意。そして、突きつけられる希子が死んだという現実。
それらを予め考えておき、心の準備と覚悟を決める時間が必要なのだ。
それが分かっている鉄平は、何も言わずにじっと乱子の準備が整うのを待った。
そして、5分程経つと、乱子はゆっくりと目を開ける。その目には、道中まであった緊張や恐怖は消えているように見えた。
「よし…。行くわ…。」
「分かった。」
乱子と鉄平は、短い会話を終えると車を降り、希子の実家へと向かう。しかし、乱子が覚悟を決めた気持ちとは裏腹に、足取りは酷く重く、それが乱子からすればかなり鬱陶しく感じる。
すると、玄関にはこちらに身体を向けた望が立っている。彼女は、さっき見た時に感じた睨みつけるような表情はしておらず、むしろ穏やかな顔をしている。
そして、乱子と鉄平が家の前まで着くと、二人が挨拶をする前に、望は深々と頭を下げた。
「遠くからわざわざ来ていただいて、本当にありがとうございます。」
「あ…えっと…、来るのが遅くなってしまって…すいませんでした…。」
しっかりとした望の対応に面食らった乱子は、しどろもどろになりながら、何とか頭を下げつつ挨拶を返した。
「望ちゃん、告別式振りやけど…どうや?大丈夫か?」
「はい。今は私もお父さんも落ち着いてきてます。」
望と一度告別式で会った鉄平が、心配して声掛けをしたが、やはり望の笑顔に本来の明るさは戻っていなかった。
「立ち話もなんですから、どうぞ中に入って下さい。」
望は丁寧にそう言うと、二人を家に上げた。希子の面影が垣間見える望の顔が、乱子の胸を強く締めつける。
そして、和式の部屋に通され、そこにあったテーブルの片側に、乱子と鉄平は並んで座る。望はキッチンの方へと行き、二人に出すお茶などを用意してくれているみたいだ。
乱子は座ったものの落ち着かず、部屋の中をキョロキョロと見ていると、隣の小さめの和室に仏壇があった。それを見つけた瞬間、乱子はさっと目を逸らす。すると、お茶を持って望が戻ってきた。
「こんなんしかないんですけど、ごめんなさい。」
「いやいや、押しかけてきたんはこっちやから気を遣わんといてや。お父さんは居てはらへんのか?」
「はい。お父さんは今日仕事に行ってます。」
鉄平と望の会話に、乱子が中々入れずにいると、気を遣った望が話を振ってくれた。
「乱子さん。良かったら…お姉ちゃんに会いますか?」
「えっ!あ…うん…。というか…望が良かったら…やねんけどな…。」
「勿論です。あっちの部屋へどうぞ。」
望は、乱子がさっき見つけた部屋の方に視線を移す。意を決して乱子は立ち上がるが、望と鉄平はその場に座ったままだった。どうやら、希子と二人で会ってこいという事だろう。
そして、乱子は仏壇の方へと歩いていく。心臓の鼓動はうるさいほど激しくなる。段々と仏壇が近付いてくると、2枚の写真が目に入った。その写真は、幸せそうに笑う希子と、母親の雅美であった。
2人の写真が飾られた仏壇の前で、乱子は正座で座り軽く一礼をする。そして、元々火のついていたローソクで、線香に火をつけて香炉に刺し、おりんを一度鳴らす。静かな部屋にリーン…と鳴り響くおりんの音の中、手を合わせて乱子は目を瞑った。ここまで冷静に一連の所作が出来た事に、乱子本人が一番驚いていた。それは、鉄平やココのおかげで、全てを受け入れる準備が出来ていたからだろう。
そして乱子は、今の自分の気持ちを心の中で語り始めた。
(希子…うちは今何をあんたに言うたらええんか分からん…。ただ今は謝らさせてほしい…。助けられへんくてほんまにごめんな…。お母さんの事も知らず、あんたを傷付けてごめんな…。ほんで、希子のお母さん…希子を救う事が出来んくて…ほんまにごめんなさい…。希子と二人でした約束を守る事が出来なくて…ごめんなさい…。)
乱子の中からは、謝罪の気持ちの言葉しか出てこなかった。前に進むためにやって来たが、まだ過去の出来事に引っ張られている証拠だろう。
心の中でも、言葉に詰まってしまい、乱子は一度ゆっくり目を開ける。
その時、いつの間にかこちらにやって来ていた望が、背後から声を掛けてきた。
「乱子さん…お姉ちゃんを前にしても泣かないんですね…。」
望のその言葉に、鋭い棘が生えている事に乱子は気付く。望は、乱子がもっと泣き崩れ、大声で懺悔の言葉を叫ぶところを想像していたのだろうか。
しかし、乱子自身もそう思っていた。何故自分がここまで冷静でいられるのか不思議に感じていたのだ。
「今日乱子さんに、お姉ちゃんから託された物が2つありました。でも、今の乱子さんには渡せません。」
「希子から託された…物…?」
望の口から突然告げられた『予想していなかった展開』に、部屋を不穏な空気が包みこんでいく。




